JARVIS 通信2月中旬



2月20日(日)
 いろいろと風邪には苦しめられたが、今日はほぼ正常に勉強をすることが出来た。こちらでは風邪にはチキンスープと相場が決まっているらしいが、大分から送られた(インスタントであるが)味噌汁がかなり効いた。いずれにしても、やらなくてはならないことが山積みである。風邪のおかげでインターネット関係はかなり進んだが、他はいまいちである。いずれにしても、明日は少し忙しいので、早めに寝よう。
 

2月19日(土)
 今日はかなり身体の調子がいい。よく寝れたからだろう。音読も最初はきつかったが、少しは続くようになった。インターネットの方も乗りかけ
た船でかなり書き込みをしている。ただ、月曜日はかなりスケジュールがしんどいので無理は禁物である。
 

2月18日(金)
 風が喉に来たので、再び身体がきつくなった。授業は何とかこなすが、大声を出すのでかなりしんどいものがある。とにかく、苦しいので睡眠が取りづらいのが痛いところだ。しょうがないので、インターネットを通じて、掲示板への書き込みを続ける。最近、また目立っているのは風邪のためであって、別に勉強を怠けているわけではない。いずれにしても、「立ち食いのプロの話」は完結させねばなるまい。
 

2月17日(木)
 だいぶん休んだおかげで身体の方はだいぶん回復した。外国語の音読がかなり体力を使うものであると痛感する。というわけで、目の痛みもおさまって、しばらくぶりにインターネットの書きこみしている時間が長くなった。特に、ゲゼルMLで知り合った kokiriko 響子さんのHPの掲示板では、駒木さんが経済とアニメの話題の両方が通じるとあって、押井ワールドの「立ち食いのプロ」の話を軸に地域通貨の問題にコメントしている。久しぶりにアニメの血が燃えた。今週中はあまり外国語の勉強は出来ないかもしれないが、来週になったらがんばろう。
 それはともかく、キシャちゃんが復活した。あまりにも今まで授業に出ていなかったので、もう一つの Japanese Elementary 1 の授業に併せて出てもらった上で、補習授業に出てもらうことにする。かなり今までのことを覚えてくれているので助かる。Statser さんの授業もあまり進んでいないので、じきに追いつくだろう。
 

2月16日(水)
 何とか授業はこなすが、かなり鼻の痛みが激しかった。生徒にうつさないように細心の注意を払う。自分が風邪を引いて分かったのだが、まわりにも結構風邪を引いている人はいるようだ。ただ、あまりひどくなっていないようである。ちなみに、私もそうだ。
 ところで、今日の授業で日本の俳句と和歌の朗読をした。どうもアフロアメリカンの学生にはピンと来ないようである。日本の詩歌の朗読は音を伸ばすところに特徴があるが、アフロアメリカンの文化ではリズムと抑揚にその特徴がある。教会の朗誦のようだとも言われたが、確かにそうである。やや気落ちしたが、後から Wellmon さんが来て、朗誦した詩歌の訳を見せてくれと聞いてくれた。斜め向かいの教室で授業をしていたので、声が聞こえたのである。考えて見れば、日本語の授業ほど大きい声を出す授業はない。まわりから注目されるわけである。
 

2月15日(火)
 ついに風邪を引いてしまった。ここでは風邪あっはやっていないと油断したのがいけなかった。特にひどくはないが、目や鼻が痛いといういつものパターンである。取りあえず、明日授業があるので、物理的方法で治療を図る。おかげで目の洗い方を発見したが、時すでに遅しという感じか。
 

2月14日(月)
 今日はバレンタインデーである。しかし、義理チョコの存在しないこの国では、私にとってバレンタインデーは無縁である。どうも家族間や同世代の友達の間ででカードやお菓子をやり取りするのが、ここの風習のようである。
 それはともかく、Statser さんに外国に対する意識を聞いてみたのだが、予想どうり、アメリカがいかに他国を混乱させているかについてはあまり知らないようだった。すなおに外国の政府が人権抑圧や経済的規制を続けているから発展できないという感覚である。文明を受け入れるのはフィリピンにおける英語の公用語にせよ、日本の漢字による外来語の翻訳にせよ、大変なことなのだが、そこへんに対する自覚がない。人間には a priori に文明を受け入れる能力が備わっているという感じである(もしそうだったら中国は三大発明を成し遂げた段階で近代文明へと突入したであろう)。やはり、アメリカ国内に多くの移民を受け入れているので、その擬似的な国際社会が他国への自国の影響を覆い隠している面もあるようである。いろいろ説明したら、それでは何年したら文明を受け入れられるのかという話になった。正直、これには答えに窮したが、文明を部分的にも受け入れない選択義があっても良いと思う。そこに気づかないのがアメリカ人のアメリカ人たるところだろう。アメリカでも知識層には自国の問題に気づいているようだが、一般大衆はまだまだである。その点、この国の周辺にあるカナダは違うのではないかと思う。いずれにしても、きちんとアメリカの人たちに問題を説明できるようにしなくてはならないが、英語の一極集中がそれを阻んでいる。やはり外国語を勉強せんとこの手の問題には目が向かんわなーと正直思う。
 ところで、今日の夕方、バスケットボールを見ることとなる。生では生まれて初めてだ。残念ながら、わがカレッジは負けてしまったが、レベルは結構高い。相手チームにはダンクシュートを連発する選手もいる。昔「スラムダンク」というアニメを見ていたのが参考になった。結構日本にもこちらのバスケットボールを生で見たい人は多いんじゃないでしょうか。
 

2月13日(日)
 最近、タイラーの日本の人と話して話題になったのだが、中国の人はアジア人全般について、日本人だとか、中国人だとか、韓国人だとかの区別ができるらしい。確かにここへんに居る日本人は普通の日本人の顔をしているので区別が出来るかもしれないが、私の友人、殊に九州人の顔は結構にぎやかである。私にとっては中国や韓国はことばを勉強したことがないので、いまだ馴染みの薄い国なのだが、ここに来てかなり中国の人と話す機会があるので、中国に関してはかなり親近感を持つようになった。日本にも多くの中国人は住んでいるだろうが、外国に来ないと外国人に親しめないのも確かである。
 

2月12日(土)
 アメリカの民主政治の音読のおかげであろうか、新しく音読している「タイム ボキャブラリー BOOK」の進行状況は順調である。逆に言うならば、「アメリカの民主政治」の英訳がかなり難しい文章だったということになろうか。これはタイムのほど知らない単語が出てくるわけではないのだが、とにかく構文が難しい。そんなこんなで英語の勉強を進めているわけであるが、アメリカに住んでいる割にはあまり一般会話に上達が見られない。確かにこちらに来た当初よりは聞き取りも出来るようになったが、やはり少し込み入ったないようになるとついて行けなくなることがある。多少テキサス英語の影響もあるだろうが、もともと日本語でも一般会話は理解できないことがあるので、しょうがないのかもしれない。とにかく、特殊な状況に即した発話は理解しづらい。正直のところ、TOEFLやTOICのヒヤリングでは、短文の応答問題よりも長文の聞き取り問題の方が出来そうである。日本に帰ったら、この手の応答問題を音読しなくてはなるまい。
 

2月11日(金)
 今日、タイラーの First Baptist Church の外国人を対象としたパーティに招かれる。いつものようにタイラーにいる日本の方と一緒に行ったのだが、そこでフィリピンの方と親しくなる。帰りにその方の家に行って、いろいろ話をしたのだが、フィリピンでは小学校から英語で授業をするそうである。聞くところによると、現地のネイティヴのことばでは学術用語などの難しい専門用語がないからだそうだが、恐らくフィリピンに多様な言語が並存していることもその理由であろう。西洋文明を漢字によって受け入れた日本の先人たちの努力に感謝すると共に、いかに文明を受け入れることが大変かを感じさせられた。ことばは必要がなければ覚えない。だからアメリカ人は英語しか出来なくなるわけだが、その一方で、外国語を受け入れなくては文明生活が出来ない人々もいる。必要があれば自然に覚えられるのかもしれないが、何となく情報における不平等を感じるところはある。日本の場合はその意味では、あまりに中途半端だ。日常、英語なしでも生活が出来るが、これから英語が出来るかどうかが就職などでかなり問われることになるだろう。日頃必要ないものを必要なものとして習得するのは骨の折れるものであるが、日本の場合、下手に英語を習得すると自国の文化が見えなくなる恐れもある。そこが植民地の経験を通して自国のアイデンティティを確立した国々と違うところだ。
 
 

[ことばのこと]