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杉浦非水は明治9年(1876)松前町に誕生しています。3歳の時、父親の白石朝忠は大望を抱いて上京し、非水は母方の実家杉浦家に預けられます。10歳の時、杉浦家の養子に。愛媛県尋常中学校(現在松山東高校)のおりには学校での授業に飽き足らず、四条派の日本画家、松浦巌暉(まつうらがんき)に師事。明治30年、上京。川端玉章に師事し、東京美術学校(現在東京芸術大学)日本画科に入学します。
在学中に近代洋画の父、黒田清輝と知り合い、黒田が渡仏した折り、土産としてもらったヨーロッパで人気だったアール・ヌーボー様式の図案に心奪われます。明治36年(1903)、三和印刷が誕生し、図案部主任となった非水は内国勧業博覧会の雑誌「三十六年」の表紙に我が国で最初のアール・ヌーボー様式の図案を描きました。
明治38年(1905)、東京中央新聞社に入社。3年後に三越呉服店図案部の嘱託となります。以後、数々のポスターを作成し、日本の近代商業美術のリーダーとして活躍します。大正13(1924)には国内最初の商業美術団体「七人会」を設立。昭和10年には帝国美術学校(現在武蔵野美術大学)から分かれた多摩帝国美術学校(現在多摩美術大学)を創立し、初代学長、図案科主任教授を務めました。
ポスターの他に「響」「パロマ」「桃山」「光」などたばこのパッケージデザインを手掛けています。
商業デザインの確立者。グラフィックデザイナー日本第一号です。
参考資料/松山百点181
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