どうでもいいこと、だけど・・・
<理不尽と不条理 其の九>
実力社会とは?

 世の中、実力社会と言われるけれど、学歴社会と実力社会の違いは何だろう。
子供の頃「教育ママ」という言葉があった、「勉強しなさい!勉強しなさい!」と周りでは言われていた。
そして恐らく学力は上がったはずなのに、今の社会は何だろう。
学力優秀な人間が増えたはずなのに、なぜ現代は荒れているのか。
世の中が乱れまくっているのは何故?
「学力優秀」「有名学校卒業」 でも果たして人間としても優れているのか疑わしい。
 地元有名進学高の生徒たちが道一杯に広がって通学する。しかし、避けてはくれない。すれ違うおじさん、おばさんが身をかわしながら歩かなければならないのはなぜだろう。
他人のことを考えない学生達が将来経営者となり、そして「先生」と呼ばれる人達になると思うと、とても情けなくなる。きっと今の「大人」と呼ばれる人達と同じ道をたどるのだろう。
 親達は記憶力を測る試験の結果が良ければ「うちの子は頭が良くて賢い」と思ってしまう。本当にそうだろうか。
人間の可能性がそんなもので計れるのだろうか。人間が作った問題に100パーセント答えられたら天才と呼ばれるのだろうか。
では人間がわからない問題はどうやって作るのか。答えのない問題は、問題にはならないと決めつけてはいないか。
では、だれが答えを見つけるのか。
答えの無いものは学問とは呼べないのか?では学問は何をするためのものか。
 想像力や独創性などを備え、自分で道を切り開ける人間と、与えられた情報を数多く記憶し決められた道しか歩けない人間。
記憶した知識を、自分の欲のためだけにしか利用できなくなった人間。

 試験の結果だけで人間の能力を計れる、と信じている人には、今は答えのない問題も、明日、あさって、または来年になれば、「何処の誰が答えを出す」ことがきっと判るのだろう。

 道に広がり、通路一杯に広がってだべりながら我が物顔で歩いている進学校の生徒達、自分達が迷惑をかけているとは考えてもいないだろう。だって誰にも触れていないのだから・・・
 親達の知らないところで人を傷つけていたとしても、親達は何も気づかない。いや、気づこうともしない。「うちの子は優秀だからそんなことするはずない!」と信じて疑わない大人達。
「噂を信じないように!」と子供達に言いながら、子供達の前で噂話に興じる大人達。

 親達が、大人達が教えるべきことは記憶力を要する知識ではなく、人間として恥ずかしい行為が何かとか、困難に直面した時に乗り越えられる底力ではないだろうか。
でも、いつのまにかコンピュータのような記憶力のみを求めて、記憶した情報で考え想像する力を無くした人間達。

どうでもいい事だけど・・・・
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