JARVIS 通信12月下旬



12月31日(金)
 テキサスにいて日本との時差を最も強く感じるのが今日である。朝の4時キリバスやトンガではすでに2000年を迎える。一年前は日本で新年を迎えた後、スペイン etv を朝見て、もう一度カウントダウンを迎えた。今年は逆である。日本が2000年になった頃、私は寝ていた。その後、香港から順にヨーロッパへとカウントダウンは進んで行く。テキサスはまだだ。
 

12月30日(木)
 この時期はどうしても日本とテキサスの時差を感じてしまうが、その一方で今日こちらはえらく暖かかった。例年よりは暖かめという話だが、日本ほど寒くないのも確かだろう。どうも日本との違いが気になる。さすがに、こちらでも2000年を前にしてテレビも騒いでいるが、私は年の瀬の勉強の追い込みのため一日中「仏教聖典」のドイツ語とにらめっこしていた。これだけないが言い時間をかけて読んだのは初めてだが、ここで日本のドイツ語の辞書の質の悪さにようやく気づくことになる。私が使っているのは古い学術用の辞書なのだが、はっきり言って使いづらい。訳語が不自然だったり、熟語が見にくかったりして、スペイン語の辞書と比べるとどうしても見劣りがする。最近は良い辞書も出ていると思うが、私は哲学を勉強する都合上、古いタイプの辞書を買ったのであった。今思うと、このことが私がうまくドイツ語を学べなかった最大の原因かもしれない。訳語は自然に、しかしそのニュアンスの解説は丁寧にが良い。逆に、外国人用の日本語の辞書については未だにお寒い状況らしい。辞書を作る人は語学や文学などの専門家が多いが、この手の人たちはど素人の立場を理解できないきらいがある。
 

12月29日(水)
 私の生活は平穏そのものだが、世間では new millennum (新千年)に向けて慌しくなっているようだ。これはアメリカも日本も変わりがない。先日、CNNのTVで2000年問題に対する公共広告を見たが、何をいまさらという感じもする。その一方で、コンピューターの世界ではこれを契機に一休みというところだろうか。MLもここ2、3日めっきり数が減っている。私の方は「仏教聖典」のドイツ語の読みに入ったので、また少し忙しくなった。再び辞書と首っきりという感じである。ここにきて宗教の勉強は相当にしたが、「仏教聖典」のことも含めて、これは来年に語ることとしよう。ただ、今言えるのは、日本人に宗教意識がないわけではないが、日本人の宗教の捉え方とアメリカも含めた外国人の宗教の捉え方には相当開きがあるということである。日本では宗教をドグマとして批判するのは容易だが、異民族との共存を体験していないだけに、その見解の多くは外国人にとって説得力のないものになっている。ここをどうするかが課題となろう。少なくとも自分の宗教的立場を言葉に出来なければこれからの国際交流は壁にぶつかる。タイラーのメアリーさん、ビルさんの体験をお伺いしたい所である。
 

12月28日(火)
 取りあえず、勉強の区切りがついたので午前中はゆっくり休む。午後に少しドイツ語を読み、スペイン語の仏教聖典を少し読み返す。久しぶりの音読で体の調子も良い。ただ、大きい声で読むために、休み以外はどうしても読むのは昼間もしくは夕方だけになりそうだ。ということで、再び「仏教聖典をドイツ語で読むことを考える。さすがに今度は1ヶ月で読み終えるのはハイペースなのであきらめざるを得ないが、この手の勉強は思ったより効果がある。何せアメリカに住んでいてヒヤリングには事欠かないから、外国語教育で悪名高い訳読でも、ここでは思いのほか相乗効果がある。何か英・独・西のチャンポンだが、結構これが行けるのである。しかし、時間が限られて来たので、普通の日本語の読書の時間が取れるかが心配だ。日本語教育の本も読みなおさなくてはならない。何につけてもやることが多いのである。
 

12月27日(月)
 ついに今日「仏教聖典」を読み終わった。辞書を引きながらスペイン語で読んだので、えらく時間がかかったが、良い勉強になった。スペイン語で読むと、仏教の聖典もかなり趣が変わってくるものだ。これから音読に入るが、雰囲気としては聖書の朗読に近くなるだろう。日本語では仏教用語が定着している変わりに、何となく意味が分からないまま読んでいることが多いのだが、スペイン語だと新たに意味を捉え直して読むことが出来る。聖書と比べると、いろんな話を寄せ集めて編集されているので、一貫した歴史に沿った緊迫感に欠けるところがあるが、逆にそのおかげで仏教の広大な教えを簡潔にまとめているとも言える。特に、哲学的教説としては簡潔でよくまとまっている。また、外国語のテキストとしては聖書よりも単語の偏りが少なく、文章も無理がないので読みやすい。この仏教聖典には日本語、英語、スペイン語のほかに、ドイツ語、ロシア語、アラビア語などの多くの外国語版があるのだが、どれかひとつを通読すると他の外国語の学習にも使えるという利点がある。この「仏教聖典」に関するHPがあるので紹介しておこう。一企業のバックアップで刊行事業がなされているらしい。
 

12月26日(日)
 先週お知らせしたが、私は最近、日曜日に教会に行く伝が出来た。以前、大分に住んでおられた、ビルさんメアリーさんのご夫妻に食事をいただき、その後で家にまで招待された。とてもありがたいことである。さすがに家では大分の話で盛り上がった。聞くところによると、大分バプティスト教会に'86年までいらしたそうで、大分大学や西南大学で英語も教えておられたそうである。ペトロ岐部カスイの本を持っていったので、お貸しした。それにしても、こんな所で大分人に会う、しかも聖書読了の後に会うというのも何かの縁である。今でもご夫妻は大分の方と交流があるようなので、私も帰ったら関係する教会に顔を見せたいと思っている。
 

12月25日(土)
 クリスマスになったとたんに、すなわち昨日からAOLとのつながりが実にスムーズである。普通の日よりもゴールデンタイムのときに繋がるので、前との違いは歴然だ。いかにこの国にとってクリスマスが大切なものであるかをうかがわせるものである。その一方、実にカレッジは静かだ。恐らくチャペルで service (礼拝)があったのだろうが、ここは少し離れているので、とにかく人気がない。ここ数日、鳥の鳴き声が目立つようになったが、それも人がいないからだろう。この状態はしばらく続きそうである。
 

12月24日(金)
 インターネットで日本のページを見ていると時差を感じてしまうのがクリスマスである。日本ではもう聖夜はとっくに終っているのだが、私はいま通信を聖夜に書いている。日本時間の聖夜、私はなぜかアニメ関係の掲示板で宗教についてのやり取りをしていた。これも何かの縁である。日本には宗教に反感を持つ人が多いが、これはある意味で健全な宗教意識の現われとも思う。ただ、宗教全体に対する関心が薄いのはやはり問題だろう。こちらでは、あまりにもキリスト教が自然過ぎる。あまりに馴染んだものには批判の眼を向けにくいところがある。その一方、私は仏教聖典を読んでいる。これもかなり読み進んだが、とにかく辞書を引きまくっているという感じか。来年から外書購読は宗教関係のものからアメリカ関係のものに重点を移すが、いずれにしても良い勉強をさせてもらっている。
 

12月23日(木)
 ようやく [WHY: Japanese Animation] のアップデートが終る。リンク先がある関係で、再びアニメの話題での交流が始まった。しばらくは、英文のページを使ってめぼしい英語のHPにアクセスできればという感じである。最近、テレビを見るようになったおかげで、アメリカ文化をかなり肌身で感じるようになった。Statser さんから借りて読んだ「GOD WANTS YOU TO BE RICH」からも感じ取れるのだが、この国ではまだもののあはれを明確な形で意識するには至っていない。とにかく前へ前へという感じである。Statser さんから本を読んで言えるのは、この国はまだお金が欲しいと単純に思っている杜子春のレベルにあるということだ。杜子春は自分の影を頭から腹へと掘り返し次々に宝を得るが、結局それを使い果たしてしまう。まだ、アメリカはこの使い果たしてしまうことに飽きる前の杜子春というわけだ。この国がいかにして平穏な中に幸福を見出すかは分からないが、いずれそうなると私は信じている。ただ、それがいつになるかは分からない。
 

12月22日(水)
 テレビを見ていたら日本のアニメーションにぶち当たる。どうもストリートファイターらしいが、久しぶりなので見入ってしまった。お子様用アニメ以外は初めてである。やはり日本のアニメの完成度は高い。ストーリーが条件反射でないだけでもアメリカのカートゥンとは違う。その後、ポケモンも発見したが、どうも日本のアニメは友情をテーマにする癖があるらしい。ここらへんも家族愛をテーマとするアメリカと違うところだ。英語だからセリフが完全に分かるとはいかないが、だいたいパターンが読めるので支障はない。うる星を英語で見ていたら、恐らく相当英語が出来るようになっていたであろう。
 

12月21日(火)
 今日、朝から電話代を支払うのためにカレッジの郵便関係の事務室に行く。最初に行ったらまだ開いていなかったので、周囲をしばらく散歩することになったが、無事に小切手を郵送することが出来た。これで今年の仕事は終りである。正直、ゆっくりしたいところだが、HPの更新やメールのやり取りなどが滞っていることもあるので、いろいろとやることが多い。特に、今まであまりにゲゼルMLに首を突っ込んでいたのでアニメ関係の計画が滞っているのである。こちらのクリスマス休暇を利用して何とか日本のアニメのPRをしたいところである。
 
 


[ことばのこと]