受験シーズンで多くの受験生や親子で通勤列車は混み合う。 おかあさんと女子高生、グループの女子・男子高生。 「『ぼくは?』、と言われてさ。『ぼく』は少年式までだろう。馬鹿じゃなかろうか。」と面接の話か、遊んでいた時の話かわからないが後ろから聞こえてくる。 が、グループの男子高生や親子は、ホームで並んでいる人達には関係なく適当に並んで、当たり前のように割り込んで乗り込んでくる。 「年寄りには理解できないさ!」「ハイ!ハイ!入って!入って!」「押し込んでやれ!」と男子高生が後ろで言っている。 ルールや規則・法律、マナーまで無視することが当たり前になってしまったような現代であるにしても、余りに他人を軽蔑してはいないか。 将来、この子達が『大学卒』という肩書きを得て、『見識者』となってしまうのか。 そうして得た肩書きや権力を使い人を守るための決まり事を、自分自身だけを守るためにだけ利用するのではないか。 いつのまにか学力だけでしか判定できなくなり、それ以上に数値で判定する楽さを知ってしまった現代では、消しゴムで消せる人間性しか見ることができなくなったのではないだろうか。 どんなに卑怯な事や悪いことをしても、紙に良い事を書いとけば『良い子』になるのだから、こんな楽なことはない。 自分の利のために他人が傷つこうが、相手がどうなろうと知ったことではない。 と、ひょっとしたら親である大人達が子供たちに教えてはいないだろうか。 教えなくても自分以外の人達を平気で馬鹿にして軽蔑視することを、知らない間に親たち自身の行動で手本を示しているかもしれない。 『子は親をうつす鏡』と諺にあるように、親を見て子は学び育つ。 多分この高校生たちは、親に恵まれなかったのだろう。 『人の振り見て我が振りなおせ』と言う諺があるけど、大人も子供も我が振りを決して見ないのだから現代では無意味なことだろう。 他人に迷惑をかけないように、と言っても他人が迷惑しているかどうかさえわからない大人が多いから、ルール破りも当たり前になっているのではないのだろうか。 いつのまにか権利と人権を盾にして、自己中心的に物事を考える人達が増えた。 どんなに偉い人でも「知りません」と言えばそれがまかり通る時代。 そんな大人達の『表と裏』を目の当たりに見て育ち、大人達のように実践している子供達。 全ての子供達がこんなになってしまった訳ではないだろうし、こんなのはまれなことかもしれない、でも確実に増えてきていると感じるのは私の思い過ごしだろうか。 私と比べて『月とスッポン』位の差で学力優秀な若い大人達がいるのに、どうして規則やルールを守る人が少なくなったのか。 私と比べてはるかに見識者と言われる人が多いのに、どうしてルールやマナーが失われていくのか。 もしかしたら、学力とか知識とかいった記憶する力と、ルールを守ったり他人を思いやる気持ちは反比例するのかもしれない。 |