JARVIS 通信12月上旬



12月10日(金)
 ようやくメールを出せる時間が出来たが、まだまだ勉強しなくてはならないことが山ほどある。スペイン語とドイツ語、そして英語の勉強の先は長いという感じか。少しは勉強内容を変えないといけないかもしれない。そろそろ音読を復活させたいところである。
 

12月9日(木)
 今、仏教伝道協会から出ている「仏教聖典」のスペイン語版を読んでいるのだが、単語をひとつひとつ辞書で引いているのでえらく時間がかかっている。よくもまーこれだけ基本的な単語を知らずスズペイン語をしゃべれたものだと思っているのだが、とにかく良い勉強にはなっている。今月中に例の「GOD WANTS YOU TO BE RICH」も読んでしまいたいので、かなりのペースで勉強を進めなくてはならない。今学期の日本語の仕事は大体終ったが、こちらも来学期に向けての準備が結構大変である。
 それはそうと、今日強風のため一時停電があった。うちだけが停電したことはあるのだが、学校全体の停電は珍しいことである。たまたまカレッジに出てみたらムニールさんにあったので、しばらく日本語を交えて話をする。ムニールさんはムスリムなので、只今、ラマダン月の断食中だそうだ。こちらに来て宗教の生活との密接な関わりに感心しているのだが、日本人が普通の生活の中で宗教にあまりにも無関心なのにはやはり考えさせられてしまう。このことについては、来週、教会に行く予定が出来たので、その時こちらの方とゆっくり話をしてみましょう。
 

12月8日(水)
 今日、何とかキシャやんの期末テストを終えることが出来た。本人はやや出来に不満そうだったが、この前の中間テストに比べて出来は良い。それだけ私の方も工夫したわけだが、いずれにしてもアメリカ人にとって日本語のような毛色の違う言語は相当に難しいようだ。これは昨日、中学で話をした時も感じた。逆にいえば、英語は日本人にとってかなりの難物と言うことになる。確かにスペイン語やドイツ語、果てはラテン語やギリシャ語までかじった人間にとっては日本語は簡単な言語ということになるが、外国語の学習経験のない人にとっては母語との距離が最も大きい障壁となる。私の場合、幸運なことに長年の外国語学習のおかげで英語などの語順には慣れたが、語彙力がいまいちである。
 

12月7日(火)
 今日、Statser さんのご紹介で中学校の授業で日本について話をした。以前も中学生相手に話をしたので、あまりを準備をしていなかったのだが、よく考えると20人以上の生徒を相手に1時間半も話すとなるとそれとはわけが違う。直前になって少しとまどったが、なんとかしのいだ。とにかく1時間半は長い。中学生の集中力を持続させるのは至難の技である。アニメや聖書、そして日本語の話から、果ては日本の歌まであらゆるネタを使い尽くした。普通なら折り紙とか、日本の童謡などを準備して望むのだろうが、不器用な私にはそれは出来ない。とにかく話と小道具と質疑応答でしのいだわけである。明日はテストなので、これが終れば一段落だが、よく考えれば、この時期にこの手のスケジュールを入れるとはヨダキイことではあった。
 

12月6日(月)
 キシャちゃんが週の後半にどうしてもダラスに行かねばならぬということで、試験の日程を繰り上げる。その代わりに日本のCDを聞いて感想文を書いてくれということで何とか話をまとめる。Statser さんのクラスに比べてかなり進んでいるので、問題はあまりないのだが、よだきい話ではある。出来れば良い成績を上げたいので、テストには気を使う。一人しか生徒がいないとこちらも強く出られないうらみがある。
 それはともかく、今朝は寒かった。Wellmonn さんの車でカレッジまで送ってもらったのだが、一面の草原が霜で真っ白である。車のフロントガラスも霜が凍りついて真っ白であった。午後にはかなり暖かくなったが、季節が日代わりという感じである。
 

12月5日(日)
 午前中、カントンのフリーマーケットに出掛けることになる。「カントン」と言うので「広東」の人たちのフリーマーケットと思ったら、近くに「カントン」という所があったのである。紛らわしい。とにかく広い会場でいろんな物が売られていたが、結局何も買わなかった。周さんのお友達と回ったのだが、とにかくアメリカ文化を生で見ることができたという感じだろうか。日本への土産を考えながら会場を回ってみた。
 それはともかく、夕方から先日サンクスギビングでお世話になった先生の所に再び招かれる。日本から来ている先生の一人が帰国されるとのことで、お別れパーティに招かれたのである。今度はパキスタンとドイツの先生が来ていて、生まれて初めて生のドイツ語を使うことになる。何とか通じたが、何せ知っている単語数が少なすぎる。来年早々勉強しなくては。さすがと思ったのは、ここに来ていたドイツの先生をはじめ何人かが弦楽器の演奏をしてくれたことだ。バイオリンとかチェロの類である。家族で演奏できるところがうらやましい。多少道に迷ったが、夜無事にWellmonn さんの家に送ってもらい、忙しい一日を終えることが出来た。
 

12月4日(土)
 暖かさの反動で嵐になった。Wellmonn さんが午後迎えに来たのだが、ちょうど嵐が終りかけた頃だったので、大変だったのである。テストの日程の方は何とかなりそうとのことで安心した。奥さんの周(チー)さんに午後からさっそく日本語を教えたが、昔、日本に来たときの記念写真の場所を読みを教えることになる。当然のことながら昔は若かったねーということになるが、行き先の多さには驚く。きたは北海道から南は鹿児島までという感じだ。中に別府の写真があった。そのころ私はいくつだったのでしょう?
 

12月3日(金)
 12月というのに、日本でいえば5月の陽気である。午後からは半袖でいける感じだった。暑がりのキシャちゃんはもうまいっている。テストの日程の方は Wellmonn さんから Jhonson さんに話してもらうことになった。正直助かる。Jhonson さんの英語は分かりにくいからである。
 夕方になって、世界宗教の時間でご一緒しているミッシェルさんと一緒にスーパーに行くことになる。いろいろ買いこんだが、5000円程度なのでやはり安い感じがする。いずれにしても、これでクリスマスは乗り越えられる。行き帰りにミッシェルさんとかなり話をするが、彼女の英語はミシガン州の英語なので分かりやすい。町ではクリスマスのイルミネーションが目立つが、この陽気ではねー…、という話もする。
 現在、外国語の勉強が大変になったので、HPの更新等はお休みしてます。来学期からは学生が増えそうなので今のうちという感じでです。
 

12月2日(木)
 今日の補習にキシャちゃんが来てくれた。それは良いのだが、欠席に数が多いので、それをどう補うかで苦労してしまった。キシャちゃんの方にはそれなりの事情があるので無理は言えないが、出来ればこちらも良い成績を取ってもらいたいので宿題を課することとなる。しかし、こちらも初めてなので試験の時期等について確認が必要だ。早くカタが済めばそれに越したことはない。
 ところで、今日の夜ヘンデルの「メサイア」の公演がチャペルであった。地元の人たちによるものだが、生で通しで聞くのは初めてである。この曲は日本で言えば「第九」のようなものだが、最後の「ハレルヤ」の合唱を聴衆も立って歌うのが慣わしのようである。珍しく大学以外の地元の方と話も出来て有意義であった。
 

12月1日(水)
 早くも12月だが、暖かいせいかその自覚がない。今日、キシャちゃんが来れなくなったので、補習かそれに代わる課題を考えなくてはいけなくなった。はっきり言って、よだきい。また、うちからCDが届いたのだが、こちらでは再生できない。機会があればプレーヤーを買いたいところだ。ちなみに、一緒に谷山浩子の初期のテープが入っていたのだが、あまりの具体的暗さに唖然とする。ユーミンの方を送ってもらうべきだった。本当はアニメを見たいところだが、VTRは高いので買わずにおこう。
 
 

[ことばのこと]