第二回イスラームコンクール作文の部入賞作品発表
「試練の裏にあるもの」  Iqraさん
イスラームを信仰するようになり、現在数年が経ちました。
それまでは、ごく普通にクリスマスも祝えば神社にも行く、仏教徒のような無宗教のような、「神」に対して何でもありの生活でした。
神という絶対的な存在がそういくつもあるわけがない、と薄々感じてはいたのでしょうが、イスラームに出会って初めて「神」というものはアッラーであり、絶対的な存在は他にはないんだということを素直に実感できました。そして、それが一番自然だなと、とても安心でき心地良く感じたのです。
 徐々にクルアーンを読み、祈りを捧げ、願いを請うことも日常に染み付いてきた頃、私は私生活である壁にぶつかりました。
それは、子供を授からなかったことです。
結婚当初は全く気になりませんでしたが、二年三年経つうち、周囲から頻繁に「子供はまだ?」などと尋ねられ、度重なるうちにそれが重荷になってしまったのです。
子供は好きなので、私たち夫婦もそのうち真剣に考えるようになり、とりあえず病院に行くことにしました。
しかし、検査をしても特に問題は無く、私たちは原因もハッキリと分からないまま治療を始めました。
 その頃、礼拝後に特別よく読んでいたのがクルアーンの「マルヤム章」です。
それは、年老いたザカリーヤーと不妊の妻や、貞節のマルヤムが、ただアッラーがお決めになっただけで、アッラーのお力によってそれぞれ子供を授かったことなどが記してある章です。
この章を毎朝礼拝のあとに読み、心からのドゥアーを欠かしませんでした。
それでも授かることは無く、明確な原因もないまま治療を続けるのは心身や金銭的な負担が大きいことから止めることにしたのです。私は精神的にも弱っていたのだと思います。
「どこも悪くない上に治療までして、こんなに祈っているのに、どうしていつまで経っても子供を授からないの?」
と夫に八つ当たりしたこともありました。
 夫は言いました。
「本当に心から祈っていれば、いつか絶対にアッラーは願いを聞いてくれる。」
「アッラーは世界で1番優しいのだよ。絶対、絶対、私たちに赤ちゃんをくれるから。信じて待っていよう。」
 力強い、でもとても温かい言い方でした。
夫だってきっと辛いでしょう。それなのにこんなにアッラーのお力を信じ続けているのかと衝撃を受け、励まされました。その時に、私は実際に見たことや納得したことでなければ完全に信じきれない部分がどこかにあったということに気付きました。アッラーは唯一、絶対的な存在と頭では分かっていても、きっとまだ本当はどういうことなのかを分かっておらず、アッラーの万能のお力を信じきれていなかったのです。
今はそれが人間の、というより私の弱さであり未熟さであり傲慢さであったと実感しています。

「35.アッラーに子供が出来るなどということはありえない。かれに讃えあれ。かれが一事を決定され、唯「有れ。」と仰せになれば、即ち有るのである。」

私たちが何をしようとも、アッラーがお望みにならなければ不可能で、逆にアッラーさえお望みなら何事も可能になってしまうのだというこのマルヤム章の一節がとても印象深く心に残っています。当時は、本当に私にもアッラーは子供をお与え下さるのだろうかと、弱気になり卑屈になっていましたが、夫の言葉で私の気持ちに変化が起き、この一節が強く強く心に入り込んでくるようになったのだと思います。 
それから夫と一緒に礼拝をしたり、祈ったりする時間を多く持つように心がけました。
そして、「一切をアッラーに委ねよう」という気持ちに変わっていきました。肩の力を抜いてただ祈り、待ってみることにしたのです。医療や何ものにも優るアッラーのお力で必ず私達にも、と信じて。
 治療もせずのんびりと過ごしていたラマダーンの翌月、本当に私たちはアッラーからのご褒美を頂きました。全く予期しないことに驚きもありましたが、嬉しさでいっぱいでした。アッラーは私たちが人の親になることをやっとお許しくださったのでしょう。
アッラーのお授けくださった命は、まだこの世に生れてきてはいませんが、お腹の中で一生懸命に生きているのを感じられるだけで既に幸せを齎してくれています。
 今までの辛い事は、この喜びのためにアッラーが与えてくださった試練とさえ思えてきます。
同じ悩みを持つ方や同胞に出会い、励まされ、そして様々な人間の感情も、治療というのがどんなものなのかも知ることが出来たのですから。アッラーは私がそういう事に気付き理解する機会を設けて下さったのでしょうか。
あるシスターはこんな事を言って下さいました。「アッラーは大好きな人にこそ、ムスリムであり続けさせようと、たくさん祈るように試練を与える。だからアッラーはあなたのことが大好きなのですよ」と。涙が出そうになりました。もしそうなら、辛い日々の奥にはとても幸せなアッラーの愛が隠れていたのですね。
 アルハムドゥリッラー。
簡単に授かっていたら知ることのできなかった「辛い時こそアッラーに縋り、願い続けることの大切さ」を私は今回のことで学ぶことができました。また、イスラームを知るという事には「知識を深めること」そしてもうひとつ「心で感じ得るもの」があるのだと感じました。
まだまだスタート地点に立ったばかりなのかもしれませんが、アッラーのご意思のまま前進していくことが最善で最高の道なのだと気付けただけでも幸せだと思います。試練をお与えになるのもアッラーなのだから、それを取除いて下さるのも簡単なはず。だとしたら、私は試練の裏にあるアッラーの意図をしっかりと見定めアッラーがお望みになるのを待ち、祈り続けるしかないのです。
きっとこれからは辛い出来事にぶつかっても、今までよりはダメージの少ない私でいられるのではないかと思います。
私の入信記  イブラーヒームさん
 アッサラームアライクム。イスラームを受け入れて3年。何事にも熱しやすく冷めやすい自分自身、よく続いたものだとおもっている。入信する以前も、入信後も、一見偶然とも思える出来事や出会いがあり、様々な試練や葛藤も今となっては全てアッラーの導きだったのではないかとつくづく思う。
 私は1976年(ヒジュラ歴1396年)名古屋に生まれた。今は亡き祖母は熱心な仏教徒で神社仏閣に参拝したり坐禅や写経を行っていた。私はカトリック系の幼稚園に通い、宗教が身近にあり、そうした環境が後にイスラームを受け入れる素地になったのかも知れない。
 しかし、小学生頃から自然科学に傾倒し、まだ幼かった私は子供心にも自然科学が全てで絶対的な真理であると思うようになって、それに合わないものや、科学的に説明できないものを否定するようになっていった。偶像崇拝・多神崇拝への堕落の始まりであった。
 最初にイスラームを知ったのは中学校の地理の授業であった。当時の私の目で教科書を見る限りでは、前近代的で戒律だらけ、迷信に満ちた宗教という先入観を持ち、その直後に湾岸戦争が始まった事もあって偏見を持っていた。当時の私の知識や価値基準ではイスラーム法統治と軍事独裁政権の区別さえつかず、無理もなかったかも知れない。
 そうして高校生になった。元々歴史は好きだったので漫画や本を読んでいた。イスラーム史も、荒探しをするつもりで本を読んだ。偏見というのは言い換えれば関心があるということでもある。今から思えばこれがアッラーの、私のイスラームへの導きの始まりではなかったのではないか。読んでみるとイスラームの教えは古き良き時代の日本人の美徳に通じるものであるばかりか、無知であったアラビアの民が巨大な文明圏をほぼゼロから作る原動力にもなっていたという事実に驚く。しかもそれは世界史上まれにみる奇跡で、それなしには近代文明もありえなかった。我々は間接的にイスラームの恩恵にあずかっているのだ。
 しかし何故、現代のイスラーム世界は混迷を極めているのだろうか?これほど素晴らしい文明はどうして西洋に遅れをとってしまっているのか?これらの疑問が解けるのはそれから10年以上も後、イスラームに入信するまで待たなければならなかった。
 そして最初のムスリムとの出会いがあった。家族でヨーロッパに旅行した時、列車の中で出会ったアラブ系ムスリムから非常に親切にされて感銘を受けたのであった。 後に私は理工系の大学に進むが、入ってみると全く性に合わず、単位は落とすわ、人間関係はこじれるわ、ひどい目にあった。そうして初めて人生の意味を考えるようになっていった。何故こんなにひどい目にあうのか?こんな重苦しい、それでいて焦燥にかられる毎日をなぜ生きなければならないのか?いっそのこと死んでしまいたい。死んだらどうなるのだろうか?と自問自答しながら思い悩む毎日であった。
 そして、ここでまたアッラーの導きがあった。人生で最初の『師』との出会いだった。クリスチャンでもある一般教養の先生であり、私は藁にもすがる思いでよく研究室に行き、悩みを打ち明けていた。彼との出会いなしに今のムスリムとしての私はありえない。私の悩みを真剣に聞いてくれ、人間は誰でも神から役割を与えられている事を教えられた。神の存在を少しは信じ始めた。『自分にできることは何か?』そう考えた私は授業にも出ずに図書館に入り浸って様々な本を読み、旅に出て色々なものを見た。そうして思い切って大学を辞め、農業者を志した。
 もう一つ私の求めているものがあった。師との出会いによって神の実在を実感したいという思いが強まり、様々な宗教書を読んで自分が最も納得のいく宗教を消去法で探していった。どれも優れた教えだったが、キリスト教は原罪とイエスによる贖罪、父と子と聖霊の三位一体がどうしても腑に落ちず、ヒンドゥー教はカースト制のため入れない。仏教は修行が厳しく、また、出家までする気はなかった。俗人でありたかったのだ。そしてイスラーム。1400年前に下された啓示がそのまま現代でも聖典として使われ、神の唯一性と信徒の平等性は聖職者や教団組織の不在、人種や民族の差なく全て兄弟のように一体感をもつこと。これほど建前と現実が一致している宗教はただ一つ、イスラーム以外にはありえない!
 しかしまだまだ道のりは遠かった。周囲にムスリムの知人はおらず、日本にマスジドがあることすら知らなかった。それに、断食や礼拝の義務を守るのが日本では困難な事は容易に想像がついた。
 そんな時、あるホームページの存在を知る。そこでは色々勉強でき、また、疑問に思っていた事を質問することもできた。なんと、日本にもマスジドがあるではないか。早速足を運んだものの、その独特な雰囲気に馴染めず、パキスタン人ムスリムが丁寧に応対してくれたにもかかわらず結局何も聞けなかった。
 そして事件は起こった。忘れもしない9.11.恐ろしい悪夢だった。しかしどう考えてもこれまでに出会ったムスリムの姿と、テレビで報道される過激派の姿はあまりにもかけ離れている。その後も度々、あちこちのマスジドへ足を運んだ。
 それでも踏み切れず、戒律を守れないだろう自分が入って良いものかとも真剣に悩んだものである。しかし、最後の一押しをしてくれたのは意外な人物であった。
 当時の私は今では考えられないような、ビール大瓶10本を顔色も変えずに飲み干すほどの酒豪であった。そしてたまたま友達と入った居酒屋の屋台の店主がイラン系ムスリムだったのだ。なんと彼は酒を売るばかりか自分でも飲み、しかも豚骨ラーメンすら食べてしまう『とんでもない』ムスリムであった。不思議に思って聞いてみると、それでも自分はムスリムだと胸を張る姿に感銘を受けた。『それなら俺もいける』
 事前連絡もなくマスジドに行き、礼拝に来ていた人を証人に電撃シャハーダをしたのは2002年6月。その前後は胸がドキドキした。
 しかし入信したものの、礼拝の仕方すら分からない。アラビア語はイスラーム入信を考えるようになった時期から独学でアルファベットくらいは覚えていたが、クルアーンすら読めない。おまけにあいかわらず酒をあびるように飲んでいた。
 そんな時アルハムドリッラー!インドネシア人ムスリムの研修生と親しくなる。彼らの家に通い詰めて礼拝の仕方やクルアーンの手ほどきを受けた。彼らはすでに私がアルファベットを覚えていたことに驚いた様子だった。日本人は凄い!と。最初に教えてくれた友人は今ではすでに帰国してしまっているが、私は彼らを忘れない。そうして礼拝が日常化したら自然に酒から離れる事もでき、今では礼拝の方が快感で、酒は匂いをかいだだけでも気分が悪くなってしまうほどになった。
 しかしそれからが大変だった。家族や友人は大反対!農業の研修のために田舎に引っ越したばかりで、何せ保守的な土壌で執拗に棄教を迫られた。しかし、苦労して手にした信仰をそう簡単に捨てられるわけがない。それにタウヒードはしっかりと私の心を捉えていた。どんなに落ちぶれてもそれを否定しない限りはムスリムだ。しかしさすがに辛くて何度も挫折しそうになった。更にニュースのテロ報道に追い討ちをかけられた。何度も辞めようと思っても気が付くと礼拝している。もうすでにイスラームは私の一部になっていた。圧力がかかればかかるほど、逆に礼拝の集中力が高まり、信仰がますます揺るぎないものになっていくのが自分でも分かった。
 そして、大学時代の私の『師』の教え子の集まりで、今の妻と出会う。父親は私と親子ほども歳の離れた遠い先輩だったのだ。彼女はクリスチャンだったが、私とは気が合い、間もなく交際が始まって結婚まで誓うようになっていた。
 そして第二の試練がやってきた。私がムスリムであることを理由に彼女の両親と教会が彼女に圧力をかけてきた。また、私のほうも彼女をムスリムに改宗させるか別れるか、外国人同胞たちから強く迫られた。
 しかし私はクリスチャンになる気は全くなかったが、無理に彼女を改宗させる事も、どうしてもできなかった。自分が苦労していたので、相手の信仰を尊重したかったのだ。
 途方に暮れた私はハサン中田先生に相談した。イスラーム法上、ムスリム男性とクリスチャンやユダヤ教徒の女性との結婚ができることを知り、ハサン先生のもとでニカーを行う。先生の助けがなくしては今の夫婦生活はありえない。そして、入籍するために直接彼女の両親に会って話しをした。前日まで不安でドゥアーにドゥアーを重ねた。当日、私はイスラームはキリストの教えを貶めるものではなく、確証するために下された最後の啓示であることと、イエス・キリストを預言者として敬意を払っていることを中心に、言葉を選びながらも力を込めて話し、宗教の名前ではなく、唯一の神のみを信じることが大切であると力説した。そうしたら今までの反対は何だったのかと拍子抜けするくらいあっさりと結婚を認めてくれた。
 実は結婚に際しては大学時代の恩師に間に入って助けてもらたのだが、そうなるまでが大変だった。初めて私は師に挑戦した。無教会派のキリスト教を長年やってきただけあって手強かった。彼は宗教の違いは問題にはしなくてもイスラームの義務である礼拝や断食、そして食規定にとらわれるなと私に強く迫った。私はそのことは問題にせずにここでもタウヒードとムハンマドSAWが最後の預言者であることのみを強調した。そしてクルアーンを朗読してみせた。クリスチャンである彼女の両親や友人、そして先生からは『今までに聞いた事もない深くて力強い響きだ』との感想をいただいた。そして二人の幸せを『唯一の神』の名において全力で涙を流して祈ってくれた。私もそれに続いてドゥアーを捧げた。
 その後、家族を含め反対していた多くの人たちが一転して理解者になり、協力してくれるようになった。そして残りの、最後まで執拗に邪魔をしていた人たちは自然に私から離れていった。そして妻とは宗教の違いにかかわらず、同じ神を崇め信じ、お互いに支えあっている。
 ムスリムになってから苦労も増えたが喜びも増えた。明日には最後の日が来るかも知れないと思っていると一日を大切に、充実したものにしたいと思うようになって、行き方が前向きになってきた。そうなると毎日が楽しくてたまらない。時には落ち込む事もあれば、怒りにまかせて乱暴な言葉を吐いてしまう事もある。しかし、預言者様にあやかろうと、できるだけ冷静になろうと努めている。礼拝し、クルアーンを朗読し、田畑で汗を流しながら空や山々を見渡すと、私はその御方を間近に感じ、生かされている事に感謝の気持ちから涙を流すのであった。
 以前はムスリムであることを公表することで人からどう思われるか怖くてたまらなかった。しかしもうそんな事は気にしない。クルアーンや預言者のスンナを守っていると心が満たされ、穏やかになってくる。礼拝や断食、勉強を重ねるごとに怒りや嫉妬からは遠ざかっていくのが分かる。そんな人間がテロなどに走るわけがなく、思いつきもしないだろう。どんな反証をつきつけられようが怖くはない。信仰生活で悩んでいる同胞諸君!自信をなくすことなかれ。巷にあふれかえる『イスラーム=不寛容=テロリスト』などという根も葉もない流言なんかぶっつぶしてやろうではないか!
 最後に、アッラーが愛する妻、美知子に最も良い導きをしてくれる事を日々祈っている。この世でもあの世でも共に幸せになれることを。

                       

主催者注;イブラーヒームさんの奥様はその後めでたく入信されました、アルハムドゥリッラー。
私の入信記   マナーヒルさん

『アッラーは唯一神であり、ムハンマドは使徒である。』
主人との結婚の日、私はこの言葉を言い、イスラーム教徒になった。それ以前に、私はイスラームに惹かれる事はあった。たまたま仕事で京王線方面に乗ることがあり、その際、電車の窓から代々木上原のモスクの屋根が見えた。私は興味本位で『あー、帰りにあそこ寄ってみよう。』と思い、夕方にフラフラと立ち寄ってみた。そこには今まで見たことのない装飾と、美しいアラビア文字と、そしてすごく美しい静寂な空気があり、私はそこで何だかすごく気分が良くなる気がした。そして何だかもっとイスラームを見たくなり、その後金曜日の昼間に、集団礼拝を見学した。そこには本当に美しい景色があった。私の心に衝撃のように響くアザーン、男性も女性も同じ方向を向いて頭を下げ、唯一神アッラーに向かって祈っている。私だけかもしれないが、皆がサジダをしている時、本当にその先に光があり、神がいるように見えた。それまでは私もイスラームについてあまりよく知らず、毎日祈ってばかりで、酒も飲めず、豚肉を食べれず、女性には権利はなく、という偏見的なイメージばかり持っていたが、その時に、イスラームはそれだけでなく、きっといい部分もあるのではないか、と思うようになった。もしかしたらアッラーはその頃から私を導いてくださっていたのかもしれない。その後、パキスタン人の男性と知り合い、結婚に至った。それが現在の夫である。ムスリマになって初めの頃は、夫が『勉強しに行け、勉強しに行け』としつこく言うので、モスクや勉強会に足を運ぶようにしていた。夫が言うからなー、という何ともやる気のない動機で足を運んでいたが、勉強すればするだけ、その知識の正しさ、何を求めてどう行動すれば良いのか、どうやって生きていけばいいのか、という答えを教えてくださる。それは時にすごく勉強になり、時に怠惰になっている自分を叱咤し、時にはもっともっと善行しよう、と思わせてくれる。今では自ら通うようになり、そしてアッラーは私の生活の中で欠かせない存在となっている。一日に五回の礼拝や、ヒジャーブ、善いことがあった時、悪いことがあった時もアッラーと、彼からの恩恵を思うようにしている。アッラーを思うようになってから、私はいちいちくよくよしなくなった。全ての事柄はアッラーから与えられた運命であり、また全ての力もアッラーがお持ちである為、アッラーが私にふさわしいと思う運命や力を授けてくださるから、私たちは己の最善を尽くし、後はアッラーにお任せすればいいんだ、と思うようになった。そして最期の審判の日、アッラーに受け入れられるように現世を生きていこうと思っている。私は信じている、私がまだイスラームでない時に見た集団礼拝の時の光で、アッラーは私を導いてくださる、と。