神様の火

神戸新聞記者 江見水陰の、別子銅山変災視察録 「星」 の、第七報



石ヶ山丈の社宅は、「長さ12間・幅3間 を、6戸に仕切りてあり」 とある。
 1戸あたり、12畳です。
風呂は、共同風呂、トイレも多分長屋の端にあったから、これで生活できたのだと思います。


 石ヶ山丈停車場は、標高835m 社宅はもう少し上方にあったから850mとして
100mで、0,7度気温が下がるとして 8.50X0.7=5,95度 約6℃、平地より低いと思います。
8月28日頃、日中でも六十八度位とあります。
この当時は、華氏六十八度が使われていたでしょうから、現在の摂氏にして20℃でしょうか。
少し低いような気がしますが、この数字を信じれば夜間は、15度前後?
それで、裸体で雨に濡れれば、寒かっただろうと想像できます。


立川村で、石ヶ山丈の火事で逃道を照らされ助かったのは、事実と認めますが、「白昼の如く明らかになり ・・・ 」は、
誇大だと感じます。

 立川から
立川から見た、石ヶ山丈。 2つの尾根の向こうに、石ヶ山丈が、少しだけ見える。
昔の人は、暗闇に慣れていたのと、嵐の後で、雲にも光が反射して明るく見えたのではないか ?
火事の明かりで助かったのだから、これはこれで、良かったと思う。