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子規がペースボールを愛したからでしょうか。松山は野球が盛んです。高校野球での松山商業の活躍。プロ野球選手の輩出、野球殿堂に残る人たちの多さなど、松山は野球王国と呼ぶにふさわしい土地柄なのです。
明治16年(1883)上京すぐの子規が野球を知り、ベースボールにはげみ、松山藩の書生小屋で「邸内一のノック上手」と呼ばれるのにはじまり、子規はベースボールに熱中します。明治19年(1886)にはベースボールの訳語として「弄球」とあて、明治23年(1890)には雅号に「野球」とつけています。
それもそのはず、松山に野球をもたらしたのは子規なのです。明治20年(1887)、道後公園において後の県人初の大臣、勝田主計と松山初のキャッチボールを行い、明治22年(1889)7月に療養のため帰省した子規が級友・竹村鍛の依頼を受け、弟の秉五郎(河東碧梧桐)にボールとバットを与えて、ベースボールを教えています。これが愛媛県への野球伝来の初めです。
以後、松山では野球熱が盛んになっていきます。
高校野球で活躍した高校を列記していきましょう。筆頭は松山商業。大正14年の春、昭和7年の春、昭和10年の夏、昭和25年の夏(松山中学と合併のため校名は松山東)、昭和28年の夏、昭和44年の夏、平成8年の夏と7回も全国優勝を成し遂げています。他にも新田高校が平成2年の春に準決勝まですすみ、昭和6年の春と昭和62年の春に松山北が甲子園へ出場しています。
プロ野球でリーグ表賞を受けた人も西鉄で最優秀選手となった島原幸雄(松山商)、巨人のエースとして連続七期ダイヤモンドグラブ賞を受け、沢村賞にも輝いた西本聖(松山商)。他にも大洋で活躍した重松省三(松山商大)、南海の藤原満(松山商)など。現役では中日の中継ぎ、佐野重樹(松山商)がいます。
野球殿堂入りを果たしたスーパースターでは日本初のプロ野球チームを結成した押川清、戦前の大打者・景浦将(松山商)、監督歴29年の名監督・藤本定義(松山商)、早稲田に9回のリーグ優勝をもたらした森茂雄(松山商)、往年の巨人の名二塁手・千葉茂(松山商)、パ・リーグの発展に寄与した佐伯勇(松山中)、3451試合に出場した審判・筒井修(松山商)、千試合出場、千安打第一号・坪内道則(松山商)が松山関係者です。
平成12年には公式試合に使用できる坊ちゃんスタジアムが完成し、野球王国・松山にますます拍車がかかりそうです。
参考資料/甲子園全出場校大事典 森岡浩 東京堂出版
四国まるごと自慢 愛媛新聞社
愛媛の野球100年史 愛媛新聞社
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