どうでもいいこと、だけど・・・
<理不尽と不条理 其の四>

車社会(違法駐車)  
 どこでも勝手に駐車する、考える(?)たち。
いつの頃からか自己中心的で、周りのことなど何も考えなくなったたち。
 おかあさんも、おとうさんも、お兄さんも、お姉さんも、先生も、おまわりさんも・・・駐車禁止区域でも、道路が狭くても、おかまいなしに駐車をしている。
特に高級車と言われる大型普通車が多いのは、優越感から?それとも権力を象徴する「ゆとりの・・」車だから?
狭い道路でも、渋滞しても、とても平気に悠々としてる高級車。
駐車違反になりそうだと、「すみません。すみません。」で許してもらえるし、ぶつけられても相手が全て弁償してくれるのだから、違法駐車ほど気楽なものはないのだろう。
「ちょっとだけ」の基準が曖昧で、30分駐車していても運転手の思いは、駐車は5分だったと思い込んでしまう。
例え違法駐車が原因で交通事故が起こったとしても、違法駐車の運転手は何の罪にも問われないし責任を負う必要がないのだから、何にも気兼ねすることはない。
まして車が傷つけられても相手が全て修理してくれるのだから・・・。
その上、駐車代はタダだし・・・好き勝手に駐車することは、何とすばらしいことだろう。
はきっと子供達にも教えているだろう。法律を上手く利用することを学べば、違法駐車でなくなるんだよ。だから君は好き勝手に自分の都合で何をしてもいいんだ!それが考えると言われる由縁だよ。と

どんなに注意してもなくならない違法駐車。罰則があっても平気で規則を破れるのだから、他の規則が守れるはずもない。
まして、罰則がなく心遣いを求められる人間としてのマナーが失われるのは当然と言えば当然の成り行きだろう。
自分が損をするとか、自分が痛い目に合う、といったことがないと規則を守らなくなっているのではないか。隠してしまえばいいとか、黙っていればわからないとか、私は強いんだからとか・・・。
いっそのこと、違法駐車車両を駐車時間に関わらず、どんなに傷をつけても罪にならないようにすれば良いのではないか。
たとえ超高級車であろうが、乗っている人が誰であろうと、車をボコボコにすることが許されたら、少しは違法駐車が減るかもしれない。
上のような破壊的な規則が生まれたとしても、現代は既に他人のことなど誰も考慮しない、理不尽で無秩序な世の中なのだから、これ以上無秩序になったところで何も問題はないだろう。


車社会(交差点)  
 いつのころか交差点でも車線変更でも、方向指示器を点滅させる車を見なくなった。
根拠はないけど、オートマチック車の普及に合っているのではないだろうか。は楽になると頭までお休みになるようだ。
オートマチック車にすると運転がルーズになり、車内は個人の空間になった。
そして、個人の空間では何をしても良くなり、いつのまにか車内から見える全てが車内の延長線になった。「見える範囲全てが自分の為にある世界」だと・・・。
車線変更、右折左折、方向を変える瞬間に方向指示器を作動させる。ある時は作動させない。携帯電話でのお話に夢中で、方向指示器なんてものには気を止めない。
信号機は、おまわりさんが見ていなければ赤信号でも通過するのが当たり前、黄色で停車する馬鹿正直は後続の常識から警笛をけたたましく鳴らされオドオドしてしまう。
歩行者だって、自転車だって、自動車だって、信号機は単なる交差点の目印でしかない。
皆が好き勝手に走り、後続車の急ブレーキ、渋滞は当たり前。
ギヤ操作もクラッチ操作もないのに、一時停止することを嫌がり、横断歩行者より早く通り抜けようとスピードアップをする。時には歩行者に怒鳴り散らしながら警笛を鳴らす。
間違って注意しようものなら、「あんたに言われる筋合いはない!」と怒鳴られるか、いきなりナイフで刺される。まあ、刺したとしても「衝動的に、ちょっと病気で・・」と無罪放免になる。
あいつがするなら私もする。と安易に考えて、規則は規則と建前で物事を片付け、いつのまにかルール無視で、ご意見無用の時代になった。
そして、そうすることが常識となった。
そして、誰も不思議に思わなくなった。

「あの暴走車が!」と言っている本人が一番危ない運転をしているのかも知れないことに、誰も気づかない。いや、気づくだけの思考能力がすでに無くなった。
逆に、常識から「暴走車」と言われそうな走り屋の車が、街中では規則を守って運転をしていたりする。
要は、皆が外見で判断している。
高級車に乗っているから、普通の車に乗っているから、あの人はマナーが良い普通の人。と。
でも、我が物顔で、歩行者をクラクションで蹴散らしながら走っているのは、どんな車か思い出してみたらいい。
歩行者を蹴散らすのは自動車ばかりではない、通勤・通学の自転車だって我が物顔だ。
事故になったとしても、「私は方向指示器を作動させて曲がっていたのに・・・」「私は何も間違ったことをしていない。」と私は弱いだと言い切れば、それで許される時代。他人を傷つけても犠牲にしても、言葉巧みに弁解すれば正論でまかり通る時代。
多分どんな対策を講じようとルールを守ることはできないだろう。
は、どんなにしたってだから

Back