JARVIS 通信10月下旬



10月31日(日)
 今日午後食堂に行ったら、今日から冬時間ですよといわれた。11月からだと思っていたのだが、よく考えたら、日曜日に切り換えるのが理にかなっている。何か1時間得した感じだが、暗くなるのが急に早くなるので、寂しい感じもする。天気は昨日と違って雨は時々という感じだが、日が照らないので、特にそう感じる。
 外国語の勉強にも飽きたので、今日はメールをたくさん出す。ゲゼルMLにもデビューした。また、Statser さんから明日の授業に出れないとの連絡があった。OKの返事を書いたら、Arigatougozaimasu と返事が来た。嬉しい。土日は何もないが、ネット上は結構忙しい。
 

10月30日(土)
 今日は珍しく朝から一日中雨が降っている。久しぶりの雨音に気持ちよく昼まで寝ていた。
 地域通貨の問題から経済学に首を突っ込んで久しいのだが、どうも経済学に対する関心と失望はかなり一般的である。市場万能主義を説く新古典派はいまだに健在であるが、もし大学の講座内容が市場原理によって即座に一般の要望を反映するなら、真っ先に彼らは失業するだろう。誰も架空の前提に基づいた数学的論議に関心はないからである。ゲゼルMLの賑わいもそうだが、森岡さんのHPでもこのネタふりをしたらたちどころに反応があった。経済学への不満、恐るべし。
 

10月29日(金)
 キシャちゃんは今日も風邪気味だったが、何とか授業をすることが出来た。彼女は算数が得意のようで、小数や分数を教えるついでに、足し算・引き算の言い方も教えることが出来た。アメリカの学生算数を苦手にしていることは有名だが、最近は日本の方がひどくて分数の計算が出来ない大学生がいるらしい。中学程度の算数は大学入試の英語の試験で問えばという感じである。
 ところで、ここ2、3日水道の調子がおかしい。食堂も若干影響を受けている。この前は電気も一時的ながら止まってしまった。夜停電や断水するわけではないのであまり支障はないのだが、濁った水が出たりするので気にはなるのである。
 

10月28日(木)
 前回同様、一人のみの出席であったが東アジア史の授業を無事終了し、ビジネスセクションでの日本語クラスの紹介を行う。時間は10分程度と短かったが、本来授業で使う予定だった「ゴジラ」のネタも含めて資料を配り、外国語教育の必要性をアピールした。ビジネス部門ではどうしてもコンピューター導入の話題が先行するが、Technique としてではなく Art としてのコミュニケーション能力がその基本にある。その能力を見出すためには言葉そのものへの反省が必要であり、日本語のような外国語の学習はその意味で有用であることを話した。とにかく、アメリカ人は外国語ににあまりにも不熱心なのである。ちなみに、今回ミーティングに参加された先生の半分は外国人で、アフリカ出身の人が一人、韓国の人が一人、インドの人が一人という具合である。さすがアメリカだという感じだが、ついでに立命館アジア太平洋大学のことも少し触れた。急いで英語のページでリンクをしなければという感じである。
 

10月27日(水)
 今日のキシャちゃんは風邪気味で声がよく出ない。故に、黒板に練習問題を書いてもらうことにする。文法問題にもかなり慣れてくれたようだ。外国語の勉強というのはコツを掴むのが難しい。私の英語はその点ひどかった。いまだに外国語は得意とは言えない。ちなみに、今日アメリカの思想家であるソローの「市民としての反抗」の原文を読んでみたのだが、やはり難しい。19世紀のドイツ語が難しいことは確かなのだが、これはドイツ語に限ったことではない。スペイン語も英語も難しい。殊に、ソローのようにギリシャ・ローマの古典に通じた人の文章はそうである。最近のインターネットでは簡単な文章にするため、関係代名詞さえ使うなという話もあるが、隔世の感がある。私は個人的に明哲なタキトゥスや中世ラテン語の文章が好きである。
 

10月26日(火)
 教室の変更の知らせが周知されていなかったためか、東アジア史の生徒は1人だけだった。以前、このクラスで話をしたときも1人だったことがあるが、その時と同じである。ただそれでも、内容としては結構充実したものとなった。やはり自らの国土を戦場にしたことのないアメリカとその他の国々とでは武力に対する意識が違うようである。ゴジラと原爆はその違いを明らかにする良いネタになる。今回はビデオ室を使わせてもらったので、ついでに「めぞん一刻」も見ることが出来た。久しぶりに気に入った回を見ることが出来たのだが、これはまたの機会に使えそうだ。アメリカの Cartoon はやたらペースが速いが、「めぞん」はじんわりとしたペース、自然描写をうまく背景に用いている点など日本のアニメの特徴を良く示している。
 

10月25日(月)
 カレッジのビジネスセクションの方から、日本と日本語についての話をしてくれとの要請がきた。今週の木曜日1時間程度とのことである。英語にはあまり自信はないが、ネタはあるので快く引き受ける。Wellmon さんの授業もあるので、今週は結構忙しい。
 それはともかく、荷物が大分から一気に4つも来た。お菓子が主なのだが、タイミングとしてはちょうど良い。しかし、正直のところ、インスタントの味噌汁や乾燥そば、そしてお茶の類が思ったより少ない。頼んでいたラジカセが来たのは助かった。ここは夜になるとラジオ中波が入らなくなるのだが、そうすると結果的に音楽ばかりで英語が聞けなくなるからだ。ここでは聞けるテレビ局は一つか二つだが、それでも英語のヒヤリングにとっては大変良いのである。
 

10月24日(日)
 最近、HTML 形式で文章を書くことが多くなった。ネットスケープのコンポーザーをワープロ代わりに使っているわけである。コジラの話もこれで書いた。文字の色や大きさを自由に変えることが出来るのはワープロと同じだが、リンクが張れるのが便利である。また、ワードの場合、ドイツ語だと英語のスペルチェックが働いて波線が入ってしまうのだが、これもない。大学生の頃、カントの「純粋理性批判」をすべてレポート用紙に筆写してドイツ語を読んだことを思うと隔世の観がある。今、この便利な機能を利用してドイツ語の難文の分析をしているのだが、非常に便利である。ギリシャ語を学ぶときに名詞の格(て・に・を・は)を蛍光ペンで塗って覚えた人がいたと聞いたが、色付のテキストもコンピューターでは可能だ。誰かラテン語のこのようなテキストを作ってくれないだろうか。ちなみに、ドイツ語の難文解析は希望する人には送ってあげましょう。といっても、必要な人はあまりいないだろうが・・。

10月23日(土)
 旧約を読み終えたとはいえ、道はまだ長い。新約をスペイン語で読み始めたが、さすがに久しぶりのスペイン語では、横の日本語訳を見ながらの音読となる。今日は疲れが出たのか、昼過ぎまで何もしなかった。ようやく夕方になって、勉強をしだした具合である。気温も午前中と午後との差が激しいのも一因だろう。ドイツ語の方も少しづつ進めているが、いずれにしても、一気にとは行かない調子である。

10月22日(金)
 今日はキシャちゃんがこなかった。昨日、補習授業に出れないと電話があったので、その関係だろう。来週は単独で東アジア史の授業をするが、Wellmom さんがビデオ室を手配してくれた。多謝である。なんせ英語に難があるんで・・。いずれにしても、内容は大体固まっている。
 それはともかく、今日ついに旧約聖書を読み終えた。とにかく、エグイ内容ではあったが、贖いの希望を与えてくれる書物である。教育勅語を支持する人たちにはこの「贖い」の重みは分からないだろう。単に「礼儀正しく仲良くしましょう」と言った所で歴史の前には無力である。日本人はやたら先祖からの徳を有難がるが、ご先祖様の真実は今同様にエグイのである。過ちと痛みを経て初めて真実が明かされる。たとえ、その過ちが今も続いているにせよ、それを知ることによって何とか未来を生きていくことが出来る。真の宗教にはこの否定的要素が欠かせない。後にイエスが次のように自らを語ったのはまことに理にかなったことである。

「我、地に平和を与えんために来たと思う勿れ。我、汝等に告ぐ。然らず、むし ろ争いなり。今からのち、一家五人あらば三人は二人に、二人は三人に分れて争 わん。父は子に、子は父に。母は娘に、娘は母に。(新約聖書・ルカ伝 12: 15ー53)」
 

10月21日(木)
 来週の東アジア史の授業に備えて「ゴジラ」に関する英語のエッセイを書いてみる。「ゴジラ」が反戦映画であることはもちろん正しいが、この映画の魅力はそれに尽きるものではない。その中には旧約の世界にも通じる真理が語られている。いちおう、これらのことを私は先日の原発事故や今世紀の革命への熱狂、そしてその恐怖をも少し絡めて書いてみた。「The GOZIRA as a apostle to modern society」というのがその題である。「apostle」とはエヴァにも出てきた「使徒」の意味である。いずれ、このHPでも公開しましょう。以前、私は日本人には神話的要素が欠けていると書いたが、ゴジラは別である。
 
 

[ことばのこと]