GLADIATORの時代〜古代ローマ〜

映画「GLADIATOR」の時代をちょこっとお勉強しましょう。
よくある質問・疑問をQ&A形式にしてみました。

 

●「GLADIATOR」の時代背景は?●
●「GLADIATOR」の登場人物で実在するのは?●
●マキシマスの腕の刺青”SPQR”の意味は?●
●当時の奴隷制度って?●
●皇帝の位を息子以外の人物に譲ることってある?●
●皇帝が闘技場に剣闘士として出場するなんてあり?●

 

Q:「GLADIATOR」の時代背景は?

ローマ帝国が建国されたのは紀元前753年とされています。西暦476年に西ローマ帝国が滅亡するまでの永きにわたりヨーロッパに君臨していたのがローマ帝国です。
「GLADIATOR」の物語は、イギリスの歴史家ギボンが
「人類がもっとも幸福であった時代」と評した西暦97年−180年の最後の年にあたります。
この時代は
「五賢帝時代」とも呼ばれ、ローマ歴代皇帝の中でも優れた人物が統治した時代でもありました。
五賢帝時代は、それまで世襲制だった皇帝の位を、
優秀な人物を養子に迎えて譲位するという方法を取っていました。マルクス・アウレリウス帝も、先代アントニヌス・ピウス帝の養子です。

Q:「GLADIATOR」の登場人物で実在するのは?

マルクス・アウレリウス、コモドゥス、ルッシラ、ルシアスの4人は実在の人物です。その他は創作上の人物です。

マルクス・アウレリウス帝は、161年に即位し、義弟のルキウス・ヴェルスを共治帝としてローマを治めていました。没する180年までの間は、辺境との戦争が絶え間なく、その生涯のほとんどを戦地で過ごしました。
また、幼い頃より
ストア哲学を修めた彼は、哲人皇帝とも呼ばれ、著書の「自省録」は今でも全世界で読まれる哲学書でもあります。「自省録」は、彼の高潔な人柄がしのばれる内容です。是非ご一読を。

コモドゥスはマルクス帝の実子です。在位180年−192年。177年に共統帝として父とともにローマを治めました。つまり、それまでの「優秀な人物に位を譲る」という慣例を、マルクス帝は破ったことになります。
コモドゥスはマルクス帝の期待に反し、皇帝の器には程遠い人物に成長してしまいました。コモドゥスは自らをヘラクレスの化身だと豪語し、
剣闘士としてコロシアムに何度も出場するほどの剣闘好きでした。長年の戦争による消耗とコモドゥス帝の浪費により、ローマ帝国の繁栄は陰りが見えてきます。192年、近衛兵の裏切りにより、コモドゥスは暗殺されます。享年31歳。コモドゥスを殺害したのはナルキッソスという剣闘士であったと伝えられます。

ルッシラは、マルクス帝の実子です。マルクス帝は妻ファウスティナとの間に14人の子供をもうけましたが、その多くは夭折し、成長したのは女子が5人男子はコモドゥス一人でした。
ルッシラは、164年に
マルクス帝の義弟であり共治帝でもあるルキウス・ヴェルスと結婚し、息子ルシアスをもうけました。弟のコモドゥスとは折り合いが悪く、コモドゥス帝の暗殺を画策したこともありました。

Q:マキシマスの腕の刺青”SPQR”の意味は?

Senatus Populus que Romanus(セナートゥス・ポポルス・クェ・ロマヌス)の頭文字を略したもの。意味は「元老院ならびにローマ市民」で、ローマを表す記号のような意味があります。今でもローマ市中、建物等いたるところでSPQRを見つけることができます。
マキシマスの時代は、脱走兵を防ぐ意味もあって、特に属国出身の兵士には刺青を入れたようです(マキシマスの故郷スペイン=ヒスパニアはローマの属国です)。ローマの象徴であるSPQRに、皇帝の名称がからんでないのは意外ですよね?

Q:当時の奴隷制度って?

 

Q:皇帝の位を息子以外の人物に譲ることってある?

 

Q:皇帝が闘技場に剣闘士として出場するなんて?