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| 今治に現在のような鉄板焼鳥の店が誕生したのは昭和三六年。柳町、今の旭町にある「五味鳥」が元祖である。 戦後、せんざんきで有名な「スター」という店があったが焼鳥はメインではなかった。「五味鳥」以前には焼鳥を中心に営業していた店はなかったのである。 焼鳥を鉄板で焼くというアイデアはまさにコペルニクス的発想。「五味鳥」さんは偉大なアイデアと味を今治にもたらした。 炭焼や直焼だと時間がかかるが、鉄板で焼くとお客へのメニュー提供時間が短くできる。しかも、個性的で美味しい、ということで爆発的な人気を呼んだのである。 当時、「五味鳥」の前には人の列がとぎれることがなかったという話を聞く。 今治は昭和初期から立花村・日高村などで養鶏が盛んだった。昭和三○年に三万羽だった飼育数が昭和四五年には五倍強の一六万羽に達している。昭和三五年頃からブロイラーの生産が始まっている。今治の在来鶏とコーニッシュ種の雑種が利用されていた。 しかしながら、もったいないことに今治を代表する地鶏の存在は希薄である。近隣の東予市が伊予赤鶏や伊予地シャモをアピールしているのに、今治市の地鶏ピーアールは目立たない。 こうした今治市の環境が焼鳥屋の美味しい食材の確保に役だった。新鮮で安い食材を使えるからである。 「五味鳥」の人気に刺激され、続々と鉄板焼鳥屋が誕生した。設備投資が少なくて済み、特別の技術がいらない焼鳥屋は素人でも参入しやすかった。 当時誕生した店は「八味鳥」「百味鳥」など「五味鳥」を参考にしたネーミングが多かった。 各々の焼鳥店が味と個性に研鑽を重ね、昭和四○年代には「五味鳥」「無味」「八味鳥」「鳥林」が焼鳥四天王と称された。それぞれが独特の味を持ち、店の個性を全面に出してサラリーマンや自営の人たちの憩いの場となっていた。ちなみに「五味鳥」の味は「甘くて旨い」、「無味」は「むつこく旨い」、「八味鳥」は「上品で旨い」、「鳥林」は「深くて旨い」と言われていたのである。 しかし、「無味」はもう今治に店はない。「世渡」がその味を継承している。 他の地域からの焼鳥進出も目立つ。 「南蛮亭」は東京の味。六本木が本店、カーター大統領が訪れた店の流れ。二○年ほど前に今治に進出した。 「天井座敷」は九州博多の味。牛の横隔膜である「さがり」や鶏の「軟骨」、明太子も店に置いている。こちらは一○年ほど前の進出。 「風来坊」は名古屋の味。手羽先をスパイシーに揚げた「風来揚」が有名。ちなみに名古屋では手羽先専門のチェーン店もあり、一日に四○トンの手羽先をさばくという。一○年ほど前に進出し、新たな店舗で営業をはじめている。 「五鶴」は京風の味わい。繊細な盛りつけとあっさりした味わいで女性のファンも多い。五年ほど前に開店した。 これらの店は炭焼あるいは網焼。鉄板焼鳥と違った味で人気を集めている。 近年に誕生した焼鳥屋は鉄板と炭焼の折衷型が多い。「凪母」「○屋」「イッテモンテ・マンテ」など。皮や野菜は鉄板で焼き、それ以外は炭で焼くというスタイルである。これは鉄板で焼いた皮の人気が高いことに注目し、ふたつの焼き方を材料により使い分けている。 老舗といわれる鉄板焼鳥屋では長い歴史を感じる店舗と焼き方、そして大将の味のある対応や人柄で根強いファンを獲得している。若い人たちの来店も多い。同じことをずっとやってきた人は強いし、個性的だ。 四○年の歴史を通じて発展してきた今治の焼鳥は時代の流れにどの様に対応するのだろうか。しまなみ海道の開通を迎え、どう今治の焼鳥が変わっていくのか、今後が楽しみである。 |
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