どうでもいいこと、だけど・・・
<理不尽と不条理 其の七>
人間の行き着く場所は?

人間は不思議な生き物だ。
人間は生きるためではなく、個々の欲望のまま生きているとしか思えない。

近年、益々欲望のまま、あすのこともあさってのことも考えることはしなくなった。
個人が個人の欲望の為に、個人の理屈の元、個人の判断で、個人のためにだけ行動する。
国を動かす政治家から右も左もわからない子供まで、
「自分の利益のため」
「自分のグループの利益のため」
「自分が不利益にならないため」
「自分だけを守るため」・・・

・・・権力と力が強ければ法律もルールも関係ない。
更に悪いことに、自分の都合の良いように、自分の、自分たちのためだけに法律さえ変えてしまう。

赤信号でも平気で通過する車、どこにでも勝手に駐車する車、歩行者を警笛で蹴散らしながら走る車、どれも車が悪いわけではない。すべて車を扱う人間の仕業である。
車社会には規則があり、規則が守れているか監視もしている。しかし、いつのまにか規則の監視はスピード違反だけになって、交差点や駐車など真に運転者としてのマナーが問われる場面を見過ごしていないか。
「道路の周りにあるお店屋さんに影響がある」「地域経済に影響がある」として、迷惑駐車を野放しにしていないか。
そして、プロのドライバーと言われるタクシーのマナー悪さはどうしたことだろう。プロとは、我が物顔で走ることだろうか。

現代は綺麗にアスファルト舗装された大きな道路と、初心者でも恐怖もストレスもなく簡単に法定速度をオーバーする車になり、法定速度を守る事の方が大変なことである。
恐らく、どんなにスピード違反取締りをしても事故はなくならないだろう。なぜなら、誰も取り締まらない交差点や違法駐車で、運転法規もマナーも無くしているのだから。嫌、スピード違反以外は全て許しているのだから。
それに、たとえ見つかっても、事故になっても、口先だけで、権力があることを見せれば、すべて許されるのだから、何をしても良いのだろう。
どこにそんな証拠があるの!と覚えている知識をひけらかし、決して自分が悪いとは認めない。

中学校の県大会でのこと
 生徒の親達が乗って来た車が道路に一杯。歩行の邪魔だと思いながら歩いていると、学校関係者が放送で「表の道路は駐車禁止ですから移動して下さい」と言っていた。
あれ?駐車禁止でなければいいの?
子供達もいるのに、「駐車禁止だから」はないだろう。子供達がいるなら、子供達を教育する人なら、なぜ移動しなければならないか、「歩行者や他の車の邪魔になるから」と言わなければダメでしょう。
まるで、歩行者に邪魔になっても、他の車の邪魔になっても、駐車禁止でなければ駐車しても良い。と学校関係者の方が言っているようで、思わず笑ってしまう。
他愛もないことだけど、こんなちょっとした事を無視していると、自分さえ良ければ良い。となってしまわないか。

赤信号なのに、交差点を曲がっていくおばちゃん、シートベルトはしていない。そしてユックリと走る、スピードを出さなければ、スピード違反だけしなければ安全だと勘違いしている。
きっとおばちゃんの親も、母親なら子供達も、きっとおばちゃんと同じなのだろう。同じだから何が悪いことか、良いことかわからなくなっているのだろう。

片方で、これはダメです。そして、もう片方で、都合の良いように許している。何がダメなのか理由をうやむやにして、どちらを信じたら良いのか、どちらを手本にしなければならないのか、迷子にさせている。

恐らく、物事、人間としての考え方、思想、の根本を教えなければならない親達が、「これぐらい良いじゃないの・・」と自分の都合だけになって、子供へ悪いこと、何故悪いのか、何故良いことなのか、何も教えていないのではないだろうか。幼くして犯罪を犯すのは悲惨なこと、子供も罰せなければならないだろうが、その親も罰する必要があるのではないだろうか。そんな子供に育てた親にも責任があるのだから。
子供の権利だから・・・しかし、幼い子供達にも大人と呼ばれる人と同じ善悪の区別があるのだろうか。何でもかんでも「権利」を主張し楽をすることを考えてる大人達を見て、子供達はどんなに行動するだろう。「権利」を言うなら、物言わぬ蟻んこや木々にだってあるはず。
それを聞かないのは、人間のうぬぼれじゃないの。人間は脳が発達しているから・・・蟻んこは脳が小さいから・・・木々には考える力がないから・・・。
でもみんな生きているのじゃないの?

区別して、差別して、自分の都合の良いように考えるのは人間だけだろう。
私は力が強いから何をしても良いと。
私は権力があるから何をしてもゆるされると。
私は世界に認知されているから、私のする事はすべて「正義」なのだと。
そして、個性、個性、と言って皆が同じことを考え、同じ姿になっていることに気づかない。
自分では創造や想像をすることを止めて、他人に頼る。
自分が責任を負わないように。

そして人間全てが他人や自然の事を考えなくなり、自分だけの欲望のために行動していくのだろう。
自分と同じ事を他人にされると腹が立ち、同じ事を他人にしても「まあいいじゃない、これくらい」と腹を立てることを馬鹿にする。でも、同じ事で自分が腹を立てることには気づかない。
例えば、迷惑駐車をしている車が邪魔で「こんなとこに止めやがって!」と言いながら、迷惑駐車の後ろに無断駐車をするようなもの。自分だけは、「許される」と信じて疑わない。

足し算、引き算、暗記問題の学歴は優秀なのかもしれないけど、人間としては最低になっている。
本当に優秀な人間が多ければ、こんな時代ではないはず。ということは、人間はバカになっているということか?
人権教育、と言われるずーっと昔、子供も大人も老人も思いやりがあった。しかし、今はどうだろう。
無秩序で無法社会になってしまったのはどうしてだろう?
「心の豊かさ」を、自己中心的に思い通りになることと勘違いし、人間はどこへ行こうとしているのだろう。

子供ではない残り少ない年代には、どうでもいい事だけど・・・・

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