村上龍は小説だけに専念してくれ

「限りなく透明に近いブルー」「だいじょうぶマイフレンド」(両作とも村上龍監督)

 「だいじようぶマイ・フレンド」の噂は聞いていました。ビデオ棚でホコリをかぶっていましたが、観ることもせず、そのままにしてあったのです。
 というのは、村上龍氏の「トパーズ」や「KYOKO」を観ても、いまひとつ。村上龍氏の小説で描かれるセックスや登場人物の心理は、こちらに届いてくるのですが、映像となると、ストッキングを何枚もかぶせて足の裏を掻いている感じがするのです。

 さて、「だいじょうぶマイ・フレンド」。ひとことでいうと、脚本がめちゃくちゃです。行き当たりばったりで。説明がゼロ。スーパーマンのセックスや不安を描こうという意図はわかるのですが、ファンタジーやSFに必要な理論(こじつけでもいいのですがこちらが納得する説明のこと)がないため、観客は不安に苛まれるのです。

 空からホテルのプールに落ちてきたゴンジーという名のアメリカ人は、スーパーマンでした。彼のパワーを悪用しようとする組織から、彼を守ろうとする男2人と女1人。しかし、彼はパワーをなくしていました。パワーを甦らせ、彼を救おうと頑張る3人の物語です。(ストーリーを正確に書こうと思えませんので、けっこういいかげん)

 全体を語る気がしないので、思い出した部分を書きますと、冒頭はミュージカルシーンです。しかも、取ってつけたようなシーン。カットしても問題なし。その後、広田玲央名のヌードシーンになります。これも、何の脈絡もありません。玲央名嬢は、脱ぎ損です。

 ゴンジーは、悪の組織に捕まりますが、ある方法で逃げることができました。その方法とは、なんでしょう[ヒント/「アメリカン・ビューティ」のケビン・スペイシー、「メリーに首ったけ」のベン・スティラーがスクリーンでしています]

 サイパンロケやミュージカルシーンは、仲間うちで楽しんでいるだけ。こちらへのベクトルを感じません。
 この映画に、キティフィルムは13億円かけたといいます。このフィルムは、興業成績も評価もひどいものだったため、キティの社長の前で、この映画に触れることは厳禁だったとか・・・。

 ピーター・フォンダは、この映画の撮影前、「スターログ日本版」(1983.2月号)のインタビューで「シナリオを読んで奇妙な作品だと思った。しかし、ユーモアがあるしファンタジック」「日本の友人に会えるし、坐って食事ができる。その上、サイパン・ロケはあるわ、ギャラまで出る。これほど恵まれた仕事を断る手はないだろ?」と語っています。
 この言葉で、ピーターは、評価よりもギャラをとったということがわかります。もちろん、自分のフィルムグラフィーにこの映画を入れる気はないことでしょう。

 村上龍氏は、この映画に2年間構想を練ったというけど、ウソですよね。

 いくらかの免疫をつけていたためか、「限りなく透明に近いブルー」は、いい映画に思えます。青春真只中の龍氏の日常を切り取った映画です。芥川賞をとった小説は、過去に読んだことがあります。題名の直接の由来は、ゴキブリを潰すと、絵の具を舐めていたらしく、体液がブルーが染まっていたことでしたっけ。(ゴキブリは、部屋にエサがないと、確かに書きかけの絵を舐めます)

 「限りなく透明に近いブルー」は、基地の近くに住み、ドラッグやセックスにふける若者たちの生態を描いた映画。自分たちが過ごしてきた生活をスクリーンに描写するため、リアリティがあり、日本映画で登場する若者の生活がいかにウソ臭いかということが、よくわかります。しかし、そうした描写に馴れてくると、のんべんだらりとしたストーリーに飽きてきます。

 平田満や斎藤晴彦が出演しています。平田満は、小市民のアウトサイダー。斎藤晴彦は、アフロヘヤーのカメラマン(毛がふさふさ)を演じます。興味深いのは、若き日の三田村邦彦が村上龍によく似ていること。つまり、これは村上龍氏のナルシスト映画だったのです。

 最後、村上龍氏にお願い。映画に興味をもつことなく、小説を書くことに専念してください。心から、お願いします。

「限りなく透明に近いブルー」
カラー・103分
1979年日本映画
監督/村上 龍
原作/村上 龍
脚本/村上 龍
製作/多賀 英典
撮影/赤川 修也
音楽/星 勝

出演/三田村 邦彦
  /中山 麻里
  /中村 晃子
  /平田 満

「だいじょうぶマイ・フレンド」
カラー・120分
1983年日本映画
監督/村上 龍
原作/村上 龍
脚本/村上 龍
製作/多賀 英典
撮影/大岡 新一
音楽/加藤 和彦

出演/ピーター・フォンダ
  /広田 玲央名
  /渡辺 裕之
  /乃生 佳之
  /根津 甚八

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