心理学についてのなぜ!?



 

なぜ心理学は社会にもっと応用されないのか?
 

 現代の最も深刻な問題のひとつに民族や宗教の対立の問題が挙げられると思います。これは本来、他者に対する不信や差別の感情から生じているのですが、これらのことに対して心理学はどのような研究をしているのでしょうか。また、心理学以外の社会学や政治学の研究者はこれらの諸問題に対して心理学からの貢献を特に求めていないのでしょうか。心理学の分野の中には社会心理学というものもありますが、いまいちそこの所がわかりません。

 私が知っているこれに関する心理学の研究は命令するものと命令されるものとの極端な役割分担がいかに人間の心を歪ませるかというものです。被験者に許可を与えた上でどれだけその人が他者に電気ショックを与えることが出来るかという残酷な実験がありますが、これはその典型かと思います。その結果わかったことは、人間は一定の社会的権威のもとでは相当に残酷になれるということでした。人間の残酷な行いはルワンダやコソボなどでも見られましたが、このような残酷な行いはいかなる心理的前提のもとで可能なのかを研究することはとても重要なことだと思います。かつて日本は南京で大虐殺を行ったと言われていますけれども、日本人にとってなすべきことはその規模を云々するよりも、人はいかにして残酷になれるかを明らかにすることだと私は考えます。少なくとも、虐殺がそこで行われたのは確かなのですから。

 不幸にも心理学の応用に関しては危険なカルト集団が最も進んでいるように思われます。マインドコントロールとか洗脳とか言われていますが、これらは心理学の知見にある程度基づいた心理的誘導ではないかと思います。これらの集団では同質の人たちが集まってきますので、これらの誘導が極端な形でその成果を現します。統一教会やオウム事件のとき世間はいろいろ騒いでいましたが、いまだにマインドコントロールとか洗脳というものがあたかも一種の魔法のように語られているのは残念です。人間が一定の社会の中で生活している以上、その社会の誘導に基づいて一定の常識を無意識のうちに身につけて行くのは当然のことといえるでしょう。ですから、マインドコントロールが全く悪であるとするならば社会の秩序も成り立たなくなる危険があります。要はその程度の問題といえるでしょう。私はカルト集団に取り込まれた人々は、その意味で、社会に対する適応性が高い人たちだと思います。

 私が心理学において研究してもらいたいのは差別意識の生成過程です。差別は区別を前提とします。無論、すべての区別が悪いわけではありませんが、ある区別された集団に自己の不満の原因を心理的に押しつけることによって差別意識が生まれるのではないかと私は考えています。そこには上にも述べた社会的な無意識の誘導も重要な役割を担っていますが、さらに突き詰めれば、人間がいかに社会的対象を区別するかという問題がそこにあるのではないかと思います。例えば、ルワンダを例に取ると、その悲劇はツチ族とフツ族との対立によるものだとされています。しかし、この部族を客観的な社会的集団として分析してみると、すでに混血が進んでいるために明確な区分は意識の外には実在しません。これは旧ユーゴでも同様で、民族や宗教の対立が問題の元凶とされていますが、これらの区別は客観的なものというよりもむしろ主観的なものです。しかし、主観的であるがゆえにそれは現実の問題を引き起こすことが出来るのです。

 もしより客観的に見るならば、民族対立による悲劇は排他的な民族主義者によって引き起こされた悲劇です。ですから、他の民族を憎むよりも民族主義者を憎む方が理にかなっています。事実、コソボの問題でのヨーロッパの対応は民族主義そのものへの警戒感から来ていたようにも思えます。しかし、敵対する当事者にとっては、民族主義者というより抽象的な概念よりも、民族や宗教の名前のほうが先に立ちます。憎しみによって理性を失った言えば確かにそうなのですが、それだけではそれを克服するための糸口は見出せません。心理学はその誤った意識形成の過程を綿密にトレースすることによって、この歪んだ意識の解きほぐしのきっかけが与えれるのではないでしょうか。

 私は個人的に、この対立の心理には強迫神経症的な要素が絡んでいるのではないかと思っています。強迫神経症の前提には不安があるのですが、他者の存在が自己にとって不可知なだけに、何らかの形でその不安が相互不信によって増幅される危険があります。深層心理学がやってきたように、心理学がその不安の原因を突き止めることが出来れば世界の平和のために何かしらの貢献が出来るのではないでしょうか。

 心理学は面白い学問分野で、経済学や法学のように特定の分野で自己満足することが出来ない学問です。行動主義のように<刺激ー反応>の単純な観念の連合で心理を説明しようとする分野があるかと思えば、ゲシュタルト心理学のように形の多様な連関から認知や意識を解明しようとする分野もあります。また、いまいち科学的とは言いきれないのですが、フロイト以来の精神分析の方法も複雑な意識のシステムを解明する糸口を与えてくれます。思うに、新しい総合的な学問のきっかけは経済学や法学などの社会科学よりも、心理学や言語学、さらには文化人類学などの人文系の学問でありながら自然科学の要素を取り入れた学問分野から生まれてくるのではないかと思います。
 
 

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