JARVIS 通信3月上旬




 

3月10日(金)
 今日何とか無事に中間テストを終了した。結果は二極分化という感じか。予想通りではあったが、かなり差が出た。いちおう、テストをやさしくしていたので、極端に出来ない生徒はいなかったが、出席率と授業での態度がそのまま成績に反映した。私の授業は黙って真面目に聞いていても良い成績は取れないようになっている。それは外国語学習を対話の流れで行っているからだが、それが思いの外はっきりと成績に出た。今までの外国語学習経験もあまり影響なかったところも面白い。
 ところで、しばらく実家からのファックス通信が来なかったので心配していたのだが、ファックスの送信先がAOLのアドレスになっていたため送信できないことが分かった。なぜかOECからAOLに変わっていたのだ。AOLでは添付書類のやり取りに支障が出るらしい。文字化けにせよ、何にせよわずらわしい話だ。徹底的にソフトに手を加えて個人用にしたいところだが、そこまで私はコンピューター詳しくない。例えば私が今打っている変換ソフトだが、漢字変換に際して要らない字が多すぎる。徹底的に削除したいのだが、仕方がわからない。もちろん、登録機能は活用しているが、半角カナをはじめ要らない機能が多いのである。私は漢字の使い方に一定の規則があるので、その規則通りに出れば問題ないのであって、他の字は要らない。要る時には、一字一字漢字を打ちこむ。また、キーを子音と母音とを良く順番をも違えてうち間違えるのだが、これも自動修正して欲しい。ワードで their を thier に打ち間違えると自動修正するのに、このソフトはしない。これは贅沢な機能かもしれないが、変換の優先順位もこちらで決めたい。なぜかあまり必要のない漢字が変換される。これには腹が立つ。なぜ「くじょう」と打って「9乗」が「苦情」より先に出るのか。徹底的に個人用にできるソフトが良いソフトである。
 

3月9日(木)
 こちらでは防犯のことを pest control というらしいが、その関係で鍵を変えることになった。指定された場所に行ったのだが、まだ準備が出来ていないとのとで、明日鍵を取りにいくことになった。久しぶりに強力なアフロアメリカンの英語を聞くことになる。簡単な内容でもとても聞きづらい。逆に言うと、普通回りの人は私に少しは気を使ってノーマルな英語を話してくれているということか。
 それは良いのだが、また電話会社から電話があった。内容が良く分からないので、日本語で電話するといっていたが、料金は払っているはずなので、何が問題なのかわからない。電話が切られると通信できなくなるので今のうち申告しときます。内容を短く切って話してくれれば分からないではないのだが、長い内容を切れ目もなしにテキサス弁でやられるとさすがに私も対応できない。日本語で再度かけてくるといっていたが、思うにさほど重要ではない内容なら日本語のスタッフもいないだろうから、かけて来ないのではないかとも思う。スペイン語なら別だろうが。時々かかってくる間違い電話と売りこみの電話はヨダキイが、売りこみに関しては分かりやすい英語の発音の場合が多い。それを考えると、どうも地元の支社からのものだろう。

3月8日(水)
 いちおう、今日の授業で学習内容の確認をしたのだが、まだ不充分な点が多いようだ。出席には問題ないのだが、少し問題をやさしくして見る。口頭で答えることは出来ても、文章を書くことは難しいらしい。取りあえず、今回は数字の読み方や曜日などの単語を単純に問う問題を主にして、答えに文章を書くものは少なめにした。いちおう、ドリルはやっているのだが、まだまだである。
 

3月7日(火)
 こちらの中間テストは金曜の予定だが、いちおう問題を作り上げた。今度は生徒が5人いるので、結果にばらつきが出るかもしれない。取りあえず、明日、復習をして見るが、ある程度は点を取ってもらわないとこちらが困る。
 それはともかく、アメリカはスーパー・チューズデイでゴア vs ブッシュ大統領選の構図がほぼ固まった。個人的には私はあまりブッシュが好きではない。我がテキサス州の知事ではあるが、どうも軽い上に気まぐれのように見えるからだ。マッケインもかなり短気といわれているが、ブッシュも同様のようである。ただ、マッケインの方が筋を通す性格をしている感じがするので、非常事態にも強いようにも思える。アメリカは現在好景気だが、実はかなりその地盤は不安定なのである。第一、通貨の流通量が異常に多い。たまたまインターネットによる経済的効用の増加がこれに対応しているので問題が表面化していないが、このタイミングがずれるとかなりの経済的危機が生じるだろう。そんな時、誰が大統領かで事態の収拾に大きな差が出る。現在のところ、幸運にもグリンスパンという逸材がいるからうまく持っているが、これがいつまで続くか分からない。事はアメリカ一国に収まらず、世界的であるから問題である。見方を変えれば、この国の大統領が誰になるかに最も翻弄されるのは紛争を抱える第三世界とも言えるだろう。
 

3月6日(月)
 今日、日本語のクラスで「荒城の月」「赤とんぼ」ついでに谷山浩子の曲を披露した。Statser さんのクラスではそれなりに受けたのだが、正課の学生のクラスでは受けなかった。ま、若い人には受んわなという感じの曲ではある。J‐pop の話もしたが、話している本人がよく知らないので何ともならない。とくかく、これについては軽くてハイテンポというイメージしかない。この手の音楽に飽きを感じないのは、単純に力がありあまっているせいだろう。リズムのよさでは黒人の音楽は秀でているが、その特徴は単純な繰り返しにある。単純だが、ここまでやるかというのがアフロアメリカンの強みである。だが、その背景に彼らの苦しみの歴史があることも忘れられてはならない。彼らの音楽が J‐pop のように軽く感じられないのは、そのためであろう。ま、J‐pop は考えて見れば中途半端な代物ではある。私はアフロアメリカンの音楽も好きだが、本質的にスラヴ系のクラッシクが好きである。まさに両極という感じではある。
 

3月5日(日)
 我が Jarivis Christian College には何匹か犬が住み着いているのだが、その一匹が子供を産んだ。5匹くらいだろうか。今まではあまり人目につかなかったのだが、この土日、人が少ないこともあって、結構目立つところに出てきている。それは良いのだが、校内に一段下がったスペースがあって、そこに入りこむと子犬が出れなくなる。昨日今日と子犬をそこから救い上げたが、そのあと妙に慕ってくるので困ってしまう。まだ、ヨチヨチ歩きなので、走って振りきれるから良いのだが、少しヨダキイ。しかし、母犬は大変である。最近、乳離れをしたので楽になったようだが、それまでは大変だったようだ。Jarivis のトレードマークはブルドックだが、ここにいるのは普通の野良犬である。やっぱり、日本の犬と顔が違う。
 

3月4日(土)
 最近、ここでの書き込みよりも掲示板の書き込みの方が極端に量が多くなってしまった。詳しくは、「哲学茶房の主が時折顔を出す掲示板のあるHP」のリンク集を見てください。森岡さんのHPは新たに提出されそうな臓器移植法の問題で盛り上がっているが、今のところ私はこちらには顔を出していない。しかし、[RIN’S FARM][KOKIRIKO ROOM] には入り浸っている感じだ。特に、[KOKIRIKO ROOM] では勝手に連載物をはじめたので、手が抜けない。実は、私が使っているAOLのメーラーからだとチルダ(波線)が文字化けを起こすので、掲示版の方が自由にHPが紹介できるという利点がある。これはインターネットならではのやり方だ。HPを持っているとこう言うときに便利なのだが、なぜか私のHPはチルダがあるので文字化けを起こす。アメリカならではのことかもしれない。
 それはともかく、たまたま食堂でうちの生徒と一緒になったので、箸の使い方を教える。これもたまたまホットドックが出ていたので、その軸棒を使う。隣にいた女の子も一緒に試して見たが、うまく行かない。今度、授業で教えてみるのも手かもしれない。
 

3月3日(金)
 久しぶりに今日の授業で社会ネタを取り上げた。西洋文明はいかにその他の地域に受け入れられたか、というテーマである。さすがにこの話題になると、ナジール出身のリンダさんは反応が早い。ワルター君は眠ってしまった。「出る杭は打たれる」ということわざをネタに話を進めたのだが、個人主義と民主主義とを受け入れるのはどこの国でも大変なようだ。アフリカでは独裁者の登場が後を絶たないし、日本では政治の形式は整っているものの意識の面での定着が不充分である。全体としてこの手の話題は関心が高いようだが、いかんせん討論が盛り上がるとこちらの英語能力がついていかない。とはいえ、日頃うまく英語が通じないリンダさんの言ってることが今日は良く聞き取れた。難しい話題の方が英語が分かるというのも不思議なものである。
 

3月2日(木)
 結局、今日もキシャちゃんが来ないので、こちらの授業はあきらめることにする。しかし、生徒は来なくてもカレッジに出なくてはならなかったので、結局かなり時間を取られてしまった。最近、新たなMLにも参加し、掲示板にもちょくちょく顔を出しているので、インターネットをしている時間がまた長くなった。ゲゼルMLはご無沙汰状態だが、どうしてもネットから離れられない。こののような状態でも、外国語の時間は削れないから、忙しい状態に変化はない。
 

3月1日(水)
 ついに3月になった。こちらはすでに春爛漫、小さいながらも野には白や紫、そして黄色の花々が目立っている。今年はテキサス在住のおかげで、ほとんど冬を体験しなかった。こちらでは、冬は気まぐれにちょっと立ち寄るものに過ぎないという感じだ。小鳥のさえずりも目立ち、自然の豊かさを感じさせる。ここは雨は少ないが、砂漠ではない。人がまばらにしか住んでいないので、自然も持っているという感じもする。
 
 

[ことばのこと]