別子銅山の歴史を学ぶ会

 山根体育館前で、煙突山の歴史・概要のレクチャー

 新道から、登っていきます。

 到着 !!  思ったよりも高低差があります。(標高144,7m)

 ここからは、新居浜市街が一望できます。

 煙突の頭頂部の原寸大模型





  
  煙突山を、こよなく愛している方から、写真の撮り方を教えていただきました。
「背景の雲を上手く取り込み、写真から色を抜いてみると面白い。」 と、・・・
 なるほど・・・ 昔、精錬所が稼動していた時のような雰囲気になりました。煙突から、煙が出ています。
彼らは、実際に昔のように、煙突から、煙らしき物を出して、少しの時間で良いので、再現したいと言っていました。
某・国営放送局の、”熱中人生”に、取り上げてもらいたい企画です。

 その後、奥の院へ、移動しました。

  
玉垣には、明治時代に、別子銅山で活躍された方の名前が多く有ります。
明治32年8月28日の別子大水害で、犠牲になられた、志尾貫一の、名前もも、有りました。
100年以上の前の出来事ですが、御子孫の方は、毎年、慰霊に8月28日には、新居浜に供養にこられています。
草葉の影から、喜び、子孫の繁栄を見守ってくれていると思います。


 ここから見る、新居浜市街地も、良いです。

 「別子銅山の歴史を学ぶ会」は、少し、中断しておりましたが、再開しました。
次回は、11月に開催されるようです。 情報が入りましたら、お知らせします。