思想史

『日本霊異記』は正式名称を『日本国現報善悪霊異記』といい、上中下の三巻から成る日本最初の仏教説話集である。当時の死後の世界観は、肉体は滅びても霊魂は滅びず、肉体から遊離するものと考えられていた。これを編纂した景戒は「災難の前には必ず前兆が現われるのであり、それを知るためには仏道を修業し、因果応報の理を恐れなければならない」さらに、「世間の人々の行状を観察した結果、学才がありながら下劣な行いをするものが多くあり、また、人によっては仏法や僧侶を誹り、生きながら災厄を被っている。その一方では仏道を求め修行を積んで、この世で善報を得ている者や、仏道を深く信じ善行を修め、生きながら福を被っている人々がいる。このように、善悪の報いは影が形に随うようなものであり、苦楽が人々の行いに応じて的確に現われることは、それぞれの声が谷のこだまとなって正直に帰ってくるようなものである」と言っている。景戒は、このような末法の世に生きる人々に善行を勤めることを示さなければならないとし、悪因と応報の具体例を挙げ、観念的・抽象的な教理・教論などでなく、専門の仏教に関する知識が無くても理解できるように、現証で善悪の報を示して、因果応報の理を説いている。
『霊異記』所収百十六話、そのうち非仏教的説話といわれる十話を除外して主人公を分類すると、仏菩薩が十話、僧尼が二十七話、俗人が七十三話で、俗人を主人公とする説話が約七割を占めている。この俗人を主人公とする説話を中心に見てみると、景戒の考えていた善報の因となる行業としては、寺院建立、仏像造営、写経、布施、放生、悔過、観音の名号称礼、誦経、仏菩薩の祈祷?、写経の誓願等が挙げられている。寺院建立の例としては、備後国三谷郡の大領の先祖が、百済に軍旅に遣わされた際に「平らかに還り卒らば、諸の神祇の為に伽藍を造り立てまつらむ」と誓願して、災難を免かれ無事帰還した後、三谷寺を建立した説話(上巻七話)。写経の例としては、鉄山の穴中に塞がれてしまった役夫が、「吾先の日法花大乗を写し奉らむと願いて、未だ写し断らず。我が命を全くし給はば、我、必ず果し奉らむ」と願ったところ救助された説話(下巻十三話)。また、放生の例としては「蟹と蝦との命を放生し、現報に蟹に助けられし縁」(中巻十二話)等。造寺造仏の動機が地方豪族層では、個人の戦争に対する危機を免れるために仏による生命の救いを求めるもので、それは戦勝祈願でも同族・近親者の追善供養でもなく、あくまでも個人の問題という点に置かれている。写経の行業としては、写経を行いうるだけの経済力を有している階層のみが主人公となり得るのであり、それ以下の者の場合は不可能である。では、それらの者は救われないのかという疑問が起きるが、写経を行なうだけの経済力の無い者は実際に行なえなくても、誓願するだけで善報を得ることができるとされている。このように各階層別に救済論が設定され、地方豪族層には造寺造仏などの仏事作善を、富裕層には写経などの仏事作善を用意し、それを行なえない一般農民層には経済力を伴わない仏事作善を、さらに日々の生活にも困窮しているような人々には、信による救済論を用意していた。次に、悪報の因となる行業として景戒が挙げているものは、地方豪族層の寺財の私用と私出挙の非理である。例として「信濃国小県郡嬢里の大伴連忍勝は、氏寺の寺財を私用したため地獄へ堕ちた」(下巻二十三話)、「武蔵国多磨郡郡の大領の大伴赤麻呂は、己が造れる寺を檀りて、恣なる心の随に、寺の物を借り用いて、未だ報い納めずして死に亡す。此の物を償はむが為の故に牛の身を受けた」(中巻九話)等の説話がある。富裕農民を主人公とする説話では、「子の物を盗み用いて、牛となりて役はれて畏しき表を示し縁」(上巻十話)や、「沙弥の乞食するを撃ちて、以って現に悪死の報を得し縁」(下巻十五話)など、子供の財物の私用と、僧への追害が悪報をもたらした因の行業とされている。盗むという行為は、盗んだ物の量の多少ではなく、あくまでも盗むという行為にあり、盗みはどのようなものでも畜生道に堕ちるという極端な設定を行なっている。僧に対する迫害は、修業者・沙弥を問わず絶対に許されない行為であって、僧を迫害した者は例外なく悪死している。その他の行業としては、殺生、親に対する不幸、邪淫、仏像破壊、僧・持経者・写経への侮蔑などである。特色として、地方豪族層・富裕農民層の場合は悪業のゆえに地獄に堕ちた者までが蘇生しているのに対し、一般農民層の場合は悪報死・悪報病を得て、以後の救済論・救済方法は提示されていないことである。
『霊異記』における遊離魂の蘇生をテーマとする説話において、善悪報を受けるそれらは、生前の悪業により地獄に堕とされ、善業によって蘇生するパターンになっている。蘇生を可能にさせた善因をみると、写経と放生との仏教的作善がほとんどを占めている。さらに、蘇生の絶対不可欠の条件として遺体の保存方が考えられる。蘇生説話には、死体保存を示す遺言・託言を残す場合が多く、蘇生までの日数も最長が九日というぎりぎりの数が示されている。「漢神の祟りを和らげるために、七年間毎年一頭ずつ牛を殺したところ、重病にかかった。殺生戒を犯したための悪業であることに気づき、以後七年間放生を行なった。死に臨み、妻子に十九日火葬せずと遺言し息を引き取った。死後九日にして蘇生し、妻子に一旦は地獄に堕ちたが、放生したものにより助けられ生き返ったと語った。」という説話が挙げられている。これらのように、蘇生説話において、生前悪報の因となる作業をしても、写経・放生・布施等の仏教作善を行なえば、地獄に堕ちた場合も救われるという救済論を景戒は用意し、現世における作善を勧めているのである。なお、「大化の薄葬令」(『日本書紀』)において、王以下庶民に至るまで“もがり”すること(死体を棺に納めて安置した)が禁止されたが、これは固有の霊魂観にもとづく“もがり儀礼”の全面的禁止を意味している。しかし、『霊異記』にみられる限り全面的禁止の宣言以降も“もがり”の風習は各地に残っていたと考えられる。


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