神は純粋の大和言葉である
“神”は純粋の大和言葉(日本語)である。日本の神は唯一絶対の超越神ではなく、こうした信仰とは全く性格を異にするものである。神が天地を創造したのではなく、何かが始めにあり、それが働き示し始め天と地に分かれ、その天に神が自己顕現したというのである。また“神道”という言葉は、仏教が入ってきたことによりそれに対抗する意味で作られたものである。“物質”という語も西洋から来たものであり、“自然”という言葉さえ道教から学んだ。日本人は物と霊とを区別していなかった。本来の日本語による「もの」は物の怪、物の気、物の化である。日本人は、取り立てた宗教意識というよりも、森羅万象に神を見てきたと言えるだろう。つまり、「八百万の神」なのである。本居宣長は“神”というものについて「尋常ならず、すぐれたる徳のありて可畏きものをば神とは言ふなり」と述べている。
「自然崇拝」を古代日本人の信仰の横軸とすれば、縦軸は「祖先崇拝」である。祖先崇拝とは、子孫が祖先の霊魂を祀りその加護を願う人間信仰であり、内に連なる血脈に対する信仰といえる。神道にあっては、祖先の霊が現世と他界を往来すると考える。古代において人々は折に触れて祭りを行い、祖先の霊を迎えていた。時を経て次第に氏神さまは神社に常住するようになり、祖先の霊は神棚や仏壇に常在するようになった。「カミ」は遠い祖先、「ホトケ」は近い祖先を指す。その祖先の霊は祭られることによって降臨し、子孫に祝福を与え、守護する。日本人はかなり古い時代から盆と正月を祖霊祭として祭ってきたものと思われるが、仏教が入って『仏説孟蘭盆経』という経が伝えられ、お盆が意味づけされるようになった。そのお盆に帰ってくるのは祖先の霊そのものであり、正月に帰ってくる歳神さまは祖先霊の変形である。春になると山の神が里に下り、秋の収穫の時期まで田の神となって守護する。秋の収穫が終わるとまた山に帰って山の神となる。日本人が死後の世界について深刻に考えて来なかった理由は、この国(中津国)での子孫による生の営みに強い関心を持っており、子孫が祭れば、何時でも霊魂としてこの世に訪ねて来ることができるという信仰を持っていたからであろうと思われる。私達日本人は、国家神道を大上段に振りかざさずとも、あえて仏教の説法を紐解かずとも、土地に根ざした人と共にある祭りを語り継ぎ受け継ぐことで、日本人の心を確かに体現し得るのではないだろうか。
「敷島の 日本(やまと)の国は 言霊の たすくる国ぞ まさきくありこそ」(柿本人麻呂歌集より)。古代の人は、言葉には“言霊”があると信じていた。言葉には命があり魂がある、良い言葉を言えば良いことが実現し、悪いことを言えば悪いことが起こるという古代の信仰である。私達は、自らが持つ“日本人の心”を、多様性の文化の中で見失いつつある。指摘される“曖昧さ”は、日本人の心情に深く根ざした“気遣い”や“優しさ”に由来するものなのかもしれない。今一度、足元を見つめ直してみたいと考える。


参考文献
関根清三著『死生観と生命倫理』東京大学出版会、1999年
上田賢治著『神道』世界「宗教」総覧より、1993年
宇佐美正利著『思想史』人間総合科学大学、2001年


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