表と裏
私の住んでいる周りが大きく変わっています。開発なのか破壊なのかわかりませんが...
地域の大半は要望などしていないのに、地域住民の要望ということで、いつのまにか山を削り、谷を埋め立て、住宅街を工事車両が土煙を巻き上げながら走っています。
ちなみに道路工事の名前は「ふるさと農西7第2号」で、道路名は「ふれあい道路」だそうです。
「ふるさとを大切に、川や湖を大切に...」と言って、先頭でふるさとを壊してはいないだろうか。
「二酸化炭素を減らします」と言って、片方で車の走行台数を増やし二酸化炭素の放出量を増やそうとしてはいないだろうか。
私を含めた大人の世界では、表と裏で成り立っている。今問題になっているいじめも、今の大人を手本に子供たちが学べば当然の成り行きではないだろうか。大人社会では当然のように行われている行為も、子ども社会に置き換えればいじめと呼べないだろうか。
権力者の前で百点満点だったら、権力者の目の届かないところでは何をしてもいい。また、権力を手にすると何もかも許されているかのように振る舞ってしまう。でも、もっと権力を持つ者がいるから、私には権力などないと思ってしまう。
そうして、少しずつ自分の都合しか考えない人間が増え、それを誰も止められなくなっているのではないだろうか。


大洲城建設
大洲城天守閣を復元することが、決まったそうです。
現在ある公園も、天守閣跡にある木々の木陰も全てなくなり、子どもの遊び場は駐車場か売店になるのでしょうね?
大洲市のシンボル復活もいいでしょうが、市民の憩いの場はどこにあるのでしょう。何か施設を作っても、自動車利用を前提にした公園になるのでしょうか?

観光のため天守閣を復元する。でも、天守閣跡には観光客の人たちが訪れているはずです。写真を撮りに出かけた日、30分の間に数組の家族が上がってこられました。そして、天守閣跡にはベンチもないためか、数分で帰られています。木陰は肱川から吹き上げる風がとても気持ち良く、座れる所でもあればしばらく座っていられるのに、残念です。
天守閣などなくても歴史が感じられ、今のまま残して置くことが良いのではないかと思います。
それでも建設するには何か利益があるからなのでしょう。莫大なお金を入れて作った施設が雑草に覆われても、作るまでの行為が大切なのでしょうね。


総合斎場建設
近くにある斎場が古くなったため、今の所より少し奥に総合斎場を作ることになったようです。 今でも住宅街の中を参列の車が10台前後の列で走り、「ふれあい道路」「下水工事」の関係車両が走る中、後二年間は工事車両が土煙を上げながら走ります。その後、一度に100台近くの自動車・バスが走ることでしょう。ごく一部の人たちの利益から考えるとそんなことは微々たる事なのでしょうか。代償に道路が広くなったとして、それが果たして幸せであると言えるのでしょうか?
いつのまにか権力を持った人たちの都合の良いようになって、ふるさとの事など誰も考えていないようです。

山を切り崩し、道路を引き、何か施設を作ることが幸せであると錯覚してはいないでしょうか。
どんな事にも裏と表があり、それをうまく使い分けなければ、今の世の中で生きて行けないのでしょうか。
「長い物には巻かれよ」の通り巻かれて一生を過ごし、私だけは満足でいいのでしょう。しかし...
こんな事を言っても私が損をするだけで何にも変わらないと思います。
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