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日本ではじめて、空の新婚旅行を楽しんだのは松山のカップル。一万に住む渡部萬次郎さん(当時24歳)と春日町の三好里子さん(当時20歳)。昭和3年(1928)7月13日のことです。今治市から別府まで小型水上飛行機による1時間20分の旅。
これは昭和3年6月から堺-高松-今治-大分の間で日本最初の旅客輸送をはじめた日本航空輸送研究所(本社/大阪)のPRも兼ねていました。と、いうのも新郎の渡部萬次郎さんは日本航空輸送研究所の飛行士。二人の空の旅は新聞に大きく取り上げられましたので大成功というところでした。
日本航空輸送研究所は大正11年(1922)、堺-徳島間で小貨物や新聞、写真乾板の輸送をしていましたが、12年に高松まで延長、14年に堺-高松-今治で郵便定期飛行。昭和2年に大分まで延長し、昭和3年6月から旅客輸送をはじめたのです。昭和4年には松山にも基地が建設され、松山-高松-大阪の新路線。ユンカース6人乗り飛行機を使用し、松山-大阪は運賃が15円。1時間半の旅でした。大阪まで約12時間、運賃は5円の船旅と比べると割高でしたが、早い旅ができると好評でした。昭和10年に別府まで延長。ちなみに松山の発着場は最初、三津浜の海岸でしたが、昭和4年8月から梅津寺に変わりました。現在も梅津寺遊園地の北東隅には格納庫のコンクリート床が残っています。
この日本航空輸送研究所は大正13年には南宇和で魚群探査、昭和3年には今治の魚を生きたまま大阪へ空輸しています。
参考資料/愛媛県百科大事典 愛媛新聞社
松山空港物語 高田英夫
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