モラルとマナーと...

列車の割り込み乗車でも何でも、最終は個人のモラルなのだろうか。
モラルがないというのか、マナーがないというのか、平気で割り込み乗車ができる人達。
自分の都合で、自分が都合良いように自分勝手に...恥ずかしさなんて、微塵も感じられない。
割り込み乗車なんていつも見る光景で、誰も気にしていないように、まるでその行為が当然であるかのように思えてしまう。
以前、地域の集会で「それは個人のモラルの問題だから、他人がどうこう言えないんじゃないですか」と年輩の方から指摘されたことがあったが、では個人のモラルなら自分の都合の良いように何をしてもいいのだろうか。
では、モラルやマナーとは何だろう。
辞書でモラルは「道徳」「倫理」とあり、マナーは「行儀」「作法」「礼儀」とあるけど、あたり前のことがあたり前ではなくなった現在では死語になりつつあるのだろうか。

マナーを守っている人達が損をして、その人達がいつの日にか報われる訳でもなく、いつまで経っても損をして一生を終えているのではないだろうか。
いつの頃からか、どんなに悪いことをしても正々堂々と歩ける社会出来上がってしまって、何も悪いことをしていない本当に正しい人達が被害者になってしまい何も言えなくなってしまった。
何でもまかり通る、何でもあり、そして良い子と悪い子の仮面を意識せずに使い分けられるよになった。
ことさら「権利」が一人歩きをして、どんなに悪いことをしても「権利」により守られ、どんなに真っ正直でも「権利」により裸にされる。
どうせ正しいことをして損をするなら、人を騙してでもうまくやって自分が徳をする方がいいに決まっている。と、いつから変わってしまったんだろう。
何でもあり、良い子と 昔、「悪いことをすれば地獄へ行くぞ!」と、ばあちゃんや親や近所の人から言われた子供たちは、自然に悪いこと良いことの分別を学んできた。
今のばあちゃんも親や近所の人達も昔と同じような事を言っているけど、自分はまったく逆の事をしているのではないか。そんな姿を見せられて「悪いことをすれば地獄へ行くぞ!」って言われても子供たちは全く信じないだろう。

例えば、「信号は青になってから渡るんだよ」母親や大人達が幼子に教えたとしても、母親や大人達が赤信号を平気で渡る姿を見る子供たちは、どんなに学ぶだろう。

例えば、自動車に家族で乗っていて、父親や母親が交通ルールを守っていない姿を幼子に見せていたら、いくら警察や学校で指導をしても子供たちは警察や学校の先生が見ていなかったら、見つからなかったら何をしても良いのだと学んでしまわないだろうか。

例えば、道徳とか人の道などを説教している人が、平気でルールを無視して割り込み乗車をしている姿を見せつけていれば,どんなにまともな人が説教したとして誰も聞いてくれなくなるのではないだろうか。

学校崩壊などと騒がれているが、ことわざに「子は親をうつす鏡」とあるとおり、結局は親である私も含めた大人達に問題があるのだろう。
しかし、大人達は大人達自らの非に気付かずに自分の言動はいつでも正しいと思ってしまう、そして自分ではない他人へ原因を求め、自分に都合の良い自己中心的な考えになっているのではないだろうか。。
他の人の悪口を平気で言える言葉の自由に他人の気持ちなんて考えてはいない、まして自分が悪口の相手と同じであるかもしれないと我が身を振り返ることはしない。
本人にはなんでもない「これぐらい」の行為が、「塵も積もれば山となる」で社会の方向を変えてしまっていることに気付かない。

例えば、3年前までは一時停止していた踏み切りも、いつのまにかタクシーまでも一時停車しなくなった。きっと誰か止まらないで通過する車がいて、少しずつ皆が真似て止まらなくなったのだろう。
こうなったら他の踏み切りでも絶対一時停止することはなくなり、いつの日にか事故になる。

例えば、人が赤信号で通過することを通過できることを学んでしまえば、赤信号になった直後は通過するのがあたり前のようになり、他車線の車は青信号になっても車の流れがなくなってから発信するようになるだろう。そして交差点にはいつも渋滞が生まれる。
渋滞が生まれれば、まともに待っていたら交差点を通過できないものだから赤信号で通過するようになり、それを見ていた他の車は少々なら赤信号でも通過しても良いのだと都合のいいように考えてしまう。そうなればもう信号器なんて必要なくなり、見なくなる。

こんなことが車だけではなく社会全体で限りなく無数に発生して、ルールも規則もマナーもなくなってきているのではないのか。
問題が発生すると大人達は、「じゃあ何を変えればいいのか」と言って、無数にある事柄の一つだけを選び出して改善を試み、そして規則やルールを造るのだろう。
しかし、そんな受動的なことを決め期待したところですぐに抜け道が見つけ出されて、無数の仲間入りになるだけ。
そんなことより、まず大人達自身が変わらない限り、変えない限り、何も変わることはないだろう。でないと、次に続く子供たちも同じ大人になり、同じ事を繰り返すだろう。
「馬鹿正直」と言われようが、私も含め大人達自身一人一人にできることを実行しなくてはいけない。

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