創業天保二年(1831)。県内でも屈指の老舗が山丹正宗を醸す今治市唯一の蔵、株式会社八木酒造部です。2000石。

 八木氏の先祖は大和国八木之郷出身。治承四年、源頼朝が挙兵したおり、平家の大庭景親に属し、平家の滅亡とともに大和国に移り住みました。慶長年間のこと、今治国府城主小川祐忠に招かれますが、関ヶ原の戦いで小川祐忠が石田三成に就いたため、敗退。先祖は今治の北、波方(なみかた)に住むことになります。武家から商家となり、天保二年には醤油づくりと木綿商をはじめ、ご城下に出て、文政年間に丹波屋の跡目を継ぎました。
 天保五年には酒造りを始めました。これが山丹正宗のはじまり。また、回船業など手広く商売を行っています。商売を行う傍ら、地元への奉仕も数多く行い、天保五年には米価が高騰したときには町方困窮者へ米五十俵を安く売るなど、地域に愛される企業として歩んできました。

 山丹正宗の名前は丹波屋の屋号と「丹」の字を使った家紋を使っていたことから。それにキレの良い酒の代名詞、正宗にあやかり、「∧丹正宗」としました。平成九年、読みにくいとの声に応え「山丹正宗」とデザインを変更し、現在に至っています。また、古来「山丹」の意味は「山ゆり」といわれ、やさしい口ざわりのお酒を象徴したものかもしれません。
 仕込み水は今治市を流れる蒼社川の伏流水。石鎚山系、鈍川からの豊かな水は昭和天皇が今治を訪れた際、お茶の水に選ばれています。
 また、全国鑑評会金賞受賞は七回を数え、雑誌「特選街」では数多く上位にランクされ、個性的でどっしりした味に日本酒ファンより注目されています。
 杜氏は越智郡大島出身の越智杜氏、重松宗孝氏が今年引退し、企業杜氏の村上氏があとを継いでいます。

 山丹正宗の酒造りには越智杜氏が関係しています。
 越智杜氏は越智郡大島を中心とする杜氏集団。宮窪町出身が多いことから、宮窪杜氏とも呼ばれます。

 越智杜氏の出身地は島のため、平野部が少なく、自給自足の農業・漁業を行ってはいましたが、収入は少なく貧しい地域でした。また、地元産業も発達してなく、近くに働く場所もありませんでした。そこで、農閑期に出稼ぎに行くことを必要とされたのです。そのため、季節性が高く、実入りの良い酒造関係が注目されました。

 宮窪町には面白い伝説が残っています。
 宮窪にある真言宗海南寺の僧、円乗(生年不明〜1811)が酒の製造を伝え、宮窪杜氏の起源となった、というのです。かつて灘五郷の伊丹で住職をしていた円乗は伊丹の蔵元で透明な澄み酒の醸造を知っており、海南寺の住職となってからは、地域振興策として杜氏になることをすすめ、酒の製法を伝授した、といいます。かつて神仏習合の時代、神様にお供えするお神酒が寺では造られており、評判になったこともあり、この話、まったくの伝説とも言えないようです。
 円乗の墓は酒のみ地蔵として信仰されています。酒を供えて願をかければ叶えられるということから、祭壇にはコップ酒が並んでいるのです。