国際関係論U
1838〜42年、1878〜80年の二回イギリスがアフガニスタンに侵攻し、戦火を交える。これがアフガン戦争と呼ばれるものである。1907年、英・露協商によりロシアおよびイギリスのアフガニスタンも対する不干渉が合意される。1919年、アフガニスタンがインドを攻撃、イギリスと交戦。停戦後、アフガニスタンの独立が承認される。1965年、モスクワの息のかかったアフガニスタン共産党PDPAが創設される。1973年7月、共産党系士官の助けでクーデター勃発。アフガニスタン共和国が建国され、沢山の共産党員が入閣する。1978年、PDPAの要人暗殺。アフガニスタン人民共和国が建国される。1979年2月、アメリカ大使アドルフ・ダッブズ暗殺される。その年、クーデターによりアミン首相が、タラキ大統領を処刑する。このことに関してモスクワの許可を得なかったことで、ブレジネフ書記長が怒り、12月に八万人の兵士をアフガニスタンに侵攻させる。アミン首相暗殺。
ソビエト連邦からの膨大な援助にもかかわらずレジスタンスはだんだん強化し、アメリカからは小型地対空ミサイル・スティンガーなどの近代兵器を、さらにパキスタンはイスラム兵士の訓練場、サウジアラビアは資金等でムジャヒディンを助けた。これらは、ジハード(聖戦)と呼ばれた。1988年5月、一万三千人の犠牲者を出し、ゴルバチョフ書記長はソビエト軍のアフガニスタン撤退を決意する。1992年4月、カブールがムジャヒディンの手に落ち、アフガニスタン・イスラム共和国が建国されるも、その後ムジャヒディン各派が戦争を始め、そのほとんどが山賊に成り果てることになる。1994年、カンダハールに突如現れたタリバンは、イスラム教師モハッマド・オマールに率いられ勢力を広げていく。1996年9月、カブールがタリバンの手に落ちる。今まで、いがみ合っていたイスラム国民運動のラシッド・ドスタム将軍などムジャヒディン各派が、ラバニ大統領と力を合わせてタリバンに立ち向かう。北部同盟の誕生である。2001年9月、世界貿易センターへのテロ攻撃(と言われている)の後、アメリカはオサマ・ビン・ラーディンをかくまっている(と言われた)タリバンに対して、連合軍を構成しさらにパキスタンにはタリバンを援助しないように圧力をかける。タリバンが、ビン・ラーディンの引渡しを拒否したため、10月、アメリカはタリバンの軍事施設の空爆を開始するに至る。
ビン・ラーディンが実行させたとされるアメリカに対する今回のテロ行為は、決して宗教戦争ではないと私は考える。イスラム教対キリスト教でもなければ、イスラム教対ユダヤ教でもなく、ましてやアメリカのイスラムに対する十字軍発言は、まったく的を得ていないものである。今、世界中にある殺戮を招く矛盾の多くは、長い時間をかけて人間が浅はかなその場凌ぎの思考を持って実行してきた事柄に対する、当然の帰結と言えるだろう。我々人間は、科学の進歩におもね、まず問わねばならない「人間とは何か、いかに生きるべきか」を思考せずに、人間の知恵に溺れるまま今日に至ってしまった事実を反省すべきである。人間は人間の力を過信し、力のある者は、人間の理性や道徳心を踏みつけてその上に力の理論を積み重ねてきた。力のある者が力のない者を征服するのは当然であり、力がないから力のある者に征服されて当然である、という理論の上に造られた現在の世界の構図は、嘆かわしい程に矛盾に充ちている。力のある者が規則を作り、人が人を裁き、その力を持って何が善であり何が悪であるかを決定しようとしている。そして、また多くの人の血が流され、愚かな歴史が繰り返されていく。もう、力が牛耳る世界は終わりにしなければならない。弱い者も自らの声をあげて立ち上がり「如何に生きるべきか」を自身に問いながら、私たちは「何を未来の地球に残していけるか」を人間の最大の知力を持って思考していかなければならないと考える。


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