明日の子供たちのために
明日の子供たちに残せるものは何だろう。 買い物帰りのお母さんが自転車で赤信号を渡って行く。そんなお母さんも幼子に「赤信号で渡ってダメ」と言っているのだろうか。それとも、「規則なんて守らなくてもいいから、自分の都合の良いように上手く生きて行きなさい」と言っているのだろうか。 それとも、みんながやれば真似をしても良いと言っているのだろうか。 どんなにお偉い事を言っても、他の人に知られなければ何をしてもいいし、自分の徳にならない話は聞く必要がない。 言うこととやることが違っても、自分が徳をするなら恥じではない。 明日の子供たちより、今生きている自分が満足するために努力する。 そして他人の痛みなど知らないし、理解しようともしなくなり、人間が単なる生き物で、地球上の一員にすぎないことは忘れ、人間が地球を把握しているような錯覚に陥る。 急激に変化することには敏感だけど、緩やかな変化には気づかず、いつか四季を忘れてしまう。 また、人は何でも数値化しようとする。そして人間までも成績、能力、業績、性格、個性を数値化しようとする。なぜなら、数値化すれば数値をもとに比較し判断を下すことが簡単だから。 数値化するということはサンプリングすることから始まるが、サンプリング周期に合わせてプラスへ数値を上げれば、どんな人であろうと優秀であると決定されてしまう。ということはサンプリング周期の間にいくらマイナスであっても良いということである。 これがディジタルな人間たちなのではないだろうか。 生き物はロボットではないのだから数値化できるはずなどないのに、数値化して全て把握できたような錯覚に陥る。数値化で大事な何かが欠落しているかもしれないのに。 生き物は生き物によって蝕まれていくことがある。人間が悪性ウィルスに侵されるように、人間が地球という巨大な生き物に住みついた悪性ウィルスになってはいないか。 自然の驚異と呼ばれるものは、もしかすると地球の自己治癒かもしれない。人間は自然の力に負けまいと進化している。人間にとって悪性なウィルスも人間の自己治癒に負けまいと進化し、そして死に致しめる。いつかウィルスは人間と共に滅びることを知らないで。 子供たちに残さなければならないものは、生物全てが無限の可能性を秘めて共存しているということ。自分が幸せな時、幸せな分だけ誰かに負担をかけていないか冷静に判断できるやさしさ。 「子は親をうつす鏡」と言われるように、「子供は大人をうつす鏡」である。 |
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