JARVIS 通信1月中旬



1月20日(木)
 キシャちゃん復活である。授業時間の調整がやっとついてようである。一時ちょっとあきらめてかけていたが、これで秋学期からの日本語の授業を続けることが出来る。それはともかくこちらでも花粉症があるようで、キシャちゃんはその薬のために眠い状態が授業中続いていた。どうも涙目のようである。私も最近くしゃみが出るので気になってはいたのだが納得した。花粉が杉花粉とは限らないようなので、症状は大したことはない。今日はかなり気温が下がったが、それでも日本の晩秋という感じである。一足先に春が来たという感じだろうか。少なくとも今年はこちらではほとんど冬がないのも確かである。
 

1月19日(水)
 今日の授業では生徒が4人に戻っていた。どうもこの体制で行きそうである。それはともかく、疲れが出る。暖かすぎるのも考えものだ。勉強はそれなりに進んでいるが、まだ新学期の感覚がつかめないという感じか。
 

1月18日(火)
 とにかく暖かい。今日は半袖でカレッジに出た。年が明けてからというもの、寒いと感じる日があまりない。暖房は時々使うが、日本でいえば春と言うところだろうか。寒かったのは11月、12月がピークと言う感じさえする。
 ところで、久しぶりに Wellmon さんの授業に顔を出す。春学期になって「東アジア史」の授業は「歴史一般について考える」授業になっていた。歴史は「---gy」の母であるという話が印象に残った。確かに歴史は最も世の中の事象を巨視的に見る学問であり、また事実そのものに最も直接に向き合う学問である。これと対極を為すのが数学だが、近代の学問は数学偏重だった気がする。この手の学問的アプローチは哲学の得意とするところなので、またいろいろと協力ができそうだ。
 

1月17日(月)
 今日は Martin Luther King Holiday で授業はお休みである。カレッジのチャペルでは行事があったようだが、私は参加しなかった。この国ではまだ人種間のわだかまりが残っている。TVによると学校の食堂では白人、黒人、ヒスパニック、アジア系の席が暗黙に決まっていることがあるそうだ。当然アジア系が一番少ないから一番隅に追いやられることになる。この点、混血が進んでいるラテンアメリカと非常に違う。私のいるカレッジは黒人ばかりなので、こうゆう問題はないが、アングロアメリカには常に「××系」というレッテルがついて回る。アングロアメリカとはラテンアメリカに対して、society のレベルでは繁栄を享受しているが、それは自らの帰属する集団を全面に推し立てた結果でもある。「××系」ということが社会的競争を生み出し、それを発展させたわけである。しかし、その代償はあまりにも大きい。一方、ラテンアメリカはその意味で個人主義的ではあるが、政治の混乱を常に引き起こしてきた。その困難はアングロアメリカからは想像できないほどである。
 日本人から見れば両アメリカともそれなりに個人主義が根付いているが、個人と社会との間にある問題を解決してはいない。ただ、アメリカという地域には日本人には及びもつかない生命力があるのも確かである。私はトクヴィルの「アメリカの民主政治(American Democracy)」を読んでいるが、この国には多くの失敗の故に自らを強くするところがあるようだ。トクヴィルも私も敬意を払いながら、この国を考察している。
 

1月16日(日)
 久しぶりにドイツ語版の「仏教聖典」の読みを再開した。電子辞書がインストール出来なかったのは残念だが、調子は結構いい。人は神に対して独断的に何かを語れるほど偉くはないが、宗教はいらないといえるほどに偉くないのも確かである。この事実が実は宗教を生み出してきた。日本人が無宗教なのは世界的に見ても独特だが、歴史的にもあまり例がないのではないか。つまり、日本人においても昔は宗教は重要な役割を果たしていたというわけである。してみると、日本人は自分が偉くないことを自覚する機会を近代の中で喪失したのではないか。仏教では「生老病死」を以ってこの世を苦界とするが、社会的な「生」の悩みは増大した一方、その影に自然の「老病死」が見失われた気がする。これから高齢化社会だと騒がれている割には年金などの社会的問題しか話題にならないのも宗教なき時代の為せる業か。
 

1月15日(土)
 タイラーに住む日本人の方と一緒に散髪屋に行く。約半年ぶりなのですっきりしたのだが、スタートレックのスポック君のようになってしまった。こちらでは髭を剃ったり髪を洗ったりのサービスはない。しかし、定価8ドル、チップをつけても10ドルと安い。時間もさほどかからない。ただ、こちらの人の髪は東洋人のそれよりも柔らかいようなので、はさみがおかしくなってしまった。特に私の髪の毛は堅いのである。
 

1月14日(金)
 何と今日の授業で生徒が一人増えていた。5人である。テキストの予備はあったが、他に足りないものがあるので、またコピーに行かなくてはならない。ありがたいことである。前任者の時代の最も多い時の生徒数と並んだわけであるから記録が出来るかもしれない。
 それはともかく、エドワードさんにケーブルTVの会社に電話をしてもらったのだが、いつTVが復活するか分からないとのことであった。幸いにも、室内アンテナで1つだけきれいに映る局があるので支障はあまりないのだが、結構いい加減な話である。いずれにしても、私の英語はまだまだであると思い知らされる。横で電話を聞いていて、だいたいの意味は分かるのだが、肝心のところが分からない。知らない話題を英語で理解するのは大変である。
 それから、今からドイツ語の辞書のインストールをします。万が一通信が途絶えたら、それによるトラブルと思ってください。
   →CDドライバー不良のため失敗しました。
 

1月13日(木)
 「日の下に新きものなし」とは聖書の伝道者の言葉だが、恐らくこの言葉を最も深刻に受け止めるべき国がここアメリカであろう。人々は技術革新に目を奪われているが、人が人である以上、また天地が天地である以上、世の前提は厳然として変わらないところがある。だが、アメリカは若いが故にこの言葉をいずれは受け入れ、自らを成長させていくであろう。「日の下に新きものなし」の言葉を無視し続けたソビエトはイデオロギーの前に自らをかたくなにしたが、アメリカはそうではないからである。最近いろいろと感じるのだが、社会科学に属する人は自らの言葉の中に「新しき」ものを求めすぎていたような気がする。文学部出身者からすれば人は変わらないという思いがある。人は変わらないから、かつてと同じように人は過ち得ることを知り、常に自らの無意識の底に業や罪のようなものがあることを意識している。一方、自然科学の研究者たちは常に自分たちの研究が限定的なものに過ぎないことを意識している。社会は変えられる、故に変えなくてはならない。しかし、それは変わらない人と天地との間でのことである。
 

1月12日(水)
 いやー、有り難いことである。今日、春学期初授業だったのだが、4人も生徒が来てくれた。キシャちゃんとも連絡が取れた。TVの方は朝一番にケーブルテレビの人が来て、何とか契約を結ぶことが出来た。まだ、TVは復活しないが、いずれ復活するだろう。
 以前、竹田で外国人の英語指導助手の人のお世話をしたことがあるが、たいていの人が地元の人に感謝をしてくれた。トラブルがなかったわけではないのにである。今、その気持ちがよく分かる。日本にいるとこの有難さは分からない。コミュニケーションできるのが当たり前と思っているからだ。日本人にたまに疑問をぶつけると、非難されたのではないかと思われることさえある。実は、団塊の世代、否、それ以前以後をも含めた多くの日本人に対して感じるのは、コミュニケーションの前提を日本では水や空気のように考えていて、その有難さを自覚していない点だ。コミュニケーションが取れるのが当たり前と思っているので、勢い他人に対する評価が減点法になる。コミュニケーションの前提をタダと思っている人たちには外国語が通じたときの感動は分からないであろう。私も公務員時代を通じて英語やスペイン語で話せるようになったが、当時の感動は忘れていないし、未だに英語でコミュニケーションが出来るのが不思議なくらいである。日本では縦書き横書き両方ありだが、こちらではそのことから教えなくてはならない。だが、言葉を通じて教えることは出来るのである。人が言葉を通じてコミュニケーション出来ることの有難さを日本人は敬虔な心を以って受けとめるべきである。
 

1月11日(火)
 いやー、今日は大変であった。まず、ケーブルテレビの件でお金を払わなくてはならなくなった。金を払うのは良いのだが、またいろいろ手続きが要る。取りあえず、エドワードさんに電話をしてもらう。交渉は明日以降である。また、午後全体集会のようなものがあったのだが、またしても英語が聞き取れない。AOLの Steve氏の話はほぼ分かったのにである。さほどテキサス訛りがあるとも思えないので、恐らくはネイティヴの乗りで話されたからだろう。帰って、メールを見ると最寄のゲゼルMLのメールがOECのメールアドレスに来ていない。かなり過激な内容のメールを出してしまった後なのでこれはつらい。この過激な内容だが、大したことはない、世間に対する愚痴だけではどうにもならんといったまでのことである。しかし、正直、団塊の世代の発言には愚痴が多いと思う。本人は気づいていないが、一つの不満の背景には複合的な要因があるのであり、一部の組織や人々を非難した所でかえって問題が先送りされてしまうことがある。小さい時に学生運動の混乱を目の当たりにした私としては、彼らに当時の行動の責任を取ってもらいたいと思う。もうすでに彼らが社会の中軸であり、反抗すべき年寄りはもういないからである。ちなみに、我々の世代が優柔不断と見られるのは物事の責任の重さを感じつつも、未だになすすべがはっきりしないからである。だが、恐らく彼らよりも忍耐力があるだろう。恥をかいてでも怒りを押さえ、解決の機会を辛抱強く求めつづける。根性はすぐさま自らの不幸を誇りたがるが、忍耐は常に自らに対する謙虚さと他者に対する寛容を求める。このような忍耐の理想の彼岸にイエスがいる。
 
 

[ことばのこと]