いつのまにか.....

いつのまにか...

  • 方向指示器の合図なしに右折左折をする車
  • 踏み切りは停止や徐行することなく加速する車
  • アクセルペダルに軽く足を乗せるだけで何の振動もなく法定速度以上で走れる車
  • 歩行者が歩いていたら警笛で歩行者を止めて過ぎ去る車
  • 後続車の事なんか気にしないで好き勝手に止まる車
  • 右折左折は、我が車を車道の真中まで突き出して譲ってくれるのを待つ車
  • 対向車の判断で事故が救われているのに運転が上手いと勘違いしている車
  • 道路が広くても狭くても好き勝手に駐車する車
いつのまにか、警察官が見ていなければ何をしてもよくなり、車社会の優先順位が変わった。
最近の優先の順番は、

一番 = 税金も安くなり気軽に買えるようになった大型高級車。
二番 = 大衆車。
三番 = 軽自動車。
四番 = 単車。
五番 = 原付自転車。
六番 = 自転車。
七番 = 歩行者。

歩行者が自動車の通行を邪魔するような行動をすると、けたたましく警笛を鳴らされる。
たとえ自転車であっても歩行者の方が弱いので自転車の走行を邪魔することはできない。
「自然を大切にしましょう!」と言ったり施行している人でさえ、片方で自然を犠牲に造られた施設に自家用車で出かけ余暇を楽しんでいる。
いつのまにか、どんどん都市化が進んで一人一台自家用車を持ち、自然を満喫するために自然を切り崩して出来た山の中の公園に、同じく自然を切り崩して出来た道路を利用して自家用車で出かけている。
いつのまにか、各種施設は車を使って利用することを前提に建設される。
いつのまにか、一人一台自家用車を持って道路が渋滞をすると、もっともっと広い道路を誰もが求める。
いつのまにか、広い道路の回りにはお店やさんが一杯立ち並び、車がそのお店やさんに入るために渋滞が始まる。
おまけに、駐車場も狭いものだから道路で並んで駐車待ちになり、しばらくすると好き勝手に道路に駐車する車が現れる。

いつのまにか、車での移動に時間がかかるようになりバイパス道路を誰もが求め、山を切り崩す提案に誰もが賛成をする。
バイパスが造られると少しの間だけ渋滞が緩和されるが、あっという間に車が増えて渋滞し、バイパスのバイパスが造られる。そして、渋滞が緩和されると再び車が増えて渋滞する。
いつのまにか、田舎では自家用車一人一台の時代に合せて採算のない定期バスなどは切り捨てられ、大量輸送手段は消滅する。
若者は都市部へ移り、親たちは田舎の土地を守るためどんなに歳を取っても自家用車を運転することが求められる。

いつのまにか、横断歩道で歩行者が渡るのを待つために一時停止しても歩行者は自動車が走り去るまで渡らなくなった。
おまけに、横断歩道で一時停止しようものなら、後方から警笛を鳴らしながら怒りを込めた目でにらみつつ追い越して走り去られ、更に後方の方の車も続いて追い越される。
いつのまにか、誰も彼も「あの人もこの人もやっているから私もする。」と同じことを考え、同じにしないと損をしたような気になってしまう。
いつのまにか、おまわりさんが居れば絶対にやらないことを、おまわりさんが居なければ我が天下の運転を誰もが許すようになった。
いったい何が正しいことで、何が正しくないのか。

たった一人の好き勝手な走り方で、皆が真似をして自分だけに道路があるかのような走り方に変化し、いつのまにかルールはおまわりさんの見ている前でだけ守れば良くなった。
いつのまにか交差点で直進すると見せかけて、左折しながら方向指示器をだせば対向車の前に出られ術を学んだ。

いい加減な世の中、いっそのこと交通ルールすべてを無くしてしまえばどうだろう。どうせ守らないルールなのだから。
ルールが無くなると事故が多発するかもしれない、死者が激増するかもしれない。
しかし、ルールを設けたところで違反切符を切るおまわりさんが居なければ、見ていなければ誰も守らないのだから無意味なのではないのか。
見つからなければ何をしてもよいと皆が思っている間は、何を決めても、どんなに重い罰則を設けても無意味だろう。
それに道路が沢山できて便利になったし、混雑・渋滞や死亡事故等の問題があれば「..対策」と称して道路拡張や新たに安全な道路を造ってくれる。
結局のところ、行き着くところまで行ってどんなになるか試してみるのもいいかもしれない。

おまわりさんも制服を脱いだら只の人、中には権力に守られているからかシートベルトもしないし、赤信号でもズルズル進んでいくような手本を示す人もいる。もしその人が違反切符を切ったドライバーに目撃されたら、違反切符を切られたドライバーは、バカバカしくてやってられなくなるのではないか。
また、「地球環境のために」とか「自然を大切に」と言ってはいる片方で車を増やすために山を切り崩し、海を埋め立てながら自然を壊して、自然のルールさえ守れない。法律も規則もあくまで建前だと、公に言っているようなもの。
本来は手本を示すべき者まで建前と本音を使い分けているのに、誰がバカ正直にルールや規則をまもるのか。
ということは車社会のルールなんて、車を運転免許を取得すまでの建前で、結局は誰も守らなくなるものではないか。


では、どうすれば改善されるのか、とても危険で破壊的な考え方をすると

他の車より場所を占有し、多くの燃料を消費する大型車は普通車の何倍も維持費が必要で、違反罰則金額ならびに点数も排気量とサイズで何倍にもして、駐車違反だけで高額の罰則金と免許停止になるくらいにすれば、幾らか台数が減少しマナーが回復するかもしれない。
違法駐車、今は道路が広いので「これぐらい...」となるのだろうから、道路幅を制限しセンターラインの代わりに追い越しができないくらいのブロックを置ければ、一台駐車しただけで通行不能となり違法駐車は減少するかもしれない。
または違法駐車してある車をどんなに傷つ付けても、加害者は何の罰則もないようにすれば、違法駐車は減少するかもしれない。ただし、傷害事件が多発する恐れがある。
国道やバイパスなど主要道路沿いに新しくお店を出す場合、お店が自前で道路を拡張してメイン道路の流れを妨げないようにしなくてはならない、もし流れが止まれば即営業停止!となれば道路沿いばかりが発展することがなくなるかもしれない。

客観的に、第三者の立場で自分自身の行動を見つめ直してください。
私も、そして誰もが悔い改めなければならないことがあるはず。
何気ないルール、当たり前のマナーを一人でも多く守ることができれば「いつのまにか」無法化社会は過去のことになってるかもしれない。

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