織田が浜の歴史

HAMA-NET 編集者

織田が浜には、元々名前はありませんでした。運動が始まってから、人々が自然に私たちの
浜のことを「織田が浜」と呼ぶようになりました。私たちが子供のころは、単に「はま」と
呼んでいました。丁度、自分の母親を「おかあさん」と呼ぶのに似ています。

織田が浜は、東側を見れば今でも十分きれいですが、西の方を見れば、海を埋め立てた巨大な
人工の土地が広がっています。この海は、今でも瀬戸内海国立公園の一部でもあります。

1999年に開通した瀬戸内海を渡る10本の大橋は、来島海峡を渡って、今治市から尾道市まで続いています。この橋は、四国と本州をむすぶ、第3番目の大橋であります。

子供のころは、浜は私たちの天地でした。浜は自然の学校でもありました。一日中、さかな
を釣ったり、泳いだり、キャンプをして遊びました。漁船が沖から帰ってくると、漁師さん
が、魚を沢山くれました。

でも、時代も変わったので、子供たちの夢はもうありません。成長して大人になった私たち
は、厳しい現実に直面しています。21世紀には、果たして自然と工業は共存出来るでしょ
うか? 新しい世紀を待つ前に、両者のバランスは既に限界に来ていると思います。

私たちには、この地球の自然を完全にまもる手段がありません。浜は地球に残された貴重な
遺産です。そして、浜はまだ残されていますし、十分に美しいではありませんか。海はこの
地球の生きとし生けるものの、偉大なお母さんですから。

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