どうでもいいこと、だけど・・・
<理不尽と不条理 其の五>

割り込み乗車<駅のホームにて>  
 駅のホーム。そこは、限られた世界なのに多種多様の人間模様があり、まるで社会の縮図を見ているようで見ていて飽きない。
でも、時に怒りさえ覚えることがあるのが残念だ。
怒りの原因は割り込み乗車
割り込み乗車の手順と、割り込んだ人の顔と、言い訳がましい独り言。
人それぞれ、多種多様。

 ここ田舎では列車の便数が少ないため、並んでいないと座ることができない。そのような時、マナー喪失、思いやりの喪失を見ることができる。
並んでいる方も悪い。バラバラに並んで、何処の列に続けば良いかわからない並び方をしている。
たった一人でも列から外れて並ぶと、列はいつのまにかのようになり。その枝が更に分かれ、いつのまにか蟻が砂糖に群がる様相となる。
並ぶ側も後のことを考えて並ぶことをすれば、もしかしたら幾分改善されるかもしれないけど、そんな他人のことまで考えるような人は、とても少ない。
高校生だって、大学生だって、学校の先生だって、お坊さんだって、仕事帰りの人だって、私と同じ会社の人だって、誰が悪いということはない。
皆、他人のことまで考えて行動していない。いや、する必要がないから誰も後に続くことなど考えていないのかもしれない。
自分さえ良ければ、何の問題もない。
だから列は乱れるのだろう。

それとホームの作りも悪い。
列の後ろにベンチがあり、30分も立って並んでいるより座っている方がいいし、列を外れて手摺にもたれかかっている方が楽に決まっている。
どの人もベンチに座って、手摺にもたれかかり、元気にペラペラとお喋りをして・・・。
人生は楽にね! そして列は乱れる。
しかし、ベンチに座っている人や、手摺にもたれかかっている人にしてみれば、きっと「あの人の次だった」と心の中で思っているのだろう。
列車が到着して乗り込むようになると、いきなり荷物を持って乗り口へ一直線。
おいおい30分も立ったまま待っていた人はどうなるの?と思ってしまう。
そして、一直線に割り込む人、これが結構女性に多い。
ホームのアナウンスで「割り込み乗車は、お止めください。」と言っていても、恐らく「これ位いいじゃない!」と自己正当化しているんだろう。グイグイ割り込んでくる。
後ろから「割り込むなよ」と言われると、「なによ!」と小声でブツブツ言いながら前だけ見て乗り込んでしまう。

特に夏休み、冬休み、春休みが最悪となる。
小学生の子供を連れたお母さんは子供達を引き連れて、我先にと割り込んでくる。それも遠慮なく、グイグイと割り込んでくる。
そして、入り口近くの席で通路に陣取ってああでもないこうでもないと子供達と座る順番でもめている。そして、後から乗り込む人は列車の中に入ることもできず、つい後ろからグイグイ押すこととなる。
思いやりとか、いたわりを教えなければならい親が、年寄りだろうが障害者だろうが一切関係なく、前に居る他人を押し退け割り込む姿を子供達に見せているのだ。

前に見た光景に、列車から降りようとしていたら降りるのを待たないで割り込んで乗り込んでくる男性がいた。
乗り込もうと並んでいた先頭の男性が大声で「割り込むなよ!」と怒鳴ると。乗り込んできた男性は後ろを振り向かずに「何が!早い門勝ちブツブツ・・・」と最後の方は聞こえないくらい小さな声になりながら消えていった。

 更に面白いのは、順番に並んでいて、途中に割り込んで並ぶ人達の仕草である。
割り込んでくる人たちには女性が圧倒的に多いが、周りをキョロキョロと見回しながら立ち止まると、ニワトリのように頭を左右に振り続けながら数センチづつ前進する。
後ろに並んでいる人の目線を感じると頭の動きを止め、その場で背伸びをするように踵を浮かせて鼻歌でも歌うかのように、リズミカルに、可愛らしくトントンとしている。
それから目線を感じない方向に数センチずつ移動し列へ近づく。そして列の一部に同化して枝を作る。
あれ?油断をしてよそ見をしていると、いつの間にか前にいるではないか。
そして可愛らしくつま先立ちしてトントンとしてニワトリのように首をクルクルと回している。
そして、乗り込む時になると、一気に数人をパスして無理やり割り込んでいく。
ニワトリのようにキョロキョロしながら列に同化しようとするのは、やっぱり自分自身がやましいと感じているからだろうか。それとも、他の人のスキをみているのか。

今日は10人目だから座れるだろう。でも乗り込む時には20人目か30人目になっているのは、私がノロマだから?
後ろの方からはブツブツ批難するかのように悪口が聞こえてくる。でも直接は誰も何も言えない。
言ったところで「何が悪いの?」「法律で決まっているの?」「あなたもしたら?」と言い返されるのが落ちだから。
ましていきなり殴られたり、ナイフやで刺されたりしたら言い損になってしまう。
それに言い合っている間に他の人が先に乗り込んでしまうし・・・注意しないのが賢い選択となる。そして、次は私も割り込もうと考えてしまう。
「自己中」 と批難するより、皆がするから私もしなければ損。と考えてしまう。

 現代は注意した方が悪者になって、マナー違反者が正しくなる時代。
いつの頃からか「力は正義」がまかり通っている。
悪いことでも、マナー違反でも、人間として恥じるべきことでも、(何も腕力だけじゃない、他人を言い負かせる話術や地位、権力、名誉だってだ)のあるものが正しいとされている。

 割り込み乗車は女性が圧倒的に多く、割り込み乗車が当たり前の女性は、ある時は「か弱い人間」で、ある時は「男女同権」、ある時は「女性差別」、ある時は「セクハラ」の言葉を巧みに使い分けて自己中心的に物事を考えてるんだろう。
こんな事を書けば批難を浴びるから誰も言わない。でも皆感じていることではないだろうか。
もしこれに批難したくなったら批難をする前に、第三者の目で冷静に「・・・ありき」を捨てて自分自身を観察してみてください。そして周りを観察してみてください。

 ことわざに「人の振り見て我が振り直せ」とあるけど、その意味を理解して自分を戒められる人が、役人から子供までにどれだけ居るだろう。
悪いと理解していても、「力は正義」になっていないか。
「人権を守ろう!」と言いながら、自分自身の人権しか守っていないのではないか。
自分の事しか考えられなくなっているのに、物言わぬ人や正直な人の人権が守られるのか。
話術が上手な人間が、覚えた知識を並べ立てて、本人が悪いにも関わらず相手を言い負かしていないか。

 私が子供の頃は、黙々と自分を犠牲にして他人の為に尽くすような「おばちゃん」「おじいちゃん」が居たけど、現代では居なくなった。
でも、そんな老人に私はなりたい。

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