はじめての歩き遍路 


綾ちゃんの菩提供養のくぎりとして、そして、綾ちゃんの闘病日記で、どちらかが先に逝ったら残った方が歩き遍路で供養をしてほしいと、 書いてあったけど、その約束を守るために、歩き遍路を行なおうとついに思い立ちました。
そこで、できる限り本来の遍路道を歩いて八十八ケ所を順打ちし、 おおむね1回あたり1泊2日で第一弾、第二弾・・と分けて出かけることにします。

<第二弾>

11番藤井寺 から 12番焼山寺まで (2006.4.26)

午前7時前に藤井寺の有料駐車場にに到着、二日間の駐車を1000円で駐車場のおじさんにお願いし、そして、藤井寺の仏様に挨拶し、 午前7時7分に焼山寺への登山口を通過しいよいよスタートです。前回は頭にタオルを巻いてたのですが、今回は菅笠をかぶり、靴も軽い新しいシューズに変えました。 遍路道は、藤井寺の奥の院を越えて登りにかかります。見晴らしのいい端山休憩所までは急坂ですが、それからはゆるい登りで四国山地に入って行く感覚です。 1時間23分で長戸庵(写真)に到着です。 ここは車でこれなかったので過去に一度も来てません。 その先の尾根からは吉野川が一望できますが、まだ山には入ってなくて、北斜面を巻くように登っていただけでがっかりです。2時間経過した地点からはいよいよ南下コースですが、尾根道でわずかなアップダウンで楽な山行です。が、そのときガサガサと音がしたと思いびっくりして振り向くと男遍路でした。 当然、誰かが来てあたりまえなのですが、それほど誰にも遭わなかったのです。謝ることはないのですが、驚かしてすいませんと謝られました。 2時間30分経過時点で、急な下りにさしかかり、その先の下方に建物が見えます。そこが中間地点の柳水庵です。私を追い越していった方が休憩していました。その大師堂でお勤めをしてすぐ出立です。しばらく平坦な林道を進みますがその先に壁のように立ちはだかる尾根があります。いよいよそこに差し掛かかり、 ヒノキの造林地帯の急斜面を登りあえぐと、大きく聳える一本杉を背にたたずむ立派なお大師様が向えてくれます。3時間30分が経過していました。 

休むまもなく薄暗く狭い境内を通り過ぎ、明るく展望が利いたその向こうに焼山寺山(写真)が同じ高さに聳えています。 左右内村の集落のある谷間まで一挙に下ります。ここで初老の遍路が休憩していたのでしばらく遍路談義し休憩です。谷間の川を渡りいよいよ焼山寺山本体の登山です。 急な登山道を50分間登ると焼山寺駐車場の端にたどりつきました。そこからは車遍路さんと一緒にお寺の境内へ歩きます。何人もの車遍路さんに声を掛けていただきました。疲労度合いから私を歩きとわかってのことでしょうか。結局、藤井寺から5時間45分で到着です。
参拝後下山です、遍路道は車道をカットするように下っていて、最高の雰囲気ある道です。山林の中に墓地があり昔にはここに民家があったことを思わせる所がありますが、今はただの藪になっています。杖杉庵では1眼レフカメラを手にした若い女性が今から12番へ上がっていってました。 バス停留所のある鍋岩荘近くから遍路道は車道とは離れ山の中に入っていきますが、鍋岩荘が定休日のため、今夜はここから4km車道を下った街中にある桜屋旅館(一泊二食付7500円)に泊まらなくてはなりません。 とぼとぼと歩いて余分な1時間は苦痛でしたが午後3時半には宿に到着しました。鍋岩の時点では程よい疲労でしたが、宿に着いたときはもうぐったりでした。まだ泊まり客は誰も到着して無いらしく女将さんがすぐ風呂にお湯を入れますから待ってくださいとのこと。 一番風呂から出てのビールは格別美味しかった。いつも節約のため発泡酒を飲んでますがやっぱりビールがうまいや。
1番から11番まで歩いたときは何十人もの歩き遍路に遭いましたが、今日は、歩きはわずかに4人と一人の自転車遍路にしか会いませんでした。 明日はこのまま県道で13番に行くか、鍋岩に戻り標高450mの玉ケ峠に登ってまた、その県道に合流するかで悩みましたがやはり遍路道に忠実にということで後者にすることに。タクシー会社に明朝の予約電話を入れたら、 その旅館前からバスが出てるよと教えられました。これって親切なんですよね。
夕食後すぐ午後8時過ぎにはもう寝ることにしましたが、午後11時過ぎに目が覚めて喉も渇いたので、寝静まった旅館の前の酒屋の自販機にビールを買いに行ったのですが、販売機は終了していて、 仕方なくお茶で喉を潤しとぼとぼと寝ました。

12番焼山寺の麓 から 16番観音寺まで (2006.4.27)

天気予報は午前中は雨でしたが、ぽつぽつ程度で合羽を着なくても行けそうです。
桜屋旅館の斜め前にある寄井中バス亭を町営バスで午前7時10分に出発し10分(250円)で鍋岩バス停に逆戻りします。 その近くから山中に入り玉ケ峠にいたる約1時間の遍路道は、これまた最高の雰囲気を味わいながら行ける道です。急坂を登りきった峠には石仏が並び庵もあります。ここからゆるい下り車道になり、 眼下に鮎喰川が横たわり斜面に民家が点在する山村の原風景(写真)が望めます。

過疎の村の道を歩き標高が下がってきて鮎喰川が近づいてきたころやっと「鏡石大師すぐ下」の立て札がありました。 足の疲労がだいぶん来てたので、下りてまた上がってくるのがおっくうで躊躇しましたが、やっぱりせっかくだからと見に行きましたが、鏡のように光った石かと思ったら、ただの石(写真)でした。 玉ケ峠から1時間半で植村旅館付近の県道に合流しました。植村旅館の手前の橋を渡って県道を近道で行くので旅館の前を通らないのですが、遠めで見てその辺りには、古い民家と新しい民家しかありません、そこで道脇に居たおばさんのどれが旅館なのですかと聞くと、 なんとその古い民家が旅館で、昔は村の人が二階に集まって宴会をしたものよとのこと、 昨夜の宿を植村旅館にするのも考えましたが、これは距離的に無理ではないけど無茶でしたが、その面でもやめといて正解でした。
それから少し遍路道を歩き、細い橋(写真)を恐る恐る渡って再び県道に出ますが、大雨で増水したら流されそうな橋です。もしここまで来て橋が流されて無かったらまた戻るのかと思うとゾッとします。県道に出てからは延々と3時間あまり車道を我慢我慢の歩きで、待ちに待った13番大日寺に着いたのは午後1時25分でした。 途中の昼食は地図に載っている13番の1.5km手前の「おやすみなし亭」にしようと思っていたのですが、そこは食事ができるところではなくてセルフの飲み物接待があるだけの無料接待小屋でしたので結局、大日寺に隣接した食事処でうどんを食べることにしましたが、靴下を脱ぐような雰囲気でありませんでした。

ここから田舎町の14番、15番、そして16番観音寺までの間隔は短くて平坦な道です。13番から14番は車で行ったときとは違う道を通ります。方向は分かっていますが地図で確認しながら行くとこんな道があったのかと新たな発見をしたような新鮮さを感じ、 道沿いに石仏や遍路石が点在し、車遍路では決して見れないものが見えます。14番から15番は行き連れのおじさん遍路と一緒に歩きました。16番へ向かう住宅街では、前から帰宅途中の小学生の女の子二人がやってきました。これは先に挨拶しないととタイミングを計っていると、やられました。 先にこんにちはと云われてしまいました。
16番は新築の本堂ができて本尊の表示板がありません、てっきり十一面観音様だと思っていたので、やはり何観音かわからないで困っていた方に「オンアロリキャ」ですよと教えてあげてやれやれと思って大師堂に行くと、なんと千手観音との表示板が、 ショックですウソを教えてしまった。この2日間の遍路が一挙に暗くなってしまうほどでしたが、その方はもういません。 本尊様にその方の分の真言もお唱えしてお許しを請いました。観音寺を出たのは午後4時半、JRこう駅に着いたのは午後4時55分でちょうど列車が来ていて飛び乗りました。 列車は通学生で満員のため、遍路装束を脱ぐこともできず、ちょぴり恥ずかしかたけど、一番の難所を打ち終えて安堵の気持ちですがすがしい思いでした。 鴨島駅までは5つめの駅で260円、そこからはタクシー950円で藤井寺に。終い支度をしている駐車場のおじさんに挨拶して、今回の遍路は終了です。 今回は前回よりだいぶん楽で、足の裏はまた水ぶくれになり破れ、ふくらはぎは痛く、腰も痛くなりましたが、立ち往生することもなく、こ関節が変になることもありませんでした。
また今回は、歩き遍路をすることで、いままで何度も車で行く遍路では感じられなかったことがあります。それは遍路道に乗ったらもうそこは境内だということです。
「四国寺」ともいえるひとつの巨大なリング状の境内で、88ケ所や番外札所は、 その境内の中にある大きなお堂であり、奥の院や遍路道の道筋に点在しているお堂や庵や祠、幾万もの石仏やへんろ石なども含めて かたちどられた壮大な伽藍を感じることができました。
車遍路では、札所間の道は交通手段としか感じられず、その発達により短縮されることがいいと思ってきましたが、それは考え違いであることを思い知らされることになりました。 そして、車だけで巡拝していたら、何十回まわってもこのことを知ることはなかったと思います。

<第一弾>

1番霊山寺 から 8番熊谷寺まで (2006.3.7)
明日と明後日は天候が良いと云うことなので急遽出発することにします、でも気が高ぶって眠れません、眠れないまま5時に起きて出発しました。
高速道で午前7時に1番に到着、門前街1番の駐車場に車を置いて身支度していると、店の人が開店準備をしていたので、車を夕方まで置くことを了承していただいて、 霊山寺を参拝しました。それから、歩き遍路のはじまりです、2番で、宿を今からでも予約できますかと聞いてみるとできるとのことで、お願いして、3番に向いました。 県道ではなく、山すその遍路道を歩きます。車遍路はもう何度も来ているので車道に関しては地図を見なくても行けるのですがそれゆえ車道を歩いてしまいそうになるので、 白衣のポケットに協力会の地図帳を丸めて入れて持ち、常に遍路道をそれてないかを確認しながら進みます。 快調に3番に到着しましが、車遍路のときは山門方向から境内に入りますが、遍路道は東の裏手から入るようになります。
ここから次は、さらに山里の雰囲気のいい遍路道を歩きます。 途中の番外愛染院の境内にセルフでコーヒーのお接待が用意されていたので、いっぷくいただきました。 ちょうど、ちょっと足に違和感を覚えていたので休憩にもなりました。ここから4番までの道は素晴しい雰囲気で、竹薮の中、切り通し、梅林と歩き遍路の醍醐味を味わいます。 足にさらに違和感がありますが速度に支障なく進めます。立ち止まり休む他の歩き遍路さんに大丈夫ですかと声を掛けれるほどの余裕です。
ところが4番を過ぎ5番にかかる辺りから痛みを感じ、さらに進むごとに痛みが増します。5番を出て3kmほどのところにある寿食堂に転がり込むようにたどり着き、靴下を脱いで足の裏をさすりながら、うどんを食べて足を休めました。 それからは、足の裏、膝の後ろ、右足の付根と、下半身がボロボロです。
それでも、歩けるもので7番を出るころはまだ午後2時49分、8番まで行ける時間なので、さらに出発しました。このあとの4.2kmは苦悶の歩行でしたが、上半身はいたって普通だったので、 街道沿いにある祠や、石仏、遍路石を見ながら興味深くすすめました。また帰宅途中の自転車の学生からこんにちはと声を掛けられ、元気がでました。
8番にやっと到着、本堂への石段を登るにはきつくて右足が上がらず、引き摺りながらの参拝でした。
ここで、タクシーを呼び29分で1番に逆戻り、4310円の料金でした。

8番熊谷寺 から 11番藤井寺まで (2006.3.8)
2番極楽寺の宿坊に泊まり、翌朝、車で8番へ、駐車場に車を停めさせてもらって、午前8時出発です。 足の裏のいたるところに水ぶくれができて裂けています、足の筋は張り、腰も痛いけど1日で帰ってしまったのでは情けない。 それに、昨夜泊まった宿坊で隣部屋になった方(68歳男性)は1周し終えた方で、人間歩けば歩けるように順応するとものだと励まされてくれて、足のお守りも頂いたので止めるわけにもいきません。 朝一はそれでも難なく歩けてましたが、9番を越えて小豆洗大師の庵あたりから、3分の1歩ずつしか進めなくなり、ちょっと歩いてはまた休み、でも、無理すればいけるもので、 歩き遍路ツアーや若い娘遍路など何十人もの遍路さんに追い抜かれましたが何とか10番に着きました。
参拝をすませ境内の石段をそろりそろりと下っていると、何人もの人が心配してくれて湿布をくれる方がいらしたので、すぐに足の付根に貼りました。 山門のところで、先ほどの遍路さんが頼んでいてくれたらしく軽トラのおじさんが11番まで乗せていってやるよと云ってくれましたが、それでは何の意味もなくなるので丁重にお断りし、ミカンだけ頂いてそそくさと下りました。 参道にある小さなうどん屋さんで、靴下を脱いで足を休めて、この先どうしようかと思いあぐねましたがまだ正午なので、9.3kmあるけどたっぷり時間があるから行くことにします。
夫婦づれが追い越していきます。また、大きな声で語り合いながら歩いている4人づれになった親父達の遍路が通りすぎます。もうへろへろで欄干の無い潜水橋の上では川をゆっくり見て休憩を取りました。11番までの長いこと、 風景がゆっくりしか変わっていきません。11番は車で何度も来てますが、歩き道の入り口は意外なところからで、下って入ります。 到着したのは午後3時48分です。他の人等はとっくに宿に着いて風呂に入っている時刻でしょう。
今回の終点は、吉野川を渡って、反対側の山裾のお寺です、皆さんより倍の時間がかかりましたが、歩きとおすことができました。 何のトレーニングもしないでのいきなりの出発はやっぱり無理があったようですが、菜の花が咲く春の田園地帯の遍路道をゆっくり楽しむことができました。
タクシー2390円であっとゆう間に、一日かけて苦労して歩いたのに逆戻りです。
後日談ですが、その後の3月28日に車で南愛媛の40番観自在寺に参拝していたときのことですが、初老遍路が声を掛けてきました。もしかして切幡寺で杖を担ぐように持って遍路してたひとですかと、 なんと、そのときに出会った人が私を覚えていたのです。その人はそのまま通しで遍路をしていたのですね。

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