日本初のSFは何かというといろいろな説があります。例えばかぐや姫を宇宙人とする「竹取物語」。しかし、科学的な考証が必要だとすると明治33年に出版された「海底軍艦」を嚆矢とします。このSF、作家は松山出身なのです。その名前は押川春浪。ストーリーはというと世界旅行中の主人公がインド洋で海底軍艦を開発中の日本人に逢います。海底軍艦の冒険とともに科学兵器や侵略的な侵攻の数々が綴られます。ジューヌ・ヴェルヌの影響が濃い一作です。明治末期の冒険小説やSFのブームを興す牽引力となったことから「日本SFの祖」と押川春浪は呼ばれます。
押川春浪の父はNHK朝の連続ドラマ「はね駒」のモデルとなったキリスト教牧師の押川方義。松山の家屋敷を売り払い単身渡米し、帰国後仙台の東北学院を設立するなど型破りの人物でした。
押川春浪は小唐人町(大街道)で生まれています。東京専門学校(現在/早稲田大学)英語学部在学中、原稿用紙300枚をこえる「海底軍艦」を書き上げました。松山出身桜井忠温の兄桜井鴎村の紹介で巌谷小波に持ち込みます。小波の世話で「海底軍艦」は世に出ました。「海底軍艦」はベストセラーとなり、押川春浪は冒険小説を次々と書いていき、大人気作家となります。また、雑誌編集として「冒険世界」「武侠世界」などの出版も行っています。
明治37年、博文堂に入社、「日露戦争写真画報」「冒険世界」の主筆として腕を振るいました。明治45年、「武侠世界」を刊行。しかし、大正3年、38歳という若さで急性肺炎のためこの世を去りました。
押川春浪の弟はプロ野球創設に尽力し、野球殿堂入りを果たした押川清。勿論、春浪も12・3歳の頃から野球に熱中しすぎたためか明治学園を二度も落第しています。
参考資料/20世紀ニッポン異能・偉才100人 朝日新聞社
愛媛県百科大事典 愛媛新聞社
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