たまごチャーハン

オカリーナ吹きにはまってしまった。(普通、「オカリーナ」は単に「オカリナ」と呼ばれていますが、わたしは、今回インターネット上でHPを見つけ、勝手に師匠と思っているO先生の言葉を忠実に守るべく「オカリーナ」とイタリア語読みさせてもらいます。)

ずっと以前からオカリーナにはたいへん興味があった。しかし、音を生で聴いた事も手に取って触ってみた事もない...知っている事といえば粘土の素焼きで出来た土笛、素朴な音がする、ということくらい。ほとんど、未知なる楽器であった。

今から8日ほどまえの日曜日、わたしは1万円をにぎりしめ、松山の某楽器店にオカリーナを購入すべく出かけた。

オドオドしながら楽器屋に入っていったのは、

「1万円以上するならやめとこう。」

というせこい考えがあったからである。

エレキギターやキーボード、ドラムスなど、派手でかっこいい電子楽器の波をかき分ける様にして、奥の少しひっそりとした一角に入って行くと、オカリーナはガラスのショウウィンドウの中に、フルートやトランペット、ウッドブロック、マラカスなど様々な楽器と共に陳列されていた。どちらかというと、中でも地味な存在にみえるそのオカリーナという楽器は「5,800円」の値札がついていた。

「よっしゃぁ、これなら買える!!」

心の中で気合いを入れてから、店員さんを呼び、オカリーナを出してもらった。

購入したのは、ヤマハ製のソプラノF管。店の人が「ヤマハ製のオカリナは比較的音程がいいです。」といったのでこれに決定した。単純な動機である。わたしは、この時オカリーナについて全くなぁーんにも知らなかったので、これ以上の選び方ができない。

 

家に帰ってさっそく音を出してみた。

「ぽわ〜〜ぁん、ぽわ〜〜ぁん、ぽわ〜〜ぁん、ぽわ〜〜ぁん、ぽわ〜〜ぁん(ドレミファソのつもり)

指が穴を塞ぎきれていないのと、息が安定しないのとでまったくもってヘンな音である。ここで付け加えておくが、音を出すのは簡単なのだ。歌口から息を入れさえすれば音は出る。フルートのように、初めは「シューシュー」と息の音ばかりで全く音がでない、というのではない。

しかし、音楽的な音とそうでない音との差は大きい。

しばらく練習していたが、たまりかねた主人に

「おい、お化けが出そうなけん、おれが居らん時に練習してくれや。足元がふらふらする」

などと、ひどいことを言われてしまった。

 

実は、楽器屋で

「フルートを吹かれる方でしたらすぐに吹けるようになりますよ。」

と、いわれて好い気になっていた。自分でも

「オカリナくらいすぐに吹けるようになるさ」

と高をくくっていたのだ。しかし、それらは、この小さな楽器に対するわたしのおごりであり大変な間違いである事を悟った。

その後、初日のひどい音はどうにか少しましになり、主人も自分が家にいる時の練習を許してくれるようになった。しかし、その他の疑問がどんどん増えてきてわたしの中でおおいに膨れ上がり、ついに我慢ができなくなったところで、わたしは、あるオカリーナのHPを探し当てた。

 

この方のHPは、オカリーナの演奏の仕方、運指、そしてナント作り方まで載っており、そのひとつひとつに対して、豊富な音楽的知識、経験、愛情が感じられるものだった。

「オカリーナの質問に的確な答えをいただけるのはこの方しかいない!!」

 

自分でいうのも変だが、わたしの直感もまんざらでもなかったようだ。わたしの多くの疑問について、実に的確にしかも親切に答えていただいたのが、このHPの管理人であるO先生である。このO先生、初めから「ただものではない」という気がしていたが、ナント本当に、フルート界の大人物であった。まさかそこまでとは思っていないわたしは、その方の正体を知り多少びびってしまったが、

「あなたを、インターネット上の第一号弟子にしましょう」

と冗談にでも言っていただいたその気さくさに、どっぷりと甘えてしまった。(ところで、「弟26号」とかでなく、「第一号」という所を見ると、インターネットを使ってそんな図々しい質問等をして来るやつなんて、そうそう居るもんじゃないのだろう...。そういう意味では、わたしって、やはり相当めずらしいアホかもしれない。)

さて、そうこうしている内にオカリーナを始めて約1週間が経った。

オカリーナは、単純な楽器である。土くれに穴が空いている、まぁ、ただそれだけの楽器なのである。フルートのように、精巧なメカニックもついていなければ、キラキラと輝く派手やかさもない。しかし、だからこそ、楽器のもつ魂の強さには計り知れないものがある。

ふつう、オカリーナは「ソ」とならしても、「ソ」周辺のおとが出るだけで、「ソ」が出るとは限らないらしい。どちらかというと、草笛とか、口笛のように、自分で音程を作る楽器なのだ。そこで、息の強さを調節し、お腹でしっかりとささえ、先に頭のなかに描いておいた「ソ」のイメージを楽器から引っ張り出す。しかし、このとき無理をすれば、楽器は吹き手を背き、そのことは音色となって表われる。

ヴィブラートにしてもそうだ。少しヴィブラートを派手に付けると、楽器の素朴さをぶち壊した、悪趣味でいやらしい響きになってしまう。かといって、ノンヴィブラートでは味気なく、飾らない素直なヴィブラートが必要になる。

オカリーナは音の強弱がつかない。息の強さは即音程の高低となって表われる。それを補うためにも、その音楽の部分にあったヴィブラートの変化は大切な表現手段である。

相手の素朴さ故に、自分のものにできにくいもどかしさ...わたしは、それまでいかに自分がメカニックな部分に頼りすぎ、本当の音の姿を見失って誤魔化し通してきたか、を思い知らされるような気持ちがした。この、吹き手をあまりにもストレートに映し出す小さな楽器に、いつしかどっぷりはまって行きそうであった。

このように、なかなか手強い楽器であるが、わたしのインターネット上の師匠である所のO先生は、ヘンデルやイベール、ラフマニノフまでオカリーナで吹いてしまう。(じつは、わたしはこの中のラフマニノフをネット上で少し聞いた事があるだけ...それだけでもすばらしく素適な演奏なのだが、他の曲も、ぜひ一度聴いてみたいと強く思っている。)オカリーナといえば、「コンドルは飛んでいく」や、「大黄河」だと思っていたわたしは、ひどいカルチャーショックである。

そんな折、一週間かけて練習していた「風の通り道(隣りのトトロより)」がそろそろ仕上がったので、(...ラフマニノフとはエラい違いで申し訳ない。)かねてよりピアノ伴奏をしてくれている主人の妹の所へ、オカリーナを合わせにいった。そして、簡単な一曲を吹いただけで、なんだか汗だくになりげっそり疲れてしまった。義妹曰く、

Kさん(わたしの事)がそんなに汗だくで一生懸命吹きよるの、はじめて見た。」

...そこで、オカリーナは意外に難しい事、そのわけ、など説明すると、次のように言った。

「ふぅん、そしたらオカリナゆうて、中華料理のたまごチャーハンみたいなもんやなぁ。中華料理する人ら、行き着く所は一番単純なたまごチャーハンがいかにじょうずに作れるか、ってよくいうやろ!?」

うーむ、面白い事を言いやがったものだ。そうだ、オカリーナは笛吹きのたまごチャーハンなのだ。だとすれば、料理人たるもの、素材の良さも追求せねばなるまい。演奏の次に来るのは、やはりオカリーナ作りだろうか...!?

O先生は既にそのことも実行されておられるスゴい人である。興味のある方は、「りん♪りん♪りんく」経由でO先生のHPをご覧ください。O先生のお人柄が滲み出ているたいへんユーモアとサービス精神に溢れたHPです。