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道後にある伊佐爾波神社、135段の石段を登ると社殿がそびえ建っています。古くから、湯月八幡神社と呼ばれていたところ。もともと、この神社は現在の道後公園、伊佐爾波岡にありましたが、1335年、河野氏が湯月城を構えるに際して現在の所に移されました。社殿は1667年第三代松山藩主松平定長によって作られました。定長は時の将軍に流鏑馬を命じられ、金的を射止めれば石清水八幡と同じものを建てます、と神に祈りますと、見事に適中。願いが叶えられた定長は京都の石清水八幡、大分の宇佐八幡と並ぶ荘重な八幡造りの社殿を建立したといいます。巨費を投じ、約三年の歳月をかけ社殿は完成しました。廊下には海老虹梁という屋根を支える梁に装飾が施され、柱には金箔が貼られました。海から伊佐爾波岡を見ると夕日を浴びて金色に輝く社殿が遠くからも見えたといいます。八幡造りとは本殿と拝殿が連結されているのが特長です。正面から見ると神明造りのように見えますが、横に廻ると同じ建物が二つ並んでいます。
本殿、申殿及び廊下、楼門、廻廊、境内社、石灯籠は国の重要文化財に指定されています。
また伊佐爾波神社で有名なものは20枚を超える和算の額。江戸時代には数学の問題を額にかいて寺社に奉納するのが習慣になっていたといいます。松山は西日本一の和算研究の地であったことを証明するように和算額は西日本一の威容を誇ります。
参考資料/伊予の古建築 愛媛県建築士会
松山の文化財 松山市
わが町道後 道後中学校
道後村めぐり案内記 山野芳幸著 青葉図書
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