JARVIS 通信5月下旬



5月31日(水)
 関空到着。ついに日本の土を踏む。手続き等は順調に進んだ。しかし、関西弁が外国語のように聞こえる。結論として、人の言葉に本質的な違いはないというのが実感である。10ヶ月に渡る長い夢を見てきた気もする。東テキサスは良い所であった。
 

5月30日(火)
 早朝、朝6時半にタイラー空港に着く。出発2時間前に空港に到着くださいということであったが、手続きはあっさり終る。あまりにあっさり終りすぎて何が何だかわからないほどだった。多少トラブルはあったが、友人の見送りでタイラー空港をあとにする。これからは日本だ。タイラーからダラスへ、そして関空への帰路につく。時差の関係で長い昼が続くが、その先には関西がある。一人、テレビの進路経過を見ながら、太平洋の広さを実感する時間が過ぎた。
 

5月29日(月)
 今日が Jarvis での最終日である。タルプレイさんと Statser さんご夫妻がアメリカ人の姓名のルーツを時々調べるボランティアをしているのだが、そのテレビ取材が Jarvis であった。私も参加したがこれがこのカレッジでの最後になる。夕方にタイラー出お世話になったUTタイラーの方々に会うことになる。久しぶりに中国料理を食べた。明日はタイラー空港に朝早くから出向かねばならないが、結構遅くまで友人と話をしていた。
 

5月28日(日)
 ついに押し詰まってきたという感じである。あしたはタイラーの知人宅に宿泊予定なので、今夜が Jarvis 最後の夜になる。日が暮れる頃、散歩に出たが、この時間はとてもさわやかだ。人もほとんどいず閑散としているが、別れの静けさをかもし出しているようである。一方、関西での宿泊先も決まり、日本とのメールのやり取りが結構忙しくなってきた。関西は立命館大学にいたので4年ほど住んでいたが、私は自分の今まで住んできたところにそれなりの愛着を感じている。大分を最初とすればテキサスは5番目と言うところか。ただ、なかなかテキサスに戻れないのがきついところではある。
 

5月27日(土)
 何とか一息ついた。時間が出来たので、やりかけの勉強も済ませることが出来た。明日はもっとゆっくり出来るだろう。帰国後はしばらく関西をぶらつくつもりだが、だいたい日程が見えてきた。関西はテキサスにくれべればはるかに近いが、大分からめったに出れるわけではない。とにかく、帰国の機会も重要なチャンスなのである。
 

5月26日(金)
 朝ようやく荷物を郵便局から送ることが出来た。8つのボックスで250ドルくらいである。もちろん船便でゆっくり送る。他にも飛行場へのピックアップの予定の変更などがあり午前中は大変だった。その後、お別れにあちこち出向いたが、本当に名残惜しい。それはともかく、月曜日は祭日で休みであることに朝気づく。荷物を今日送るようにしていて良かったと思う。正直もう少しいれば、英語でもっと討論が出来るようになると思うが、これはこれで良いだろう。まだまだ勉強すべきことはたくさんあるが、大分に帰ってもまたやるべきことは多いのである。
 

5月25日(木)
 さすがに日も押し詰まってきたので、カレッジの方と帰国の打ち合わせをする。荷物をいつ送るか、飛行場へはいつ誰が送ってくれるのか、銀行の口座はどうするのか、電話やケーブルテレビをいつ切るのか等の手続きである。他にも帰りの飛行機の再確認を行った。何となく緊張状態が続いている。
 

5月24日(水)
 とにかく、荷造りを何とか済ませる。完全ではないがだいたいのめどはつく。日本へは船便なのであまりお金はかからないとは思うが、いろいろとあるので苦労した。本当に名残惜しい。恐らく来年ここに来ることはないと思うが、いずれにしても良い経験をしたと思う。日本人の間には得体の知らない緊張感が漂ているように思う。私はこれが、敬語などに見られる、言葉の非対称性から来ているのではないかと思うのだが、どうだろう。
 

5月23日(火)
 今日 Statser さんから依頼のあった中学校で日本についての話をした。以前話をした学校と同じであるが、生徒は前回とは違う。今回は2回目ということもあって、さほど疲れなかった。印象としては中学生レベルでは難しい話はできないということ、そしてあまりアメリカ以外の歴史は知らないということである。日本では中学生でも19世紀にヨーロッパが植民地政策を取ったことを知っているが、こちらの中学生は関心がないのか知らないのか反応がなかった。このことについては、また別に Statser さんと話をしたが、さすがに歴史の先生だけあって関心が高い。日本の近代史の話を少ししたのだが、いかに西洋文明が他の国々にインパクトを与えてきたかという点を強調した。アメリカのマジョリティにはこの問題の重要性が実感しづらい。なぜなら、アメリカはマイノリティにこの文明化の犠牲を押し付けつつも、大多数の人々は文明のプラス面のみを享受してきたからである。
 ところで、私の言わば最後の仕事の後、お土産を買いに行く。また、多くの方々からいろいろなものを頂き感激する。
 

5月22日(月)
 やばい、コンピューターの画面が一時的におかしくなった。カーソルも何も映らない状態になったのである。恐らく接触不良によるものであろう、2回ほど再起動させたらすぐに直ったが帰国を目の前に少し心配な状態である。
 

5月21日(日)
 静かな日曜日、校内を一人散歩する。私のいるカレッジは学生数はさほどではないが結構広い。使われていない部分も多く、まともに周囲を歩くと1時間以上はかかる。私は道のあるところしか歩かなかったので、1時間弱で散歩を終えたが、これでもうお別れかと思うと感慨深い。とにかくここは良い意味で田舎だ。私も公務員時代に田舎に何度か出向いたが、それとはまた違った趣がある。テキサスは日本のように土地も道路も狭くはないのだ。世界にはいろんな田舎がある。
 
 

[ことばのこと]