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西村清雄は明治4年(1871)北京町に松山藩士の長男として誕生。明治18年、愛媛県第一中学校(後の松山中学)へ入るが翌年、廃校。この頃、カトリックの洗礼を受けています。明治21年、大阪で英語を学び、大阪基督教会で宮川経輝の教えを受け、明治23年に帰郷すると、宣教師のジャドソン女史が夜学校の設立を考えていたのに応え、協力。「普通夜学会」を開きます。明治25年、21歳で校長となり、「松山夜学会」と改称し、寄宿生と一緒に働き、寝食をともにする日々が続く。教育と伝道に身を捧げていたのです。明治36年、宇和島で伝道を続けていたジャドソン女史の応援の帰途、法華津峠で夜を迎え、この体験を「山路こえて」という詩にしました。これが採用され賛美歌404番、人々に愛唱されることとなりました。他に和歌も多く作っています。昭和20年からは東雲中・高の校長となり、県教育文化章などを受章しています。昭和37年、松山栄誉市民。
祖父、清臣は幕末の松山を代表する歌人。叔父は道後村村長で道後温泉本館を建てた伊佐庭如矢。
山路こえて ひとりゆけど 主の声にすがれる 身はやすけし
松のあらし 谷のながれ みつかいの歌も かくやありなん
峯の雪と こころきよく 雲なき空と むねは澄みぬ
みちけわしく ゆくてとおし こころざすかたに いつか着くらん
されども主よ われいのらじ 旅路のおわりの ちかかれとは
日もくれれば 石のまくら かりねの夢にも み国しのばん
参考資料/松山百点 愛媛リビング新聞社
愛媛の文学散歩 秋田忠俊著 愛媛文化双書
愛媛県百科大事典 愛媛新聞社
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