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正岡子規は明治20(1887)年7月帰省の際、友人である柳原極堂(後、ほととぎすの創刊者)を誘い、勝田主計(後、県人初の大臣となる)の紹介で三津の俳句宗匠である大原其戎(1812〜1889)を訪ねました。その時、半紙に書いた句を見てもらったのですが、この時の句が「真砂の志良辺」という其戎主宰の俳誌に載せられています。
虫の音を踏みわけ行や野の小道
これが子規の句が活字となった最初です。この「真砂の志良辺」は日本で三番目に古い月刊俳誌で、明治13年創刊。A5判ほどの大きさで6〜8ページ。芭蕉の命日にちなみ毎月12日に発行されています。この俳誌は明治27年161号まで続きました。
当時は全国初の週刊俳誌「俳諧花の曙」を出した奥平鶯居(1809〜90)とならび大原其戎は郷土俳諧の第一人者。子規も「我が俳諧の師」といっています。子規は上京後も毎月句を送り、「真砂の志良辺」の常連となりました。「真砂の志良辺」の前に発行された俳誌は東京から出され、しかも短命。これをとっても、三津浜が俳諧の盛んな地であったことが偲ばれます。投句者は東北から九州・天草まで及んでいます。
参考資料/人間子規 和田茂樹著 関奉仕財団
愛媛県百科大事典 愛媛新聞社
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