唐谷・三連橋

 明治26年、標高1000mを超える、新居浜の、別子銅山・山中に、鉱山鉄道が走っていました。(上部鉄道)
ちなみに、新居浜市の平野部に国鉄が来たのは、ずーーと後で、大正10年。
愛媛県の県庁のある松山は、(鉄道がない沖縄を除いて)県庁所在地で最後の、昭和2年になって、国鉄駅が出来ました。
 1000mを超える山中であるがゆえに、急カーブも多く、運転に神経を使われたようですが、明治44年役目を終えて
廃線になるまで無事故だったと記録があります。
 上部鉄道で、絵になるのが、ここ 唐谷・三連橋 。  CMでも、登場します。
この橋を、蒸気機関車が走っているのを、見たかったのは、私だけではないと思う。
松山市の”坊ちゃん列車”と同じドイツのクラウス社の蒸気機関車を使っていました。
 上部鉄道の中で、川の中に橋脚があるのは、ここだけです。100年以上経つのに、残っています。
なぜ・・・ ?
 答えは、
       
  河床が、しっかりと作られています。 足元の基礎がしっかりしていると言う事です。

  そして、 ・・・
 上流側   下流側

上の写真からわかるように、上流側は、水を受け止め、横に上手く流せるように丸く土台から、作られています。
下流側は、角型でスパッ・・と、流れを切り、大きな渦を作らない構造です。 流体実験室を持たなかったであろう明治時代の、先人達の経験論からかもしれません。
河床の、丁寧な工事と、昔からの職人経験からの流体力学の、融合でしょう。
100年経っても、存在感があります。
 現在、多額の費用を使って、流体実験室で行なっている実験は、未来を作っているのではなく、過去を検証しているだけに思えてしまう。

  雪の、唐谷です。