認知機能と情動の関係についての神経科学的考察
 感情とは“喜怒哀楽”や“好き嫌い”など物事に感じて起こる「気持ち」であり、他者からはその人の情動を通してしか把握することができない。情動行動(情動を表現・表出するための行動)は、ある動物が仲間に自分の動機づけの状態を伝える手段でもある。スタンリー・シャクターは、情動を経験するためには生理的興奮と認知的評価の両方が必要だと理論化した。どちらか片方だけでは本当の情動を作り出すことはできない。ヒトでは思考や学習に関与する脳の領域が、大脳辺縁系と相互作用して情動に影響を与える。
人間の認知や行動は、脳で行われる無意識レベルのプロセスから情報を与えられており、そのプロセスは純粋に本能的な反応に刺激を受けている。複雑な感情は、高度な認知構成体であり、意識的な精神が処理を受け持ち新皮質と大脳辺縁系の間で情報がやり取りされてはじめて成立する。感情を感じることはできるが、表現できない無感情症は、皮質の感情処理部分と、顔の表情や発語など感情を表す身体的な手段との神経接続に問題があるときに起こる。われわれは喜びを感じている時と悲しみを感じている時で、体のあり方が違っていることを感知できる。それは、同じようにそうした身体状態に対するマップも異なっていることを示している。悲しみの状況では前頭前皮質に著しい不活発が見られ、喜びの状況では反対の現象が見られことは、悲しみの中では観念形成のよどみなさが低下し、喜びの中ではそれが増加するという事実と一致する。身体内部から脳へ情報を伝達するための末梢神経線維と神経経路は、かつて考えられていたように触覚に関する信号を受け取る皮質(一次体性感覚皮質S1)で終わってはいない。それらの経路は感情の専用領域である<島皮質>で、つまり、情動を感じることによって活動がかき乱される感情の領域で終わっている。
 情動専用の神経システムの特異性の程度は、情動表出の障害によって評価することが可能である。脳卒中によって左半球の運動皮質が破壊され、その結果顔右半分が麻痺している患者の場合:患者の口元は正常に動いている側に引っ張られてしまう。患者が自然な笑いをするとき笑いは正常であり、表情は自然で麻痺の前に見せていた笑いと少しも変わらない。情動と関係する動きは、たとえその動きの舞台(顔と筋肉)が同じでも脳の別のところで誘発されている。これは情動と関係する一連の動きをコントロールしているものが、随意的な動きをコントロールしているものと同じではないことを示している。脳卒中で左半球の前帯状回にダメージを受けている患者の場合:平静なときもあるいは、情動と関係する動きが起きているときも顔は非対称で、左半分より右半分の動きが少ない。患者が意図的に顔の筋肉を縮めようとすれば、動きは正常になされ対称性がよみがえる。これらの領域の損傷や機能障害は、「情動的顔面麻痺」という逆転した麻痺をもたらす。
典型的な情動においては、脳のいくつかの部分−情動と関係しているほぼプリセットされた神経系の一部−が脳の他の部分と身体のほとんどすみずみまで命令を送る。その命令は二つのルートを介する。一つは血流で、命令は化学的分子の形で送られそれが身体組織を構成している細胞中のレセプターに作用する。もう一つは神経経路から構成され、命令は電気化学的な信号の形をとり他のニューロンや筋繊維や器官に作用する。作用を受けたそれらは、それら自身の化学物質を血流に放出する。脳そのものも著しく変化し、脳幹内の核や前脳基底核から放出されるモノアミンやペプチドのような物質が、他の多くの脳回路の処理モードを変えていくつかの特定の行動をもたらし、脳への身体状態の信号を修正している。最終的に感情は、自己保存の意図的な努力をガイドし自己保存の達成方法に関する選択の手助けをしている。また感情は、自動化されている情動をある程度意図的に制御することを可能にしているといえるだろ。
額にしわを寄せて顔をしかめると、筋肉を動かす神経が脳に信号を送る「何か悪いことがおこっている―心配だ」。それがきっかけになって心配の種が芽生え、その感じが筋肉に戻ってきて顔をゆがめる表情がさらに強くなる。その信号が脳にフィードバックされて「さっきよりひどい状態だ!」というメッセージが入ってくるころには、心配はすでに正真正銘のほんものになっている。激しい嫌悪感を顔に出している人を見ると、見ている側の脳も嫌悪を感じる部分が反応する。笑顔を見ると反射的に相手をまねて笑顔になり、そこで何かよいことが起こっていると脳は判断し、喜びの感情を生み出す。できることならば、世界平和のためにもこの機能を生かし、怒りを反射的な経路にいざないその4分の1秒後の前頭葉からの指示を、さらに1~2秒後の自律神経の発動を待ちたいと思う。そして思考によって感情を制御し、嫌悪の表情を笑顔に変化させることでもっと幸せの連鎖を広げることができるかもしれない。心身は一如ではあるけれど、精神を正しく練磨させることでその表現体は変わってくるのではないだろうかと考える。
参考文献
アントニオ・R・ダマシオ著『生存する脳』講談社、2003年
アントニオ・R・ダマシオ著『無意識の脳自己意識の脳』講談社、2004年
アントニオ・R・ダマシオ著『感じる脳』講談社、2005年
リタ・カーター著『脳と心の地形図』原書房、2004年
川島隆太著『高次機能のブレインイメージング』医学書院、2003年
フロイド・E・ブルーム著『新・脳の探検下』講談社、2004年



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