


本社からさらに800mほど石段をのぼり詰めた山頂近くにある、石段も整備され神職も常駐してます。
「巡礼の数にあらずといえども当州の壮観名望の霊区なれば遍礼の人当山に往詣せずといふ事なし」と寂本の四国遍礼霊場記に詳しく記されている。


「こんぴら奥の院の由来ということですが、箸蔵寺には”天狗の箸運び”という伝説が残っています。
金比羅さんのお祭の時に使われたお箸を、天狗が当山に運んできておさめた という言い伝えがあるのです。
また、”讃岐のこんぴらさんとの関係”と言うことですが、こんぴらさんが松尾寺という真言宗の寺院であった頃は、交流があったようです。
しかし、明治維新の神仏分離の政策により、神社の金刀比羅宮となってからの直接の交流は現在の所はありません。
しかし、古来からの信徒団体の金比羅講のみなさんは、10月10日のこんぴらさんのお祭の時に、”両参り”と称して、讃岐のこんぴらさんと箸蔵寺の両方を参拝して行かれます。
箸蔵寺には、ロープウェイの下に見える谷に行場があります。
通称”蔵谷の行場”といわれているところで、仁王門から行くことが出来ます」(箸蔵寺副住職・記)
で、その行場は仁王門前の広場の大塔楼と公衆トイレの間にある木の鳥居をくぐって200m下った谷間にあります。蔵谷大権現が石室に奉られ、谷水が流れる行場です。

阿波富士(高越山1133m)の山頂近くにある、役の行者が開いた元女人禁制の修験道の寺。山頂南稜線にあるその奥之院は幽玄な行場である。

竜光寺から一の森を経て山頂に至るコースが行者道であったが、いまはリフトを利用すれば40分で山頂です。
画像は山頂直下の大剣神社奥宮です。


入口の正面に大師堂があってこれが本堂のようであるが、本堂は隣の一回り小さい薬師堂である。
空海大師がこの地方に来たとき種を蒔き農事を奨励したことから種まき大師と呼ばれるようになったそうです。

里宮の北にそびえる大麻山(538m)の山頂に鎮座している。
参拝道は麓の大麻比古神社の向って右奥から石段を2kmの1時間半であるが登りが延々と続き展望も利かず道がきついそうです。卯辰越えより登るコースは東側からのアプローチで3Kmです。
アップダウンや平坦道が交互にあり、瀬戸内海や吉野川が見渡せる展望所が2ケ所あり、最後の400mは南からの表登山道と合流する整備された道で、時間は同じだがずいぶん楽です。
上は平坦になっていますが雑木林で展望は利きません。落書きがいっぱい書かれた拝殿と板に囲われた奥殿がひっそりと立っており、倉庫棟がふたつ点在してます。
奥宮は無人の為、納経は里宮の納経を頂いた。


本尊・不動明王、刷毛書納経がめずらしい。


江戸中期に造られたものです


別格1番札所、阿讃山脈山中深くにあり古びた古刹である。
大山寺の奥之院は山頂ちかくにある黒岩大権現で、空海大師ご湧現の波切不動尊が奉られている。
本堂裏から、急坂であるが車で奥の院直下まで行くことができる。


大塔(国の重文)から80m歩くと、八祖大師を奉るお堂があります。


本寺より500m山に入った焼山寺への遍路道脇に大日如来を奉った石の祠がある。
本寺より1時間で1周のミニ88があり、いちばん奥に奥之院があり、他に虚空蔵菩薩も奉っていて、途中に空海大師が修行をされたといわれる八畳岩やミニ33観音を奉った幽玄な地である。
八畳岩の上には護法神で最上の弁財天を勧請されている。


焼山寺山頂に大きな祠がある。本堂に向って左の本坊の左奥から登山道があり、途中に大蛇封じ込めの岩や、
本寺と反対側に下りたところに、大きな岩盤の下に龍王窟があり見所も多い。
山頂(664m)からは木々の間から阿波の山並みや大河が望める。


役の行者が開いた由緒あるお寺で山深い中にあり宿坊もある。


本寺の鬼門にあたり本寺を守護する。
お堂の後の丘に右手から上がると砲台跡で太平洋が見渡せる景勝地である。
この丘を貫く洞窟あり。


取星寺(しゅしょうじ)は、空海大師の再来と言われた増吽上人の中興のお寺です。
正面から参堂を行くとなかなかいい雰囲気ですし、
お寺からさらに、50m位高い所が山頂で、
空海大師が、星の岩屋で祈祷して、
悪星が落ちたのがここだという言い伝えで、
山頂にも、石仏やら石碑が点在していました。


中津峰山(773m)の中腹にあり岩穴や滝があり、十一面観音を奉る本堂や大師堂が点在する幽玄霊谷地です。
延暦年間悪病が流行、悪星のせいとして、空海大師が悪星除去の祈願をしたところです。


本堂は十一面観音を奉る。穴禅定があり別格3番札所である。
穴禅定は100m程の鍾乳洞ですが片道20分位かけて進みます。
一番奥は6畳くらいの広さで、小さい御大師石像が奉られています。
そこで、それぞれの願をかけたロウソクを灯していただき(1本100円後払い)お経を唱和します。
穴から出たとき、開放感と達成感からか、風呂から上がったときのような爽快な感覚を覚えます。
(ぎりぎりの狭いところもありますが、広いとこもあり、いざとなれば四つんばいになれば行けるので、結構体格が良くても大丈夫です。)
また、慈眼寺に上がって行く山道の途中には、灌頂の滝がありその上部の岩窟(画像)には不動明王が奉られていて滝行もできる。


空海大師が青年期に虚空蔵求聞持法を修したところである。
ロープーウェイ山頂駅から本坊と反対方向へ15分歩くと、舎心ヶ嶽の岩峰があり、その上に大師坐像が向こうを向いて座っています。
その道沿いに真新しい88の石造が並んでいて、88番目で舎心ヶ嶽に到着です。
大師像の岩峰はロープがかかっておりますが、立ち入り禁止です。
遥か山並みの向こうに紀伊水道が見えるらしいが、かすんで見えませんでした。
なお、南舎心よりさらに行った所に空海大師が行をされた龍の窟があったらしいが今はない。
お大師様は三日月がかかっていたので野宿することになったが三日月は沈み光がなくなった。そこでお大師様は一心にお経を唱えると、
三日月は元に戻り一夜を過ごすことができた、そこから月夜と名付けられたと伝えられている。
811年お大師様は当地で薬師如来と不動尊を刻み、逆杉を差し今は31mの大木となっている。(納経はありません)


ダムに沈んだため移転されている。如意輪観音を奉るお堂が公園のなかにある。
お堂の下の車道を200m戻った所から250m遍路道を下っていくと元の奥之院(明宝院・跡)があります。
鬱蒼とした谷間で岩場が迫り出した浅い岩窟になっており、昔はお堂があったらしいが、今は小さなお百度石があるのみです。


玉厨子山(530M)の中腹にあり、本寺が燃失したとき本尊がここに避難したと云われている。
本堂・方丈が、一段下に小川を挟んで大師堂ある。その奥の院はさら240m登った谷間にあり、お堂はありません。賽の河原のようで小さい石仏や石がごろごろしていて、
いちばん大きな岩の下の隙間に大師像などが奉られています。ものの本にはそこから、海が見え昔は灯台代わりになったと書いてあったので展望が利くものと期待したのですが、全く利かずがっかりしました。
そこまでの道は荒れているので、行道の方以外は本堂大師堂までの参拝としましょう。