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秋山好古は安政六年(1859)、中歩行町(現/大街道)の下級武士の家庭に生まれています。小さい時は虚弱で泣き虫だったといいますが、成績は優秀で藩校の明教館でも群を抜く成績だったといいます。しかし、家が貧しく、上の学校へ行けません。学費のかからない師範学校へ進みましたが、同郷の先輩より薦められ陸軍士官学校へ入ります。そして騎兵科を選びました。明治20年(1887)久松定謨の補導役としてフランスへ留学し、フランス式の騎兵を学びます。当時、フランスには正岡子規の叔父である加藤拓川が外交官として赴任しており、親交をあたためました。
もともと日本には騎兵という概念がなく、しかも欧米の馬に比べて貧弱な日本馬を使うため、欧米諸国からは馬鹿にされていました。そうした中、騎兵を単なる捜索伝令用に留めず、戦略機動集団の騎兵として育て上げています。好古は日本騎兵の弱点を補い、敵に勝つ騎兵を作り上げ、「騎兵の父」と呼ばれています。
日清戦争では騎兵第一大隊長、日露戦争では騎兵第一旅団長となり、ロシア皇帝に仕え、再三の戦争で功をたてた世界最強と呼ばれたコサック騎兵を相手にわたりあい、日本の勝利に大きく貢献しました。第一および近衛師団長を経て、大正五年(1916)大将となり、陸軍の要職をつとめています。しかし、身の回りのことには無頓着、借家住まいを続けています。
乞われて松山の私立学校「北予中学」(現/松山北高)の校長となり、余生を後進の育成に尽くしました。昭和五年(1931)、好古の最期は「奉天へ・・・」と、日露戦争を振り返っての言葉でした。
弟の真之と並び、梅津寺に銅像が立っています。
参考資料/松山百点207 えひめリビング新聞社
愛媛県百科大事典 愛媛新聞社
秋山兄弟に学ぶリーダーの条件 池田清著 ごま書房
坂の上の雲 司馬遼太郎著 文春文庫
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