JARVIS 通信8月中旬



8月20日(金)
 シバラスのコピーの手配が済んでまずは一安心。問題はコンピューターの接続だけになる。とりあえず、メーラーは入ってないものの部屋のコンピューターから yos さんの掲示板に投稿してみる。何とか成功!次に、最寄の森岡正博さんのページに投稿するも機械にはねられる。実在論の話題が出ているので残念である。コンピューターはまだ時間がかかりそう。
 ところで、家から2回目の小包が届く。CDドライバーが入っていた。今のところ新たにソフトを入れる予定はないが日本の音楽CD(アニメ)を聞きたい気分である。ここにいると別に日本は懐かしくならないが、どうしてもヨーロッパが恋しくなる。ラジオではクラシックはほとんど聞けないし、キリスト教の本はあっても、哲学の本はないからだ。何となくドイツ語を話したくなるのだが、ここではドイツ語は日本語よりも稀である。Ich mochte gern in Deutsche spreachen! Kennen Sie irgendein, wer Deutsche sprachen? どうも私にはドイツ理想主義哲学以来の Wissenschaft(学問)に対するこだわりがあるようだ。
 

8月19日(木)
 タルプレイさんは偉い人なのでカレッジが始まると何かと忙しい。というわけだが、他のインターンが担当の先生と熱心に打ち合わせしているのに対し、ここはほとんど私にお任せである。任されるのはいいが、初めてなので、せめて全体のシステムくらいはもう少し教えておいてほしい。事務のエドワードさんのお世話でクラスの日程を確認し、ついでに電話等の手配をお願いする。懸案のコンピューターもお願いしたが、担当者不在であった。取りあえず、エドワード゙さんに英文の校正をしてもらいシバラスを完成させる。エドワードさんに多謝である。
 夕方になって、新入生の歓迎会がある。一人一人と握手をしながら、'I am a Japanese instructor!  IWATA!!' と言いまくる。小さいカレッジならではのことである。

8月18日(水)
 朝、タルプレイさんの所に行くと、これから始業式とのことである。午前中いっぱい始業式が続く。どうもタルプレイさんは学部長レベルのえらい人らしいことが分かった。ランチをようやく開店した学校の食堂でとる。それまで、缶詰とハンバーガーの生活だったのでほっとする。ところで、Jarvis のスペイン語の先生である KIRK さんと親しくなる。一人でスペイン語を勉強したといったら驚いていた。実は、英語もほとんどおなじようなものであるのだが・・。
 ところで、この一週間で例のエッセイ(The Secret of human Languag) の秋学期(前期)分をいちおう書き上げる。後は授業の進行を見ながら、適当に調整する予定。始業式では学内でのコンピューターネットの充実が叫ばれていたが、日本語のシステムには関心がないのだろうか?私は一年で帰る予定なので、このまま日本語を教えっぱなしにするのはもったいない。日本語のシステムがあればJerivis で私も東アジアの文化の一粒の種(これは福音書のネタ)となれるのだが・・。
 それはともかく、トルコで地震があったそうだが、ようやく今日になって日本の話題がラジオにのぼった。日本も救助隊を送ったらしいが、アメリカやドイツよりも少し遅れているようだ。昨日はクリントン大統領の深刻そうな演説が主だったが、今日は阪神大震災との絡みが主である。

8月17日(火)
 今日は近くのホーキンスのスーパーと遠くのロンングヴィユーのショッピングセンターに連れていってもらう。近くとはいえホーキンズのスーパーまでは2キロぐらいある。炎天下を歩くのはちと無理だ。それはともかく、アメリカ人の買い物はスケールが大きい。車社会なので、まさに買い物が買出しになる。「箱だ! 箱だ!! インスタントラーメンを箱で買え!!(パトレイバー2)」の世界である。ところで、ここにはインスタントラーメンはあるが、カップヌードルはない。代わりにたくさんの缶詰を買う。
 ところで、Jervis にも多少日本語が分かる人がいた。3年ほど大阪の大学のドクターコースに行っていたそうだ。ただ、周りが英語に合わせていたために、日本語はいまいちとのことである。その人から、タイラーの病院に約5人ほど日本人が来ているそうだ。どこの国でもお医者さんは頭がいい。
 それはともかく、大分から頼んでいた本が届く。日本語教育の本が主だが、英日対照訳の聖書が入っていたので、旧約聖書の音読をする。荷物の隙間に入っていた8月11日付けの新聞を見ながら、日田林工はどうなったのかとふと思う。こちらでは、日本が北朝鮮のミサイルに対抗してアメリカと協定を結んだというニュースは入るのだが、野球の結果はさっぱりだ。
 しかし、いつになったらコンピューターはネットににつながるのだろう。いましばらくかかりそう。
 

8月16日(月)
 さすがに今まで緊張してきたのか、一週間たって多少疲れ気味である。午前中、事務所でインターネットをする。通信はまだできないのだが、HPだけは見ることはできる。とはいっても、日本語が表示されないので物足りない。近くに電話線の接続があったので自分のコンピューターにつないで見たが、つながらなかった。それでも、日本に関する資料収集は進む。仏典の英訳やアメリカのアニメのHPを物色する。結構アメリカにもジャパアニメのHPは多いのだが、その多くは大学のサークルの掲示板のようになっている。ここから近いところではダラスの人がHPを出している。
 

8月15日(日)
 日本ではお盆だが、こちらでは全く関係のない状況。昨日に引き続き部屋の中で仕事を続けている。アメリカの家屋の照明は電球が中心で、しかもビジネスホテルに見られるように全体を照らすようになっていないので。明り取りには苦労する。先日の買い物で電気スタンドを買ってきたもののそれだけでは仕事ができない。台所の明かりと外の明かりをうまく取り入れて仕事によい位置をようやく探しあてる。電球中心のアメリカの照明は電気代がかかるだけではなく、部屋全体を照らさないので目にも悪い。
 ところで、時間があったので例の日本語についてのエッセイもかなりはかどり、動詞の解説まで書き進む。時制の問題についてかなり哲学的な内容を書いてしまった。これは直接には授業で使わないのだが、JARVISの諸先生方の意見を伺いたいところである。このカレッジは言語学や哲学の講座はないようだが、Englishの先生は結構多い。外国語と自国語(英語)とを比較することは、特に日本語を学ぶことがなくても多いに価値がある。
 それはともかく、土日なので通信環境の設定ができない。一人で部屋にいるのは苦痛ではないのだが、テレビもなし、さほど本もなし、インターネットができないのは痛いところである。また、唯一の楽しみのラジオではFM局の多さにもかかわらず、クラシック音楽を放送するところがない。ともかく、私のコンピューターにある「多賀墨卿に答ふる書」の英訳を音読する。

8月14日(土)
 休みに入ったので、部屋の中で一日を過ごす。朝、Jarvisのブラウンさんから缶切りをプレゼントしていただいた。切り口がきれいなハンドル式のものである。実は、12日買出しに行ったとき、缶詰を買って来たのだが、缶切りを買い損ねて難儀していたところだったのである。ブラウンさんに多謝である。なぜかブラウンさんの英語は聞きやすい。
 ところで、一日中部屋にいると結構仕事も進むものである。例のエッセイもかなりかなり書き進むことができた。また、ここでのラジオ放送の内容もかなり分かってきた。ここでよく聞こえるのは、やはり近くのタイラーの放送局である。この町もさほど大きくはないのだが、こんな町でも放送局が営業できるのには教会の援助があるからであろう。とにかく、ここではキリスト教関係の番組が多いのである。また、全国ニュースはABCからの中継である。他にもCNNのラジオ局やスペイン語の番組も発見できた。いずれにしても、ここではFMを含めて多くの放送局の放送を聞くことができる。ただ、夜になると少し入りが悪くなるのが難である。
 それはともかく、ここでは日の沈むのが遅い。8月の時点で暗くなるのが8時過ぎである。夏時間のために時間をずらしているからであろう。それでも、朝の7時前には明るくなる。この点はスペインと同じようである。日本も夏時間を採用するとのことだが、テキサスは緯度的にも日本とあまり変わりないので、こんな感じになるのかとも思う。

8月13日(金)
 学校が始まるのは18日だが、クラスが始まるのはその一週間後らしい。私は18日にクラスが始まるものと思い、すでにシバラス(授業計画)の原案を作ってしまった。大学で多くの人と会うにつれて、私の授業のために考えたことを広く知ってもらうためにHPで公開することを検討。別に日本語を勉強する人でなくても興味が持てるように、言語一般の問題を英語と日本語との対比しながら論じたエッセイになる予定。哲学的内容はほとんどそちらで書くことになりそう。もちろん英語で書きますよ。

8月12日(木)
 もともと英語にはさほど自信があるわけではなかったのだが、ネイティブの英語はとにかく聞き取りづらい。どうも原因はテキサス弁の過度の巻き舌にあるようだ。アナウンサーの発音は聞きやすいのだが、普通の人はそうではない。私でもかなり分かる英語をしゃべるレーガン元大統領やクリントン大統領のしゃべりはやはり一流か(内容はともかく)。
 ところで、ようやく買出しに行くことになった。事務のエドワードさんのお世話で、隣町の巨大ショッピングセンターに行く。レジの待ち時間がやたら長かったが、ここの人は一度に大量買出しをするらしい。

8月11日(水)
 タルプレイさんの案内でロータリークラブの会合に招待される。突然のスピーチのご指名で少し慌てる。それはともかく、ここの人の親切には感じ入る。コミュニケーションに対する熱心さがやはり日本とは違う。
 ところで、この国の人は太った人が多い。どうも原因は食後のデザートにあるようだ。とにかく大きい。

8月10日(火)
 Jarvis Christian College は小さい大学だが、アメリカの大学だけあってキャンパスは広い。テキサスは今年、記録的暑さらしいが、湿度がないことと各部屋に空調設備が整っているので、日本よりは過ごしやすい。私の経験からすると、39.9度を記録した日田と同じくらいの暑さ。湿度がないのもその時の日田の状況と似ている。ただ、アメリカは華氏で気温を表現するので正確なところはわからない。他に問題があるとすれば、日本語を解するコンピューターがないのが難点。私の住むへやの準備もまだできないので、この日までタルプレイさんのところにお世話になる。
 タルプレイさんの部屋でテレビを見て感じたのだが、この国では中高年世代が元気が良い。日本では中高年は会社に使いつぶされているのではないか

8月9日(月)
 人生において最も長い一日。何しろ時差の関係で、14時間も余分にあるのだから。その一日の、ちょうど約24時間が旅行にかけられた時間である。自宅から空港バスへのタクシーから始まって、大分空港行き特急バス、伊丹空港への飛行機、伊丹から関空行きのバス、関空からダラスFW空港行きの飛行機、ダラスからタイラー行きのコミュニティ機、最後にタイラー空港に出迎えに来ていただいたタルプレイさんの車、と長ーい旅でありました。懸案だったのはダラス空港の入国手続きと、手荷物の預け直しだが、これは問題なし。ただ、タイラー行きの飛行機のゲートがはっきりせず、2転してA6ゲートに決まるまで手間がかかる。
 ところで、着いてはっきりしたことだが、この地では日本語を解する人がいない。タルプレイさんの日本語は片言である。早速、資料をもらったのでクラスのスケジュールの検討に入る。

[ことばのこと]