ぼやきその二
管理者とは何だろう。
部下を出世をさせることだろうか。
仕事にやりがいを与えることだろうか。
どんなに厳しくても、どんなにつらいことでもたった一言で勇気づけられることがある。
しかし、毎日厳しく、つらい仕事をして「出世するからな」で毎日責められ、「どたま、カチ割ったろうか!」と言われて、どんな思いがするだろう。
その言葉を、周りの人はどんな思いで聞いているのだろう。
部下には仕事が遅いと仕事を続けさせ、自分は腹が減ったから食事をする。
何が楽しくて仕事ができるだろう。
単に生活するため身を削り、もくもくと仕事をこなしていく。
それで何になるのだろう。
会社のため?管理者のため?自分のため?

いつのまにか会社のため、ひいては自分のためとは思わなくなり、生活のためにしかたなく仕事をこなしてはいないだろうか。
サービス残業は当たり前でなければならない、残業もできない奴はいらない。
だけど、一方で「サービス残業はやっていませんよ。」
人を削減しても、仕事のやり方を変えず、数値を見て効率化されたと判断してはいないか。
数値に現れない苦労を、誰が考えてくれるのか。
会社が生まれたときからのしきたりを大切に守り、仕事そのもののやり方は変えない。
パソコンが使えなくたって、知らなくたって、マルチメディアを売る会社の管理者として、業務の改善を考えられる。
ワープロだって表計算だって電子メールだって、全て部下にやらせばいいのだから。
そして、システム担当者が何を言っているのか解らないから、システム担当者が仕事をしているとは理解できない。まして学ぼうなどとは考えない。

働いていれば時間など関係なくなる時があるもの。
だけど夜遅くまで仕事をすることが当たり前になってはいないか。
それが「仕事する」と思っていないか。
早く帰る者は仕事をしていないと思っていないか。
昔からのやり方で、いくら情報社会になろうと仕事のやり方は同じにしなければならないと思っていないか。
今のまま部下が管理者になったとき、恐らく同じやり方をするのだろう。
「私もしたのだから、君たちも同じ事をしなければならない。」
永遠にこの繰り返しが行われ、うまく立ち振る舞わなくては損をする。
そして、こんな事を書いている私は煙たがれ、居場所がなくなことでしょう。
それが、私が勤めている会社。
マルチメディア会社。

1997/05/15
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