JARVIS 通信2月上旬



2月10日(木)
 暑い! これで2月かという感じである。外が暑いのだから、建物の中はなお暑い。半袖で暑いのだから、もう夏である。正直、2週間で季節が180度変わるのだから、たまらない。きのうヒーターを修理したのは何だったのかという気になる。正直、冷房を稼動させたい気分である。こちらにきて気づいたのだが、うちの学生は結構暑さに弱い。冷房が完備されているからではないかと以前書いた気もするが、どうも慣れによる暑さへの適応に人種の差はないようだ。うちの学生はほとんど黒人だから私の方が暑さに強いと変な感じがする。
 ところで、今日なんとか「アメリカの民主政治」の音読をやり終えた。細かいところは良く分からないが、何となく全体はつかめたというところか。とにかく、2月に入ってからハイペースで読んでいたので、疲れが出ている。この後、語彙力をつけるため、「タイム ボキャブラリー BOOK」の読みに入る。音読を1日3時間以上続けると疲れるもの当然かもしれない。
 というところであるが、いつのまにかこのHPのカウンターが早くも3000を越していた。めでたいことであるが、どうしてでしょう。
 

2月9日(水)
 今、私の日本語のクラスにとって最大の問題は暑さである。教室のある2階には外の空気を取り入れる窓がないので、とにかく暑い。ブラインドはあるのだが、それを通して日差しの暑さが部屋にこもるのである。教室で授業を出来るのは最初の15分くらいか。他のクラスもよそに疎開しているほどである。結果として外かチャペルの入り口のところで授業をしなくてはならないのだが、黒板と机がないと教えるネタに不自由する。これからも暑さは続きそうなので、何か良い手を考えなくてはならない。
 それはともかく、今日ようやくヒーターの修理を頼んで来てもらった。もう冬は終った感じだが、今後のこともあるので修理をお願いしたわけである。そんなこんなで、疲れが出て、また夕方寝てしまった。夜に起きて、勉強は出来たが、ヨダキイ話ではある。
 

2月8日(火)
 カトリックの世界では The Shroud of Mystery というのがあるそうで、十字架にかけられたキリストが包まれていた布と称するものが長い間イタリアに保管されている。これは後の科学者たちの検証で中世のものだと判明するのだが、その判明の過程を Wellmon さんの授業で取り上げていた。歴史というものがいろんな学問の協力によって複眼的に明らかにされる様子が理解できる。そこではカトリックの教会や資金面での問題が絡むので、歴史を実際に探究する現場も見て取れる。
 この授業は歴史についてのリテラシー(綴り方)を勉強する時間なので、今日からをそれについて各自が書いたものを検討する作業に入っている。さすがに、私の英語力ではついて行けないので、見てるだけだが、結構参考になる。生徒数は10人弱なので、かなり密度の高い討議が出来る。だが、皆さん慣れてないというのが正直のところか。私がこれから英語で書こうと考えているのは、ある意味で「アメリカの民主政治」を読んだ上でのものであるから、この授業でなされているものと一脈通じるところがある。ただ、実際書くとなるとかなり長くなりそうなので、時間が取れるかどうか不安である。
 
 

2月7日(月)
 さすがに音読もここまでやると疲れがでる。故に、早めに寝てしまった。よく考えると、授業が詰まっていて忙しいのである。日本語の授業は苦痛ではないが、結構体力を使う。筋書きが半分しかないドラマのようなもので、かなり臨機応変に現場に対応しなくてはならない。だが、事務の仕事のように答えが決められていたいので、何とかうまくいく。世の中には答えが決まっている方が安心できる人も多いが、自然の摂理を体得しているものにとって、このような不自然な状況には適応できない。答えが一つしかないのは、それを導く状況が決められているからだが、そのような状況は人為的なものであって、自然的なものではない。人為的状況と摂理に自然に従った行動とどちらが安全であるか。というわけで寝たのである。
 

2月6日(日)
 休みになると外国語の音読ばかりしているのでかえって疲れてしまう。というわけで、最近はMLはご無沙汰状態だが、あっちこっちに電子メールを出しているので、こっちの方も結構忙しい。特に、最近英語でメールを送ることもあるので大変である。只今、音読中の英語の対象は「アメリカの民主政治」だが後半部に入って、内容がつかみ難くなっている。しかし、分からないなりにポイントがつかめるので何とか読み進めることが出来る。アメリカという特定の国を対象としながらも、そこから導かれることの多くは普遍的に妥当する。こういうのを名著というのだろう。
 

2月5日(土)
 最近、外国語の音読に拍車がかかっている。今日は休みなので、かなり読み進んだが、英語の壁は厚いと感じる。日本が英語抜きで生活できる環境にある以上、英語はなかなか普及しないだろう。仮に受験競争が英語競争になれば英語を話す人が増えるかもしれないが、日本の文化基盤が危うくなる気がする。これはかつて明治維新後に見られたことだ。今思うと、音声多重で日本のアニメの英語吹き替えを副音声でやっていればと思う。私などはうる星やつらの「ビューティフル・ドリーマー」のセリフをほぼ覚えていたぐらいだから、これがあったら英語の出来は格段に誓ったと思う。とにかく大学時代はアニメを見まくっていたのだから、そのエネルギーの少しでも英語に流れていたら事態は変わっていただろう。現在、うる星をはじめ、かなりのアニメで英語の吹き替えがある。ちなみに、個人的にはアマゾンで英語吹き替え(たまにスペイン語吹き替え)のアニメを手に入れることが出来るが、まだ試みていない。いずれにしても、ジャパアニメで英語を勉強しても日本文化が揺らぐことはあるまい。むしろ逆であろう。英語は日本アピールのためにもあることを考えるべきである。
 

2月4日(金)
 今日も教室が暑かったので、後半は外で授業をする。といっても、風が非常に強かったので、チャペルの入り口の階段で授業をすることになる。階段があることを利用して、数字を教える。授業のネタはどこにでもあるものだ。それはともかく、生徒にアジアのことをいろいろ聞いたが、あまり知らないようだった。まず、中国本土と台湾との違いが分かっていない。次に、南北朝鮮の違いも分かっていない。日本語を教えても、将来忘れてしまう可能性が高いが、この手の国際情勢は教えておくと覚えてくれそうなので、いずれ時間を取って講義することにする。
 それにしても、アメリカから他国への情報の一方通行は問題である。日本にも世界に向けて物申したい人はたくさんいるが、英語の壁に阻まれて果たせない人が結構いる。掲示板でお世話になっている森岡正博さんは、これに抗して、自らの著作を英訳する事業をはじめている。もちろん一人では出来ないので、ボランティア募集中である。私は私自身が英語で書きたいものがあるので手を上げてはいないのだが、貴重な試みだと思う。日本政府は英語の公用語かも視野に入れ始めたらしいが、まず日本語を翻訳できる英語ネイティヴの養成のために補助金を出すべきだ。アメリカの人たちは外国人が嫌いなので外国の文献を読まないわけではない以上、これはアメリカの人たちにとっても有益な試みである。はっきり言って、もし私がアメリカに生まれて英語ネィテヴだったら、日本語をやって金を稼いでいる気がする。
 

2月3日(木)
 アメリカでの滞在期間が短くなるにつれ英語の勉強に拍車がかかる。しかし、思うようには進まない。英語のヒヤリングはその日の調子次第である。今読んでいる「アメリカの民主政治」を英文はかなり古い。構文が取り難い上に、内容がかなり高度である。ただ、内容的にツボにはまるとだいたいの意図は把握できる。子供はどうしてこのような高度な言語能力を自然に身につけることが出来るのか、これは謎である。
 

2月2日(水)
 月曜日のStatser さんのクラスが今日になったので、日本語のクラスを普通の月曜日と同じような形で持った。午後から正課のクラスもあったので、それだけでも結構疲れるものだ。ただ、乗りが良いので授業そのものは順調である。Statser さんの方はそろそろ日本語で簡単な表現が出来るくらいになってきたから、互いにやりがいがある。また、新しいクラスの方も、人数が多いので、時々日本語が混ざるようになった。今日は午後暑かったので、こちらの方は外に出て授業をする。あっちこっちを指差しながら、実地で日本語の単語を教えるという具合である。名詞文を理解した所だから、それを使ってすぐに文章を作ることが出来る。しかし、日本のことを考えてみれば自由な授業ではある。
 

2月1日(火)
 ついに2月になった。それはいいが、キシャちゃんが来ない。どうも、授業スケジュールの調整がつかないようだ。Statser さんのクラスは順調だが、残念である。
 そんなこんなで、最近落ちつかないが、英文のHPに新たなネタを載せようかと思案中である。アメリカに物申したい人が多いにもかかわらず英語などの都合で自分の考えを公開できない人が多いようだからだ。実際のところ、普通の日本人の論理能力ではアメリカ人を納得させることができるかどうか疑わしい。しかも、日本人がアメリカにどれだけ敬意を払っているかを考えるとますます問題複雑になる。アメリカ人に自国の問題を把握してもらうには、英語と論理能力、そして相手に対する敬意が欠かせない。この敬意がないと、アメリカの立場を理解した上で、相手を説得できないからだ。少なくとも、この国のキリスト教の影響力の強さと法的正義に対する信頼を理解しないと、アメリカの人たちは耳を傾けてくれないだろう。その意味ではトクヴィルの「アメリカの民主政治」この国を考察する上で不可欠の文献である。時間があっても、やりいことは多いものである。
 
 

[ことばのこと]