必殺、読書人!!

 

290:地理・紀行
 






「ぼくの戦場記者日記」   千田真  砂書房

 世界中、とんな所にも「日常」があることを教えてくれる本です。著者のチダこと千田真君は私の立命時代からの友人でその当時から活動家でならしていました。卒業後は日本電波ニュースという第三世界専門?のニュース会社に入って、カンボジアだのベトナムだの、はたまた中近東やアフガンなど世界中の危ないところを渡り歩いて来ました。この手の危ない所専門のルポライターとしては落合信彦さんが有名ですが、この本は彼の本とは対照的に第三世界の現場を自然なタッチで書き綴ったものです。ですから、そこに出てくるのは、政治家や経済人などの偉い人々の権謀術数ではなく「セコくたくましく生きる(うる星やつらではなく)地元のやつら」です。

 日本にいるとなかなか感じ取れないのですが、時間通り電車が来たり、郵便物が間違いなく配送されたりするのは歴史的に見ても、地理的に見てもとても珍しいことです。日本の外、特に第三世界などに行くと事は決して「予定どおり」には運びません。日本の真面目な公務員は仕事を期限どおりにそれをこなしていきますが、第三世界ではそうでないのが当たり前で、いろいろそのための言葉が用意されています。この本では、インドの「ノープロブレム」やタイの「マイペンライ」などの例が掲げられていますが、一番強力なのはアラブの「インシャラ」でしょう。現地でこの言葉に粉砕された日本人の話はチダに限らずあちこちで語られています。この言葉は、本来、「神の思し召しのままに」の意味で、英語の「let it be」、スペイン語の「que sera sera」と同じ意味なのですが、この言葉は現地で「マレシ」という言葉とともにいい加減なことの免罪符になっているようです。このことを知らない日本人は現地でプッツンする場合が多いようですが、むしろ日々正確に仕事をしている日本のサラリーマンの方を褒めるべきであって、本来人間はいい加減なのが自然なのかも知れません。私は日本の正確さを要求する社会で多少神経症気味になってしまいましたし、チダも現地に慣れて日本に帰ってくると「自分がとてもアラブ化してしまっている」と書いています。人間生活の「日常」というのは案外そんないい加減さと相性がいいのかも知れません。

 けれども、こんな「日常」も各国で危機に瀕しているのも確かで、そのためにチダの仕事が成り立っていることも事実です。チダ自身もその巻き添えを食ってソマリアで銃弾を受けてしまいました。幸いにも、生きて帰ってこれたのですが、彼を撃ったのが13、14歳の少年というのがやはりショックです。この年頃の少年は本当の意味での夢と現実の区別が出来ていないところがあって、そのために神戸の鬼酒薔薇聖斗の事件が起こったりするのですが、「日常」のほころびが一番危険な形で彼らの内に現れる事があるのです。これは未熟な現実感覚 によるものと言えるでしょうが、チダの場合もそのようです。「日常」が「日常」であり続けるのは案外大変なところがあって、「インシャラ」には強くても、民族問題や内戦にはもろいところがあります。

 この「日常」の崩壊が極端に進んだのが、ルワンダです。ここではご存知のように数年前にツチ族とフツ族との間に大量虐殺が起こりました。チダがここに入ったのはある程度落ち着いて後のことですが、それでも虐殺の後は歴然と残っていたようです。私はいまだに何故この虐殺が起きたのか理解できません。というのも、すでにルワンダではツチ族とフツ族とが長い間共存しており、混血もかなり進んでいたからなのです。今更「ツチ」とか「フツ」とか言われても、それはある意味で人工的なレッテルに過ぎないのです。今回のルワンダでの虐殺でショックだったのは、宗教がこの虐殺を止めることが出来なかったことです。実は、以前にもルワンダでは似たような事件が起こったのですが、教会がその防波堤の役割を果たしました。ところが、今回はその教会の中で虐殺が行われたのです。これでは「インシャラ」もへったくれもありません。

 チダは原住民を対立させ支配する植民地支配のやり方がこの内戦の原因にあるのではと指摘していますが、直接的にはそうであるにせよ、もっと深い歴史的要因がある気がします。それは近代の病理と言ってよいかも知れません。近代社会は同質な人々の団結と異質な者の排斥によって成り立ってきました。経済的に見れば、より強固な国民国家を作ることが近代的な豊かさを得るための必要条件であり、そのためには言葉や宗教、文化などコミュニケーションに手間のかからない人々でまとまることが手っ取り早いのです。しかし、これは同時に他者の排斥を生み、他者は他者で国民国家を形成することによって自分たちに対抗することになります。そうすると、他者とのコミュニケーションの努力よりも他者への恐怖が先立って、ますます同質のグループでまとまることになり、互いの不信感は限りなく再生産されることになってしまいます。

 この結果が二度の世界大戦であり、いまだに虐殺を伴って行われている内戦なわけですが、チダも言っているとおり、これに対して「人類まだそんなに偉くない」のが現状のようです。最近、コソボでアメリカをはじめとしたNATOが軍事介入しましたが、結局それは虐殺に油を注ぐことになったようです。力で解決しようとするアメリカに対して、ロシアや中国は批判的ですが、彼らが批判的なのは自国に民族独立運動の火種を抱えているからで、これらの国もこの近代の矛盾に対して何か処方箋を持っているわけではありません。私はせめて虐殺の模様がインターネットで生中継されれば世界の人々が一致団結してこれに対抗できると考えているのですが、これも今のところ実現困難ですし、逆にそれが出来たなら出来たで、プライバシーの問題などよりややこしい問題が持ちあがるでしょう。今できることは21世紀ががもはや国家の時代ではないと認識することぐらいしかないのかも知れません。

 日本に住む私たちにこの内戦は一見無縁のように思えるかも知れません。しかし、最近の少年事件の多発に見られるように内戦と同じ矛盾を日本も抱えています。ただ、矛盾というものは常に弱いものに災難として降りかかるので、この国ではさほど目立たないだけなのです。チダのこの本は「セコくたくましく生きる地元のやつら」の生きざまを通して、私たちが守るべき「日常」を教えてくれている気がします。 
 

P.S. 1 この本の挿し絵はチダのいとこで漫画家の「吉田戦車」という人が書いているそうですが、私はこの人を全然知りません。けれども、絵は結構いけています。ただ、「エチオピア」の章のキラリ目の男は結構、気持ち悪〜いです。ちなみに、チダのお兄様の千田善さんは講談社新書からユーゴ紛争に関する本を出しておられます。兄弟だけによく似てます。

P.S. 2 千田はこの度独立し、仲間と独自のニュース取材の仕事をしております。主な対象はアジアのアブナイ世界ですが、本人が特にアブナイことをしているのではないので、念のため。仕事内容は結構、硬派です。仕事の具体的内容を理解知るには、彼が以前勤めていた [日本電波ニュース] のHPが参考になるかも知れません。

P.S. 3 阪南大学経営情報学部の伊田昌弘さんのHPにもこの本の紹介があります。こちらの方がこの本の具体的内容が分かると思います。ちなみに、千田の顔写真もあります。
 
 


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