どうでもいいこと、だけど・・・
<理不尽と不条理 其の八>
人間の我がまま

人間は不思議な生き物だ。
人間は生きるためではなく、個々の欲望のまま生きている。

個人の人権を主張し、他人の人権は考えなくなった。
どんなに悪いことでも、やっている本人は本人の都合の良い考え方で人権を主張し、決して悪いことをしているとは思わない。自分の姿は、とても神々しいとさえ思っているようだ。
しかし、他人が同じことをすると、揚足をとったかのような勢いで責めまくり、責任を追及する。
誰もがそんな調子だから口先上手、他人に負けない話術を持つ者、人間が正しくなっている。
誰もが身勝手に、規則やマナーを自分自身だけを守るためにだけ使い、他人や他の物には使わなくなっている。
現代での「自己犠牲」は、言葉の犠牲を払って自分だけの利益を得ているとではないか。
「国民のために」といって、言葉では良い事をいっているけど裏では何をしているのか疑わしいのが現実ではないだろうか。
要は、「私がしてやっている」という意識がある限り、「自己犠牲」は存在しない。

「××先生」と呼ばれるためには頭も下げます。土下座もします。
でも一旦「先生」と呼ばれると「誰に対してモノを言っているんだ!」「私を誰だと思っている!」となる。
同じ地域、同じ会社のある人が「先生」と呼ばれるために、ある人は廊下ですれ違っても「おはようございます。」と、目ざとく挨拶していたのに、「先生」になったとたん、「おはようございます。」と挨拶をしても知らん顔になってしまう。
いつの間にか、私達は無知で無力な平民扱いになる。そして、暫くしてまたペコペコと頭を下げ、また無視をする。それの繰り返し・・・
「してやっている」という言葉にはしないけど、蔑みに似た思いが体中から滲みでている。
いつの間にか、みんなの為ではなく、自分の名誉と地位と権力とお金の為に動いているとしか思えなくなる。

自然破壊は簡単だけど、自然を元に戻す事は人間にはできない。
しかし、国民の為に・・・と考えている人たちは、お金さえ出せば自然を元に戻す事が可能だと思っているのか。
洪水を防ぐため、市民を守るため、と言ってダムも作ります。城も建てます。
それで何が変わるの? 砂防ダムさえ壊して川を元に戻そうとしているとこもあるし、ホタルも住めないように川底をコンクリート張りにするところもある。
城を建てても、数年後には観光客が激減したところもある。
人間は決して自然を作り出す事はできない。
人間は決して自然を操ることはできない。
そして、失ったものは二度と返らない。
しかし、人間は何かのために自然を破壊する。何かは、自己欲とお金?

近所に、ほんの数十匹のホタルが飛びかっている場所がある。そこで網を持ち虫かごに一杯のホタルを集めている人がいた。おかげでホタルは激減してしまった。
子供のためかは知らないが、単なる自己満足のことしか考えない人間だろう。子供の為だとしても、子供はきっと親と同じ自己満足のためには周りがどうなろうと知った事ではない大人になるだろう。

無農薬野菜なんかを販売してまわる車に、ほんの十数メートルの距離から自動車に乗ってやってくる奥様。
「あれには農薬が入っているんだって・・・」と1時間以上も立ち話をして、ほんの十数メートルの自宅へ帰っていく。その間、車は道路に違法駐車。
立ち話の輪が、通行の邪魔になっている事にも気づいていない。
しかし、他人が車を数分でも止めていたら、「なんて考えのない人なの」と立ち話の話題にしてしまう。しかし、自分が違法駐車しても、なにも気にしていない。
立ち話仲間も注意しない。だって同じスポーツ仲間なんだもの。だからだろうか?
その奥様方の子供達も、きっと同じ大人になるか、それ以上に成長してしまうだろう。
自分の都合の良い解釈で物事を決めつけ、自分の都合のよいように社会を動かそうとするだろう。

朝早く、方向指示器も出さずに交差点を曲がるパトカー。
きっと自家用車に乗る時も、時折方向指示器を出す事はない人なのだろう。
一般人に対して、「うっかり忘れた」は絶対に許さないのに、自分達は許されるのだろう。
自家用車でシートベルトもせず、赤信号も気にせず通過している、休暇中の警察官。
しかし、誰も違反を立証できないし、言ったところで一般人の言うことは信じられない。例え誰かに告げ口されたところで「いえ、私はしていません」で終わってしまうのだろう。
もし警察官に止められても、同じ仲間だから交通違反全てを許されるのだろう。
ただ、新聞などで報道さえなければ。
そんなのは当たり前だと、みんな知っている。
だから、誰も交通法規など守らない。
警察官でさえ守らない交通法規を、何で守るものか。


社会でも会社でも「権力」「役職」を得るということは、人間をダメにしてしまうのではないか。
会社の中での地位が社会でも通用するのだろう。管理職の人間が横断歩道を赤信号で堂々と渡る。
そしてその管理職は社員に訓示している。「赤信号を歩いてはダメです。我が社の看板を背負っているのですから」と。
なんと馬鹿げた会社で社会だろう。

人間は、失うものを全て失い、堕ちるとこまで堕ちないと何も考えない生き物である。


どうでもいい事だけど・・・・

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