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913:小説・物語




   「雪ん子」  大塚雅裕   近代文芸社
 

 現実世界の小さな隙間から差し込む木漏れ日の暖かさを感じるメルヘンです。私は正直文学というものがあまり好きではないのですが、この物語をごく自然に受け入れることが出来ました。近代文学は人間描写の細かさや技巧的な物語の展開のみに目を奪われて、物語そのものが描くべき人間を超えた世界との接点を失っているところがあります。しかし、この作品はその純朴さを失うことなく、私たちの現実世界をほんの少しだけ暖かく押し広げてくれます。

 「夢」と「現実」との対比は物語の世界では良く用いられる構図です。この「雪ん子」というメルヘンも同様なモチーフを持っています。しかし、一般に映画の世界では荒唐無稽な夢物語をSFXに頼って力づくで描くことが多いですし、一方小説の世界では主人公の内面の過度な心理描写に終始していることもよくあります。前者が「夢」に走って「現実」を見失っているとするならば、後者は「現実」に捕らわれて「夢」を見失っているということができるでしょう。本来、物語はこの両者をつなぐべきなのですが、近代の物語はその中に「より劇的なもの」を求めたために、両者のバランスを失い、相互を乖離させてしまった感があります。けれども、この作品は名古屋を舞台にごく普通の日常の中に敢えて「劇的」なものを導入することなく物語を綴っていきます。

 普通、「夢」と「現実」とは日常の世界で“ありうべきこと”かそうでないかによって区別されます。ですから、アニメなどではよく超能力や宇宙人などが出てくるのですが、それらもいったん虚構の中に導入されると陳腐な設定に過ぎなくなってしまいます。しかし、この「雪ん子」では非日常的な不思議な経験がごく自然に普通の生活の中で展開されます。私も名古屋に3年間住んだ経験があるのですが、名古屋の町の描写は実に写実的でリアルですし、主人公の子供の気持ちもごく自然に描かれています。そこにあるのはまさに日常そのものなのですが、それだけに主人公の経験する不思議な出来事が微妙に際立って感じられるのです。

 ネタバレになるので、物語の内容には触れませんが、はじめは小さな現実世界の隙間に現れただけの不思議な出来事が、後半では次第に現実的な重みを帯びながら、物語を推し進めていきます。いわば、だんだん不思議な体験が現実との齟齬を生み出していくのですが、それを力づくで謎解きし解決するのではなく、あるがままに受け入れていく過程がごく自然に描かれてゆきます。結局、その不思議な出来事をどう受け止めるのかは「要は気持ちじゃ」ということになるのですが、そのおおらかさこそ現代人が失った物語の世界ではないでしょうか。

 実は、著者の大塚君とは立命館大学から名古屋大学まで私と一緒に哲学を学んできた仲です。当時から彼がメルヘンに関心を持っているのは知っていましたが、ようやくここに一つの作品が実を結びました。友人としても自信を持ってお薦めできる作品です。
 
 

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