「本来の水準」を考える
 

(1) 理論地価の決まり方

 では、基本に戻って、適切な地価(理論地価)はどのように決まるかを見てみま
しょう。
 不動産と預金・債券の間を資金が自由に移動する市場を想定すれば(完全に自由な
不動産市場はどこにも存在しませんが)、地価はその土地が産み出す収益とその時の
利子率で決まります。例えば、国債の利回り(=長期金利)が6%ならば、100万円
で国債を買うと6万円の利子がつきます。ですから6万円の地代を産み出す土地は理
論的には100万円の価格がつくことになります(6÷0.06=100)。
 収益(土地の場合は地代・賃料)が一定とすれば、金利が6%から4%に下がれば
地価は100万円から150万円に上がり(6÷0.04=150)、逆に金利が上がれば地価は
下がります。
  資産価格 = 収益 ÷ 利子率
この価格を「収益還元価格」といいます。土地は建物、駐車場、農地などとして使
い、収益が産まれるからこそ価値を持つのであって、バブル期の日本のように、地価
が上がったから賃料を上げるというのは本来の姿とは逆でした。

 国家が元本を保証する国債と違い、不動産は値下がりの危険があるので、地価は
「地代÷金利」よりリスク・プレミアム(損をする危険に対する割り増し分)だけ低
くなければ、買い手は現れません。
  地価 = 収益 ÷( 利子率 + リスクプレミアム )

 例えば、地代が6万円で、利子率が6%、リスクプレミアムを2%と考えれば、地
価は、6万円 ÷(0.06+0.02)= 75万円となります。
 経済成長が高い時は、企業収益も給与も増え、将来の高い収益と地価上昇が予想さ
れます。(そのような時期には、地価は何年か分の経済成長を先取りして上がりま
す)。日本では高い経済成長が続き、また、土地所有が税制面などから非常に有利で
あったので、地価は永久的に上がるという「土地神話」ができました。地価がピーク
の90年頃まではリスクプレミアムはゼロかマイナスだったので、地価は異常に高くな
りました。上記の収益還元の式でいえば、6万円÷(0.06−0.02)=150万円、とい
うような高価格になり、これは適正価格75万円の2倍になります。

 地価を決める要因は複雑で、適切な地価を求めるのは困難ですが、特に現在の日本
のように将来が見えない場合には、リスクプレミアムをどう算定するか皆が迷ってい
ます。現在は長期不況や企業の海外移転などによって賃貸料などは下がり、収益還元
価格は下がっています。特に、金融機関が持つ担保物件が売られるまでは地価は底値
に達せず、リスクプレミアムはかなり高いので、借り入れ金利が低くても、買おうと
する人は少ないのです。
 みずほ証券の石澤卓志氏が4つの都市で商業地の収益還元価格を試算し、公示地価
と比較しています。(日経ビジネス2001年6月4日号)。それによると、2001年初め
に、公示地価に対する収益還元価格は札幌・駅前、福岡・天神で約40%、大阪・梅田
で55%、東京・丸の内で68%ですから、札幌や福岡では地価が半値以下に、丸の内で
は3割強も下がらなくては、投資対象にならないということになります。

土地の収益(賃料や地代)は人々がつくりだした稼ぎ(GDP)の中から支払われま
す。地価もGDPを大きく上回って上がることはあり得ません。
6大都市の地価とGDPの上昇率を見てみます。それぞれ1955年を1とすると、

    6大都市   GDP
60年    3     3
70年   17    12
80年   41    29
85年   56    38
90年  167    52
95年   91    59
00年   60    60

 どうみても90年の6大都市の地価はおかしいですよね。(ただし、住宅地と商業地
では動きが違いますが)。
 

   (2) 株価の適切な水準

株価の適切な水準も、収益還元価格で推論できます。それは最後にのせますが、それ
よりも単純に、少し前のメールで述べたPER(株価収益率。株価が「一株当たり利
益」の何倍になっているかを表す)でだいたい説明できます。
(また、ここでは省略しますが、株価あるいは株式時価総額とGDPの関係を見て
も、地価と同じような結果が出ます)。

 経済が成熟した米国のPERは、90年代初めまで平均13倍強、90年代後半でも平均
22倍で、株価が最も高かった2000年春には30倍でした。(その後、株価は下がりまし
たが、利益もそれ以上に下がったので、PERは35倍になりました)。
 日本の上場企業のPERは、80年代初めには21倍くらいで、それから急に上がり始
め、株価が最も高かった89年末には70倍になりました。その後、株価は下がりました
が、利益の方がより大きく下がったので、98年や2001年にはPERは100倍になりま
した。
2002年3月期の決算では、何と、上場企業の最終利益は初めて赤字になり、(日本経
済全体が赤字だということです!)、益回りもPERも出せません。

2003年3月期の最終利益の予測は01年(PER=105倍)の1.4倍です。これが達成さ
れ、その時の株価が今の水準ならば、PER=50倍強ですが、まだまだ高いですね。
 企業が赤字の分野から手を引いて、競争力のある分野に力を集中すれば、利益は増
えます(失業が増えますが)。3−4年かけて利益がさらに2倍強になり(これで利
益率は欧米にかなり近づきます)、株価が15%下がれば、PERは21倍になります。
こうなると、TOPIXは750、日経平均は7700になります。
(最後に述べるように、僕の試算ではPER=23倍くらいが適正水準なので、株価は
もう少し高くなりますが)。
現状を考えると、これでも楽観的と言われそうです。(数年前でさえ、これに近いこ
とを言ったら、多くの人に「何を言っているの」という目で見られました)。日本で
は持ち合い株の放出が増え、また、世界的な株価下落で、日本株の売買の半分を占め
る外国人投資家(多くは米国)も日本株を買うリスクは取りにくいでしょう。どう見
ても、株価の下落要因の方が上昇要因より大きく、結局、これまで株価を強引に上げ
てきたツケを今まとめて支払っています。

(僕が最も有効な考え方だと思うものを以下に述べますが、読み飛ばしてくれて結構
です。というのは、それで求めたPRE=23倍は、上記の単純な方法と結果がそれほ
ど変わらないので。)

収益還元価格の式をもう少し正確にして、株価を「将来にわたる利益の割引現在価
値」と考えると、

益回り+期待・実質成長率=期待・実質金利+リスクプレミアム

(注.「益回り」----「一株当たりの利益」を「株価」で割ったもので、その株を買
うと何%の利益率になるかという指標。PER・株価収益率の逆数です。)

期待成長率を1.5%、期待実質金利=名目金利1.3%−インフレ(-0.8%)=2.3%、
また、企業間の株式持ち合いは崩れて株式の放出が高まるし、米国経済もバブル崩壊
でおかしくなっているので、リスクプレミアムを3.5%と高く見ると、益回り=4.3%
となり、よってPER=23倍くらいが適切な株価水準となります。
 

   (3) 「日本経済の本来の水準」

 ユーロ圏では、政府債務の残高をGDPの60%以下にすべしと定めています。60%
は子や孫にあまり迷惑をかけない、超えてはならない割合ということです。一方、日
本の政府債務は積もり積もって今年度末で700兆円。日本がEUの基準を守るとする
と、GDP500兆円の60%は300兆円ですから、財政黒字を出して400兆円を返済しな
くてはなりません。
 400兆円を30年間で返済すると、たとえ金利をゼロとしても、毎年13兆円の財政黒
字を出さなくてはなりません(金利3%ならば20兆円)。今、国と地方で合計42兆円
の公債を発行しているところを、13兆円の黒字にするということは、差し引き55兆円
分を、増税と政府支出の削減でひねり出すということです。

 日本の高度成長期には1億円の公共投資が2億円以上のGDP(付加価値の合計)
を増加させましたが、現在では1.2倍くらいに下がっているようです。
すると、差し引き55兆円の国の財政改善は、その1.2倍の66兆円のGDP減少となり
ます。今のGDPは500兆円ですから、日本経済は13%のマイナス成長になります。
そして、毎年毎年13兆円の財政黒字を出していかなければならないのです。
こんなことは現実的に無理だと言われるでしょうが、これが、子や孫にツケを残さな
い「私達の世代のまっとうな消費水準」なのです。

 財政政策の目的は、景気の振れ幅を小さくして、経済を安定して成長させることで
す。不況のときに政府支出を増やすことばかりが強調されていますが、好況のときに
は、政府は財政支出を減らし、増税し、財政黒字を出して過去の赤字を減らし、財政
を健全にすることが必要です。
 日本のバブル期には、税収は大きく増えました。だから、正しい政策をとれば、財
政は安定し、何よりもバブルはあれほど大きくならなかったはずです。しかし、政府
は税収が増えるにつれて支出も増やし、国民も飲めや歌えの宴会を続けました。
 EUの通貨統合では、政府の財政赤字は不景気になってもGDPの3%を超えない
ことが条件です。バブル期の日本の財政赤字はGDPの1.6%で、これは景気が少し
悪いときの数字です。財政赤字を出して所得をかさ上げしてきたツケは私達が支払う
べきで、子や孫に回すのは恥ずかしいことです。(ただし、心を入れ替え、発想の仕
方を全く変えて知恵を出せば、13%のマイナス成長にしなくても、何とかしていく方
法はあります)。
 

                [ふくろうの眼]