大洲市の葬祭場移転に関して反対署名と陳情書を、平成8年10月8日に市へ提出しましたが、平成9年2月3日に「回答とお願い」が反対署名者へ配られました。
回答の結論は、どうしても建設したいので協力をして頂きたいというものです。 地区代表者で話し合い「回答とお願い」に対して意見書を作成して、もう一度考え直してほしいことを市へ文書で伝えることになり、現在その文書を検討・作成を行っているところです。でき次第市へ送付します。 しかし、80人程度が反対しても結局は移転建設されるでしょう。市民は単に住んでいるだけで市の考えには背けないでしょうから。 昨年10月20日にNHK−TVで、アメリカのチャタヌーガ市が紹介されていました。工事を行う場合、一人でも反対する人がいればその工事は実施されることがなく。反対者が納得できるように変更を加えていくのだそうです。大変な作業だと思いますが市民にとっては住みやすくなるのではないでしょうか。 私の周りはどうでしょう。ごく一部で決めたことが「多数決により..」とまかり通り、 地区会で参加できない方は委任状をお願いして決めたことが、「私が居ないところで勝手に反対するようにして」と後から批難され、いつのまにか反対することがいけなかったように言われてしまう。 そして多数の意見より、権力者一人の意見が正しい事となる。 私が今の所へ移り住んだ頃の話です。家と横の小川の間に狭い空き地があります。雑草で覆われているより花でも咲いていたほうが火葬場へ向かう人たちにも感じがよいのではと勝手に思い、コスモスを植えたことがありました。花も終わり、枯れた茎を引き抜いていたら地元の人(今も発言力がある方)が単車で通りかかり、 「そこに花を植えたりするから、下(下流のこと)に砂が溜まるのじゃろうが!余計なことをするな!」 と怒られてしまいました。 私はその時、情けなくて、情けなくて、そして悔しくて、悔しくて泣きそうになってしまいました。 たった一人の言葉に私はやる気をなくしてしまったのです。そして、たった一人の言葉に私は「これが大洲なのだ」という忘れられない傷を負ったのです。 近くの町では「花いっぱい運動」が定着して、掃除された道路の周りにはいつも花が植えられているというのに...。 今回の反対署名、反対陳情もたぶん「余計なこと」になっているのでしょうね。 以下に「回答とお願い」の写しを掲載します。 2月15日 ![]() ![]() |