JARVIS 通信11月下旬



11月30日(火)
 ついに今日で11月も最後、日本では一足早く12月になっている。今日は少し寒かったが、日本より暖かいので、あまり冬が来たとは感じない。カレッジはそうでもないのだが、個人的にいろいろ背負い込みすぎてしまった。多少疲れている。
 その原因の一つが「GOD WANTS YOU TO BE RICH」であるが、この本は結構面白い。読み終わったら英文の「必殺読書人」のコーナーを作って紹介しようかとも思う。ゲゼルの老化する貨幣のアイディアは経済の根本的問題の解決には結びつくが、すでに起こってしまっている混乱の収拾にはこの本の説く科学技術の錬金術の視点が必要のようにも思う。完全には賛同できないが、いろいろ参考になる。

11月29日(月)
 いやー、休み疲れである。この休みの間に勉強しすぎてしまった。午後、帰ってきたらすぐ寝てしまい、起きたらすぐ夕食という感じであった。
 ところで、Statser さんに例の本を読んでいることをいうと、同じ著者の別の本を貸してくれた。なんか Mr.Statser さんの昔の知り合いのようで、うまくすれば連絡が取れるかもしれない。来年には英語でメールを書きまくりたいと思っているので、良いことである。
 一方、キシャちゃんは先週授業に出てこなかったので、心配していたのだが、今日は元気に出てきてくれた。補習の方もOKのようである。本人は良い成績を取るとメキシコに行けるので張りきっている。
 

11月28日(日)
 Statser さんに貸していただいた「GOD WANTS YOU TO BE RICH」という本を読んでいる。良くも悪くもアメリカ的な本だ。言っていることは割と単純で、従来は技術革新を考慮に入れていなかったために、ゼロサム状況を前提にして失敗したが、これを考慮すれば経済的困難を克服できるというものである。経済を左右する要因は一つではないから、技術革新にせよ貨幣にせよ、それだけの考慮で問題が片付くとも思えないが、現在においてはこれは不可欠の視点である。ただ、この本がキリスト教の立場から所有の概念を無条件で受け入れているのはいただけない。アメリカインディアンが所有の概念を知らなかっために、アメリカの大地からより多くの利益を得ることが出来ず、結局、彼らは白人に土地を売ってしまったと書いているようだが、彼らのほうがはるかに白人より安全に土地を生かすことを知っていた。言わば、彼らの方が神への怖れを知っていたわけだ。アメリカ人は歴史に対してアクセルを踏むことしか考えないところがある。
 

11月27日(土)
 聖書に続いて、それと平行して読んでいたマックス・ウェーバーの「古代ユダヤ教」も何とか読み終えた。読みにくい文章ではあったが、いかにユダヤ教がそ歴史の中で成長しつつ、世界宗教としてのキリスト教に連続し、また決別して行ったかがよく理解できた。特に、後半部の預言者を扱った章は圧巻である。
 かくして、聖書も読み終え、「古代ユダヤ教」も読み終えたのであるが、まだ先は長い。外国語の音読はトゥグリル「アメリカの民主政治」の英訳に入る予定だが、その一方でスペイン語版の「仏教聖典」を日本語版、英語版を参考にして、辞書を引きながら黙読をはじめた。結構知らない単語が多いので時間がかかる。また、日本語の方は「オートポイエーシス」の読書に入る予定だ。この手の自然哲学は私が強い関心を持ちつづけたものだが、ようやく読む時間が出来たかという感じである。クリスマス休みを生かして勉強を進めたいところだが、他にやりたいこともあるので正直時間がない。メーリングリストをまた少し控えねばならないかもしれない。
 

11月26日(金)
 ついに新約聖書を読み終えた。聖書読了である。サンクスギビングに何とか間に合った。
 サンクスギビングといえば、以前「南無阿弥陀仏」の念仏を説明しようとしたとき、これはサンクスギビングであると考えたことがある。弥陀の請願によって救われたことへの自然な感謝の現れという意味である。新約の中にはやたらと言葉を費やして祈る異邦人を否定する記述(マタイ6:7)があるが、これと混同されないためである。カレッジの宗教事典で浄土教を調べたら、やはり念仏を Thanks giving と書いてあった。
 というわけだが、実際にアメリカではサンクスギビングは買い物の祭日となっているようだ。2日目の今日は正月二日の初売りの感がある。
 

11月25日(木)
 予想通り食堂は閉まっていた。とにかく大学は閑散としている。幸いなことに、先日お話をした宮崎の方の知り合いの方々のサンクスギビングのパーティに参加することができ、3ヶ月半ぶりにビールを飲むことが出来た。参加者の大部分は中国の方で、日本人は私を含めて3人だけである。中国語をまた勉強したくなった。いろんな話をしたが、世の中には頭の良い人がいるものだと思う。生体における環境ホルモンなどの物質がいかに排除されているかを研究されているらしいが、非常に興味深いテーマである。この分野の研究者は職人的な仕事の出来る人が多いのだが、好奇心の幅が広く、物事を理解する能力は相当のものである。正直、理科系の人々の業績に比して、文科系の人間は何をしてきたのかを考えてしまう。理科系の場合、検証の問題にあまり悩む事はないが、一方でその研究そのものが他との広い連関の中でどのような役割を担えるかについては直接的にその研究から結論は出ない。これは文科系の人間の関わる仕事であり、両者の協力が欠かせない。しかしながら、現実は森岡正博さんが指摘するがごとく、文科系の研究は文献学か、経済学に見られるような机上のモデル作りである。
 

11月24日(水)
 明日から4連休なので食堂は昼まで、夕方にハンバーガー等のパックをもらう。空は秋空。明日からの食事は貧粗になるかも。
 それはともかく、今読んでいるウェーバーの「古代ユダヤ教」第二章が面白い。ユダヤ民族が捕囚後、いかに自民族の結束を固めて行ったかがよく分かる。特異な律法の遵守、他民族との結婚の禁止などを通して、彼らは宗教を軸に新たな道を歩み出す。彼らは排他的ともいえる民族主義を確立しながら、一方で他民族のユダヤ教への改宗を始めているところが面白い。この両者の矛盾は新約のパウロの時代になって深刻な矛盾となって現れる。キリスト教の普遍化を目指す彼にとって、律法の特異性、殊に割礼の有無が障害となってくる。ついに彼は律法の遵守にこだわるユダヤ人を切り捨てることになるのだが、ここに民族主義とコスモポリタニズムとの今日まで続く和解しがたい対立の根があるようだ。本当なら、彼が当時の政治権力との和解を図ったように、各民族の習慣も神に由来するものとして干渉しない態度を取るべきだったのかもしれない。つまり、ユダヤ人はユダヤ人の慣習に従って、ローマ人はローマ人の慣習に従って神の道を歩めというようにである。だが、ユダヤ教を母体としたキリスト教にはこのような穏当な道は歩めなかった。結局、ユダヤ人は普遍宗教の流れに取り残されるのだが、歴史において彼らが「世の塩」の役目を担っているのは皮肉なことである。
 

11月23日(火)
 昨日疲れて早く寝たので、夜中に起きてしまった。そのまま深夜のラジオ局を探索しスペイン語の放送局を見つけて録音する。多少雑音は混ざるがまずまずだ。内容は音楽が主で、後は商品の紹介がほとんどのようである。やたらに電話番号が耳につく。音楽は普通、語学の勉強にはプラスにならないのだが、ゆっくりした長閑なメキシカンナンバーが多いので結構勉強のネタ仁なりそうである。
 朝方、再び少し寝たのだが、そのとき嵐のような豪雨が来た。ここでは珍しい。天気予報では一日中雨のようなことを言っていたので、浸水しないかと少し心配になる。とにかく大雨を想定せずに低めの土地に床下もなく家が建っているからだ。幸いにも雨はすぐやみ、午後には晴れたが、全く大雨の想定をしていないのに驚く。ここでは雨が珍しいので、かえって有難がられるくらいである。
 午前中、Wellmon さんの授業の後にチャペルで優秀な生徒の表彰式らしきものがある。少しはスピーチも聞き取れるようになった気もする。
 

11月22日(月)
 ここ数日曇りの日が多かったのだが、雨は降らなかった。けれども、今日になって雨もちらほらという感じである。ここでは日本以上に一雨ごとに季節が進む。何しろ雨が降ることが少ないからだ。天気予報によると明日は雨らしいから、かなり寒くなるだろう。と言っても、日本よりはかなり暖かい。
 そう言えば、日本では勤労感謝の日(時差の関係で)だが、こちらもサンクスギビングの休みが近づいてきた。こちらの休日は土日とリンクするので、4連休になる。クリスマスも近いので、日本で言えばゴールデンウィーク前という感じか。ただ、その前に期末テストがあるのである。
 

11月21日(日)
 先週から休日には Wellmon さんの家に招かれる事が多くなった。今日は途中で Wellmon さんご自慢の馬を見せてもらった。かなりの頭数の馬を持っているようだが、テキサスにはとにかく馬や牛が多い。私が行くと馬が寄ってきて、にらめっこをすることとなる。結構かわいい。また、タイラーに出たのでラジカセを買う。スペイン語の番組をやっている放送局があるのだが、なぜかここ数日は入りが悪い。ちょっとミスマッチである。いえからテープを送ってもらうことも考えて対策を考えよう。
 
 

[ことばのこと]